2017/06/21 Wed
強要された想像


藍坊主『ラストソング』より

昔読んだ本の中に書いてあった、
世界中がみんな幸せになったら、
同時に全員が不幸になるだろうって、
隙間の無い部屋みたいに。




もやっと難しいめんどくさい話をする。

個性を尊重する、って最近はとても大事なこととして捉えられているけれど、本当に大事なことなのかよくわからない。

私は女の子が好きだけど、仕事の中でそれを尊重してくれとは思わない。たとえば私が職場でカミングアウトしたとして、周りの社員は何かしら思うところはあるだろうが、私から「だから女の子と一緒に着替えるのはちょっといやなので、男と一緒に着替えさせてください」と要求するのは、なんだか烏滸がましいような気もする。相手は理不尽だと感じないだろうか。

たとえば足が不自由だからエレベーターを使うことを許してほしいということなら、それは他者にとっても自分が同じ状況ならどうだろうと想像しやすい部分だろうから、要求しても容易く飲み込んでもらえるだろう。

だが、想像しにくい内容を、周りの人が容易く飲み込めないからといって、それで周りに対して怒りを抱くのは、少し違う。周りが想像しやすい説明を付け加える必要があって、たとえ飲み込んでもらえないとしても、怒りを抱くのは正しくないような気がする。だって仕方ないじゃん。飲み込めないのは飲み込めないなりに生きてきた環境のせいであって、怒りを抱いてしまったら、相手の生きてきた過去を否定してしまうことにならないだろうか。

個性ばかりが尊重されて、個性を持たない人がないがしろにされるのは、結局立ち位置が入れ替わっただけで、何も発展していない。

私は誰かに訴えるほど大切な個性を持っていないけれど。立ち位置が入れ替わるだけなら、それは何の解決にもなっていないような気がする。



 


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