2016/07/17 Sun
都合の良いように




ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『ラスト・ライティングス』より

69 (略) 人は実際に調和していないものを「調和している」とは呼ばないからである。ここでは単にその概念が引き延ばされただけのようにも見えるが、そうではなく、ここにはいわば錯覚ないし蜃気楼があるのだ。我々は、そこにないものを見ていると思っている。 (略)

70 人は、ぴったり合うという像の下、概念の下で、何ごとかを見るのである。 (略) ――このことを次のように言い表してみよう。まず、この像はその像の単なる投影である。それから、投影の光がいくらか曲がるのだが、それでもそれは、私にとってはまだひとつの投影である。最後に、それは識別できないほど曲がって歪んでしまうのだが、しかし、私は依然としてひとつの投影を見ているのである。(たとえば誰かが、年をとった人を相変わらず若い人として見ているとか、完全に変わってしまった人を依然として昔のままに見ている、といった場合のように。) (略)

92 (略) もしも、たとえば彼がある言葉を発するときにしかじかのものが目に浮かんでいたと私に分かるなら、そのことから、彼の無意識の傾向について何らかの結論を引き出すことは可能かもしれない。――彼の念頭に浮かんでいたものは、その言葉を発したときの彼の意図、その言葉に伴う彼の考えではない。




どうしてそれを口にする必要があるのか、と問いかけてしまうときがある。

たとえばそこまで関わりのない会社の先輩に「――だと思っているんでしょう」と詰られたとき。人のこころの中なんて見透かせないし、それはあなたの想像でしかないのに、どうして勝手な想像を口にして決めつけるのか。私に「はい」と言って欲しいのか、それとも「いいえ」と言って欲しいのか。あなたはそのことばを私に押し付けることでどうしたいのか。そう返すと、先輩は何も答えず、次の日から「――だと思っているんでしょう」と一切言わなくなった。

たとえば母親に「あなたが自立できるように育てたのだ」と言われたとき。あなたの会社が倒産の危機に瀕して、あなたが同じタイミングで更年期障害となって、私の前で急にギャン泣きして、出て行けと喚き散らし、出て行こうとすると腕を掴んで痕がつくまで引っ掻いて、耐えられなくなった私が一人暮らしを始めて、月に八万を必死になって稼いで、食事もろくに取れなかったあの頃は、そんなこと一言だって言わなかったのに。なぜ今になって急にそのことばを連呼するのか。そう返すと、母親は黙ってから、「ごめん」とだけ呟いた。


私がそのように聞きたくなるのは、私が想像している彼らの中の像を、否定してほしかったからだ。

先輩は「――だと思っているんだろう」と述べることで、先輩自身が私を好ましく思わない理由を生み出したいのだろうと、私は想像した。言い換えるなら「彼女はそう思っているのだから、私が不快に思うことは正当だと見做されるだろう」。

母親は「あなたが自立できるように育てたのだ」と述べることで、あのときの自分は何も悪くなかったと考えたいのだろうと、私は想像した。言い換えるなら「あの時の行為はあなたの自立のためであって、更年期障害でおかしくなっていたわけでもなければ、あなたを疎ましく思っていたわけでもないということにしておきたい」。


私が想像している彼らの中の意図は、私にとってとてつもなく苦しいものだ。私は自分勝手に彼らのこころの内側を想起してしまうことを止められない。だから私は否定してほしい。別の意図を提示してほしい。そういうことではなく、と前置きを置いて、別のもっと幸福な可能性をことばの上だけでも示してほしい。私のこころが軽くなるようなうまい言い訳を述べてほしい。

しかしいつだってうまくいった試しはない。皆、しどろもどろに口籠り、言葉少なに謝罪する。別に謝ってほしいわけではない。たまには私に対して、幸福になれるような嘘を軽やかにでっち上げてくれたっていいのに、と思う。


 


ALICE+