2017/05/04 Thu
なみなみと注がれる


子どもの頃から一人だったので、誰かに頼ることも縋ることもあまり経験してこなかった。

小学校からの帰り道、ランドセルを置いてから外に遊びに出た。虫を捕まえたり友達の家で遊んだり一緒に宿題をしたり。友達の家では専業主婦のお母さんが夕飯を作るいいにおいがして、おなかすいたなぁと思いながら家に帰る。お菓子を食べながら宿題をして、自分でベーコンを焼いて冷凍ほうれん草入りの卵焼きを作って、ひとりで食べて、寂しいのでリビングの炬燵で眠った。母親が出張で帰ってこない日も多かった。

大学の頃は、誰か玄関に二千万円くらい置き忘れていってくれないかなぁと思いながら過ごしていた。
もう金銭的に無理だと思って、家を出て夜の仕事をして、痩せた身体を心配されて、ケーキを食べさせてもらった。歯磨きしてもイソジンしても人のにおいが拭えなくて、それが生クリームと一緒に胃に落ちていく感覚は、初めはかなり不愉快だったけれど、あっという間に慣れてしまった。何事もなく、ただお喋りをしていろんなケーキを食べさせてくれる変わったお客さんもいたけれど。

いまは真っ当に働いているけれど、誰も助けてくれないと思って生きてきた人間が、そう易々と人を頼れるわけもないのは仕方の無いことじゃないかなと思う。
会社は「ガッツのあるやつだ」と思ってくれるけど、好きでそうなったわけでもないから、素直に喜べるわけでもない。私だって頼れる人が周囲にいたなら、ガッツなんて持ち合わせていない人間だったと思う。

しんどい仕事をしているときは「そうは言っても脱ぐわけではないんだし」と考える。残業が続いても「そうは言っても夜勤じゃないから暗いうちに眠れて明るくなったら起きれるんだから」と考える。

人前で泣けるひとは、助けてくれる人がいる幸福な人生を歩んできただけ。私とは生き方の違うひとなんだと考える。少し羨ましい。けれど、あなたが幸福な十代を過ごしたぶん、いまは私の方が社会に認められる幸福を少しだけ味わえている。

「仕事ができない」とレッテルをはられた先輩が人に甘えて生きるのを目にするたびに、身を切り売りして働くなんて苦労はしてこなかったんだろうなと想像する。ひとに縋らず黙々と仕事に打ち込む先輩と話をするたびに、このひとはどれだけ身を切り売りして酸いも甘いも飲み込んできたんだろうなと考えてしまう。



 


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