PROLOGUE:007

「天海」

階段を降りきったところで名字が振り返った。名字の口は開いたり、閉まったりとせわしない。それなのに名字と天海の間では無音だった。

「大丈夫っすよ」

自分の才能が思い出せないと分かって、他に誰かがいるという時点でこうなるとうすうす分かっていたことだ。
名字が少し目を伏せて、申し訳なさそうに天海を見る。

「ごめんなさい」
「別に名字さんが謝ることなんて……」
「行き先間違えた」

三拍子ほど遅れて、天海は「あっ」と声を零した。そうだ、天海と名字は倉庫に向かうはずだった。しかし今いる場所は倉庫とは逆方向の上に、階段を降りたところから地下であるのは明白だ。

「どうしよう。今戻ってもキーボと王馬に鉢合わせしそう。やだ、めんどくさい……」

ひどい言い草だが、名字の言ってることが分からない訳でもない。

特に王馬には「えっ、道間違えたの?だっさ!どこ行くつもりだったの?倉庫?倉庫に行くだけで道間違えるとか恥ずかしくない?」とか、言われることが予想ついてしまうぐらい、からかってくるだろう。

「間違えたのは仕方ないっすよ。せっかくだし、ここも調べていきましょうか」

ざっと見渡した限り、廊下は二つの部屋に繋がっているようだった。

「それなら、あの部屋からでいい?」

名字が指差したのは奥の扉だった。特に反対する理由もないので天海は同意する。

「構わないんすけど、それより腕」
「ん?あー……。ごめんなさい」

名字がパッと手を離す。掴まれていた部分がうっすらと赤くなっている。

「痛かった?力加減は気をつけたつもりだけど」
「平気っすよ。全然痛くなかったっす」
「そう、よかった」

安心したように名字は胸を撫で下ろした。
名字さんも女の子だし、痛いなんてことないのに大げさっすねえ。とぼんやり思いながら、天海は扉を開ける。

「誰だ」

開けた瞬間に肌を突き刺すような空気が名字と天海を出迎えた。部屋の中にはどうやら先客がいたらしい。

「すまねえ、反射的にピリピリしちまった」

そう言うと彼は殺気を収めてくれた。

二本の耳(もしくは角のような)のついたニット帽に黒革のライダーズジャケット。少し掠れた低い声が相まって彼の渋さがにじみ出ていた。まるで高校生とは思えないほどに。

しかし、彼の見た目に関して高校生とは思えない点がもう一つある。それは身長だ。先程出会った夢野や王馬の比ではない。天海を比較対象にするなら、ちょうど天海のヘソぐらいの高さしかない。つまり幼稚園児ぐらいの身長なのだ。

見た目と声のアンバランスさに天海は驚きつつも、不自然さというか気味の悪さは感じない。おそらくだが、こういうところが彼の魅力の一つなのだろうと思う。

「……」

その一方で、名字と天海を値踏みするように2人を見る少女がいた。

床までつきそうなカントリースタイルのツインテール。膝丈のチェックスカートや、赤色のニーハイソックスにショートブーツ。その他にも目立たないように着飾っているアクセサリ使いから、天海はおしゃれな女子高生という印象を持った。

しかし、それも一瞬のことだった。少女の赤い瞳は冷たく鋭利なナイフのようだった。しかも隠すことなくヒシヒシと警戒心を顕にしているのだから、視線が天海と名字に突き刺さる。

「大丈夫っすよ。ちょっと驚いたっすけど」
「そうか」
「……」
「……」

無言には三種類ある。居心地の良い無言と悪い無言、それから居心地が良いとも悪いとも感じない無言だ。今、天海は無言に支配された空間でとてつもない居心地の悪さを感じた。

「ええと、ここはなんの部屋なんすか……?」

どうにかその無言を打破したくて、当たり障りのない会話を繰り広げようとするが。

「見れば分かるでしょ。当たり前のこと聞かないでくれる」

叩き落とされた。

少女の言う通り、天海にはこの部屋が何かは分かる。ゲームセンターでよく見かけるバイクレーシングゲーム用の筐体やダンスゲームの筐体が部屋のあちこちに置かれているから、おそらくここはゲームルームなのだろう。

「おい、春川。そこまでささくれ立つ必要はねーんじゃねーか?」
「……」

春川と呼ばれた少女はそれでも無言を貫く。少年は「やれやれだぜ……」と呟いてニット帽を被り直した。

「春川って言うんだ。私は名字名前。よろしくお願いします?」

そう言って名字は春川に近寄って左手を差し出した。しかし春川は、名字を一瞥しただけで何も答えはしないし、名字の手を握ろうともしなかった。

「もしかして間違えた?春川じゃない?」
「間違ってねえよ。ほら、春川。自己紹介ぐらいしてやれ」

星に促されて、春川は深いため息を吐いた。顔はそっぽ向いて、いやいやそうに春川は口をく。

「春川魔姫」
「一応、俺も自己紹介しておくか。俺は星竜馬だ」
「星、竜馬……!?」

天海は思わず星の顔をまじまじと見てしまった。

「天海、何か知ってる?」
「逆に名字さんは知らないんすか」
「うん」

軽快に天海はすっ転びそうな気持ちになった。春川も驚いた様子で名字を見ている。世間を騒がせた大事件だったというのに、知らないというのは頭が痛い。名字は世間知らずなところがありすぎる。

