2019/01/09 Wed
ゼミ会4


引き続きゼミ会の覚え書き

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4.共同体の再形成

ほぼ図のため省略


5.何のために語り続けるのか

『論理哲学論考』
 私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。

『他者のための一者 レヴィナスと意義』p25
 過去が現在において完全な形で表象されたり取り戻されたりすることはできない。

『I, ASIMOV: A MEMOIR』「15. 書き始める」
さて、ここで質問だ:なぜ私は書き始めたのだろう?
(略)
間違いなく多くの人達は物語を作りたいという欲求を持っている。それは人類共通の願望なのだろう--思索する心、理解しきれぬ世界、誰かが物語りを語った時に感じる自分だってという感情。物語りとは、人がキャンプの火の回りに座った時に行うことではないのか?多くの社会的な集まりが思い出話のためのもので、誰もがほんとうは何が起こったのかについての物語を語りたいものではないだろうか?そしてそういった物語は避けがたい脚色と語りの改善を受けて、やがて現実とはほとんど似ても似つかぬものになってしまうものではないだろうか?
太古の昔、一人の男がキャンプの火の回りに腰を下ろした時のことを想像してみよう。とてつもない狩の偉業についての語りだすのだが、それは真実をあまりに誇張していてばかばかしいほどだ。だが、それは誰かから疑問を突きつけられる事はない。そこにいるものは皆、同じような嘘をつくのだから。とくによく出来た物語は何度も何度も語られ直して、そして誰かの先祖か、あるいはだれか伝説の狩人に帰されるのだ。

・ことばの外にあるものを見通したいと思っても、ことば以外に伝えられるすべはなく、ことばがすべてである
・それらは「語りなおし」を繰り返すことで、やがて現実とはほとんど似ても似つかぬものになる
・私と他者が異なる虚構を持っているために完全に伝達できなくても、アイデンティティを培う来歴が完全な形で表象されなくても、それは共同体にとっては重要なことではない

・共同体に適応するためには、〔語ること〕よりも〔聴くこと〕の方が重要なことなのかもしれない
・「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」 私は私の世界から逃れられないが、ことばを知れば知るほど、さまざまな他者の語ることばに耳を傾けることができる


 


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