PROLOGUE:002

適当に廊下を歩いていると人影が見えた。天海はすぐ警戒したが、表面に出すことはしなかった。

「誰かいるっすね。こんにちは」
「こんにちは」

そこは「おはっくまー!」じゃないんすね。名字が普通に挨拶をしたので天海は拍子抜けした。

「ううーん……」

フチなしメガネを掛けた少女はある一点をみつめたまま、反応しない。

天海より少し低めの身長は女子の平均より高い。すらりと伸びた手足は大人びたモデルを思い起こさせる。女性らしさも感じられ、ほんのりと漂う色気は魅力的に見える。ただ何かが物足りないような気もした。

例えるなら、どこかのアイドルグループのコンセプトのように、全国トップレベルではないけどクラスで上位にいる美人といった感じだ。

「俺達、ここを探索してるんすけど。何か分かったこととかないっすかね?」
「ううーん……」

天海が再び声をかけるが、同じ反応を繰り返す。まるでゲームでひたすら村人Aに話しかけてるような気持ちになる。つまり虚しい。

「天海、ムダだと思う。その人、話したくないからさっさと立ち去ってほしいなって思ってる」
「えっ」
「な、なんでわたしの思ってることが……。ハッ!?」
「顔に出てる」

少女は慌てて、二人へと気まずそうに視線をやる。取り繕うにも、もう既に一連の反応で少女の心理状態は暴かれている。

「えっと、俺達何かしました?」
「いや、違うの……。何もしてないんだけど……。あぁ、もぅ!こうなったら隠さずにはっちゃけるよ?」

すぅ、と息を吸い込んだ。怯えた目はカッと目を見開いて、

「こんな状況下で男女二人でいるなんて……。フラグじゃない?リア充じゃない?おのれリア充!!リア充と話すなんてハードル高すぎ!!部屋に帰らせてもらうよ!!」

大真面目な顔で言い放った。内容は理不尽な当てつけだ。これには名字も天海も予想外で、「えっ」と声を漏らしてしまった。

「待ってください。俺たちはそんなんじゃないっすよ。さっき会ったばかりっす」
「うん。五分前ぐらいに」
「嘘だッ!!!だったらなんでそんなに仲良さそうなの!?初対面で打ち解けられるなんて、そんなの絶対おかしいよ!!それとも攻略王なの!?」
「攻略王?」
「つまりこういうことっすか。『かわいい女の子と行動しやがって、このタラシ野郎が……』」
「Exactly(そのとおりでございます)」

天海の解釈に、すぐに少女は同意した。メガネのブリッジに指先を当て、真顔で言っているのにどこか虚しさを感じさせる。それを自覚したのか、少女は体から力を抜いてため息を吐いた。

「はぁ……。つい、テンション上がっちゃった。ゴメンね」
「ものすごくノリノリだったっすね」
「リア充は敵だからね!見かけたらバルスしたくなるよね!」
「笑顔で言うことじゃないっすよ」

気持ちは分からなくもないけど、そこまで邪険にしなくていいんじゃないっすかね。
天海はそう思ったが、これを口にしたら最後、火事現場に灯油を抱えて突撃するような予感がした。

「……そういえば自己紹介がまだだったっすね。俺は天海蘭太郎。彼女は名字名前さん」
「わたしは白銀つむぎ。超高校級のコスプレイヤーだよ」

興味を持ったのか、名字が「コスプレイヤー?」と呟いた。それを逃さずに「名字さん、コスプレに興味あるの?」と白銀が尋ねた。白銀の質問に目を瞬かせて、名字は頷く。

「どういったラインナップがある?」
「なんでもあるよ!かわいい萌え系から渋めの特撮系までまかせて!」
「さすが超高校級のコスプレイヤーっすね。なんでも出来るんすか」
「もちろん」

白銀は誇らしげに背筋を伸ばした。その際に、白銀の豊満な胸が地味に揺れ、天海は一瞬目を奪われる。だが、一瞬だ。何事もなかったようにすぐに目線を逸らした。健全な男子高校生なら仕方のないことである。