おまけに「知ってるなら教えて?」と言わんばかりの目で天海の顔をのぞき込むのだから、これでは説明しない訳にはいかない。天海は星をチラリと見る。

「俺のことは気にしなくていい。知ってるなら名字に説明してやってくれ」

そんなこと言われても本人を前にしては説明しづらい。そう悶々としていたら、春川が「星は超高校級のテニスプレーヤーって呼ばれてたんだよ」と話し始めていた。

「過去形なんだ」
「今は……。テニスプレーヤーじゃないっすからね」
「どうして?ケガ?」

ケガだったらここまで大げさにはならなかっただろう。

「鋼鉄のテニスボールで、頭をぶち抜いて殺して、あるマフィアを壊滅させたの。それで逮捕されてたはずなんだよ。星は」

しかも本人は黙秘を繰り返してばかりで事件の真相はベールに包まれている部分が多い。唯一、星が認めたのは「自身が犯行を行った」ということだけだ。

「詳しいな」
「あれだけニュースやってたら嫌でも耳にするよ。そこの例外は知らないけど」
「私のこと?」
「あんた以外誰がいると思ってるの」
「言われてみればいない。知らなかったのは私だけみたいだし」
「……」

春川は名字と話すのに疲れたのか、再びだんまりを決め込んだようだ。

「で、どうた?人殺しを目の当たりにした感想は」

脅すように星は先程の殺気を少し滲ませる。その瞳は黒黒としていて、どこか狂気を帯びていた。

「なんとも?」

だが、名字はきょとんとした顔で答えるだけだった。

「話してる感じはシリアルキラーでもサイコパスではない気がするけど。上手く本性を隠してたらお手上げバンザイ?」

お手上げバンザイ、と言ったところで名字は両手を天に向ける。ただ内容も物騒な上に、本人も無表情なので全くめでたい気がしない。

「何故殺した理由も分からない上に、星がどんな人かも知らないから、うん。やっぱり、今はなんとも言えないし思わない」

そしてそのまま無表情で結論を述べた。

「人殺しを目にしたら普通怖がるもんだぞ」
「へぇ、そうなんだ」
「……怖くねーのかよ」
「特には」
「……」

一切、怯える素振りを見せずに名字は淡々と答える。星も言葉が出ないのか、たらりと一筋汗を垂らして名字を見た。

……名字さんは世間知らず、というよりは我が道を行くというか。常識に当てはまらないと言った方が正しいかもしれないっすね。

天海は心の中でそっと名字に対する見解を改めた。

「星はなんでここにいるんだろう」

名字が重い空気を気にせずに疑問を口に出す。今まで以上に気まずい空気を気にせずに言えるのは、この中だと名字ぐらいしかいないのだから当然と言えば当然かもしれない。

「……。どういう意味だ?」
「あれ」
「名字さん。もう少し詳しく言って貰えないっすかね。星君が分からなくて困ってるっすよ」
「分かった。星は刑務所?に入れられてたのは合ってる?」
「監獄だ」
「あぁ、そうそう監獄。警備とか厳重だと思うんだけど、どうやってこの才囚学園に来たのかなって。出所してた最中だった?」

星は死刑囚だ。出所なんて出来るはずがない。
星を見ると怪訝そうな顔しながら、思案していたが……。結局何の成果も得られなかったのか、「分からねーな」と呟く。

「ふうん。なら私達とおそろい?私達も分からない」
「そうか……。他の奴らも似たようなことになってるらしいな」
「多分っすけど全員そうなってると思うっす」

聞いてない人が何人かいるが、あの様子だと心当たりはないだろう。全員、記憶喪失というのも不可解だが、名字の言った通り、星をわざわざこんなところにまで連れてきた理由は?それは星ーー超高校級に用事があったからだ。

超高校級、学園、外の隔絶、充実したライフラインに娯楽。何かが引っかかるようで、煙のように消えていく。それなのに喉元が凍るような錯覚に天海は囚われる。

キーンコーンカーンコーン。何度も聞きなれた学校のチャイム音だ。唐突に鳴り響くチャイムに首を前後左右に動かすと、真っ黒だったモニターがブツンと音を立てて動き出した。

「はいはーい、くまたせしましたー!」
「という訳で、キサマラは体育館にお集まりくださーい」
「ようやく始業式をはじめられるぜ!」
「ばーいくま!」

言うだけ言って、モニターの電源が落ちた。暗くなったモニターにら天海の輪郭だけがぼんやりと映っている。

「春川?」
「こんなところにいてもしょうがないでしょ」

他に何も言う事はない、という風に春川は部屋を後にして行った。

「俺が思う以上に何か厄介な事に巻き込まれたようだ。嫌な気分になるな……。やれやれだぜ……」

星も不穏な言葉を残して、春川の後を追うように部屋を出て行く。残っているのは名字と天海だけだ。

「行かないの?」
「いえ、行きますよ……」

本音を吐露するなら行きたくはなかった。恐らくだが、途方もない理不尽が待っている。

そんな予感が天海の中に渦巻いて、外れることをただ一人願っていた。

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