2016/09/19 Mon
極度に歪んだサファオン




東京に行く予定があったので、空いた時間に中野ブロードウェイの「shop MECANO」に行ってきました。ツイッターで店長の中野氏の写真をちらりと見かけていたので、この方…実在しているのか…と不思議な気持ちでした。





ウィトゲンシュタイン『ラスト・ライティングス』より


386 私の運動感覚が、私に手足の動きと位置を教えてくれる〔と言われることがある〕。(略)

389 ある感覚が手足の運動や位置について我々に教えてくれることはありうる。(たとえば、常人と違って、目を閉じていると自分の腕が伸びているかどうか言えなくなる人も、肘への圧迫感を通してそのことが分かるかもしれない。)同様に、ある痛みの特徴もまた、傷のある場所について教えてくれることがありうる。

390 目の見えない人には触覚が、目の見える人には視覚が、物の形態や位置について教えてくれるということを、私はどうやって知っているのか。

391 私はこのことを自分自身の経験のみによって知っているのだろうか。そして、他人に関しては推測しているだけなのだろうか。


392 (略) 世界は、そこに浸透しているあらゆるエーテルの振動にもかかわらず、暗い。だが、ある日人間が見る目を開く。すると世界は明るくなる、と。
 我々の言語は、まず像を記述する。その像によって何が生じなければならないか、その像をどう使用するべきかは、まだ暗闇のなかにある。しかしもちろん、自分たちの発言の意味を理解したいのなら、これらの問いを探求せねばならないことは明らかである。しかし、像はそうした仕事から我々を免除するように思える。なにしろ像はすでに(完全に)特定された使い方を指示しているから、というわけだ。像はそうやって我々をからかうのである。





メカノで平沢進氏のDVDを買った。『ノモノスとイミューム』をようやく手に入れたのですが、聞けば聞くほど哲学書かよ…という気持ちになる。

私の経験からなる感覚や思考のパターンである「サファオン」によって、物事そのものの事象(意味を見出される対象)「ノモノス」を見ることで、生み出してしまったものが「イミューム」……しかしこの解釈すら私のサファオンによって歪んで生み出したイミュームなのではないか……

ウィトゲンシュタインの呼ぶ「像」は「イミューム」というより「サファオン」に近い使われ方なのだろうか。

他者の解釈が自己に影響を与えることについて。物語の発端には「反射」ということばが別に名付けられており、それはイミュームによって作り出される。何かの本を読んで誰かの解釈について違和感を感じるとき、私のサファオンは他者のイミュームが生み出した反射によって影響を受けている……

これを数時間のライブから読み取らなければならないのはたいそうハードです平沢さん……ようやく用語の定義を僅かに汲み取れただろうかという頃にはライブ終わってるんじゃないのかこれ……



私の解釈がどうであれ、ストーリーも音楽もたいそう美しいのでとてもおすすめ。観客に分岐を選ばせるインタラクティブライブ、謎楽器であるレーザーハープ、分岐によって異なる三種類のエンディング。




 


ALICE+