「わたし、本当はコスプレするほうじゃなくて、キャラクターの服とかアクセサリーを再現のが好きなんだ。でも、今どきのコスプレイヤーって自己主張が激しくて、原作のキャラクターを殺しちゃう人が多いんだよね……。わたし、それがすごく嫌なの」

だからコスプレイヤーになった、と白銀つむぎはそう語った。この数分間しか会話していないが、一番熱の篭った声だった。

「それは嫌になるね」
「だよね!だから、わたしがコスプレしてることが多くて、超高校級のコスプレイヤーって呼ばれるようになっちゃって。名字さん話分かってくれて、嬉しいなぁ。名字さんみたいな人が増えてくれたらいいのに」

同意した名字に、キラキラと目を光らせて手を握っていた。それはもう満面の笑みで。

「ねぇねぇ、名字さん、コスプレしない?名字さんなら理解もあるし、きっといいコスプレしてくれると思うんだ。第7ドールとか絶対似合うよ!」

脳内でコスプレした名字をイメージしたのか、白銀は頬を薔薇色に染めていた。それだけなら愛らしいのにヨダレが口元からたらりと零れているあたり残念である。

――サバンナで飢えたライオンだ。
その様子を隣で見ていた天海はぎょっとした。そして今、まさに喰われそうになっている名字は特に表情を変えないままだった。白銀を見つめて淡々としている。

「よく分からないけど、考えておく」
「本当!?絶対だよ!」
「詳しい話の続きはまた今度でいい?」
「もちろん!こんな状況下じゃ安心してコスプレなんて出来ないしね……」

自分の言い放った言葉で現実に引き戻され、白銀はうつむいた。

「そういえば、ここに来る前のこと覚えてる?」
「ここに来る前……?」

名字の質問に白銀は何か考えこんだ。時間が経つにつれて、白銀の唇がわなわと震えて、白くなっていく。

「思い出せない……」
「白銀さんも、っすか……」
「も?」
「俺達もなんすよ」
「もしかしたら、この場にいる全員が記憶を無くしてるかもしれない」
「その可能性は高いっすね」

しん、と空気が静まり返る。

「わたし達、ここから出られるのかな」

先ほどの熱気は鎮火されてしまったのか、今にも消えそうな声で白銀が呟いた。

「分からないっす」
「……」
「でも為せば成るっすよ。行動しないよりはするほうが、きっと出られますから」

安易に大丈夫という訳にはいかないが、まだ諦めるには早い。せめて、慰めになってほしいと思って天海は言葉にした。

「そうだよね……。ありがとう、天海くん」

その気持ちが届いたのか、いくらか顔色を良くした白銀の笑顔に、天海は安心した。

「じゃあ、行きますか。俺達まだ探索してるんで……」
「そういえば、さっき言ってたね。ここには特に何も変わったものはなさそうかな。でも他に何かあるかもしれないし、わたしはもうちょっとここを探そうと思うよ」
「そうっすか……」
「何か分かったら、教えるね」
「ありがとうございます」

白銀と別れを告げて、その場を離れる。いくらか歩いて、二階から一階へと続く階段の踊り場へとたどり着いた。ふと、名字がぽつりと言う。

「白銀、すごいテンション高かった」
「テンションが高くなった、って感じっすね。コスプレとリア充に対してだけっすけど」
「言われてみれば……。天海、代わりに超高校級の観察者になる?」
「えぇ……?」

これくらい誰でも分かることだと思うっすよ。
そう言いたくなったが、これを名字に言ってしまうと、超高校級の観察者としての名字に対して落ち度を指摘しているような気がして、胸中に留めた。

「でもそれだけコスプレ……じゃないっすね。コスプレしたいと思った作品のこと、とっても大好きなんすよ。リア充については……。憎しみであふれてるせいっすね」
「わざわざ憎む必要ないのに」
「時として嫉妬に駆られるもんなんすよ」
「ふうん」

名字はそれだけ言うと、口元に手を当てて考える素振りを見せた。

「で、名字さん。コスプレするんすか?」
「うーん。今すぐには出来ないけど、落ち着いたらするかもしれない」

名字が天海へと不思議そうに顔を向けた。

「天海はコスプレしない?」
「俺は見てるだけでお腹いっぱいっす」
「天海も似合うと思うのに。コスプレ」
「ハハッ……。ありがとうございます」

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