「どうする?」
「どうしましょうか?」
一階に降りて、名字と天海は立ち尽くしていた。探索をしようとしたのはいいが、目の前にある三つの扉のうち、どれに入ろうか悩んでいたからだ。
「とりあえず入ってみないことに分からないっすね。とりあえずこの部屋に入るっすよ」
そう言って天海はまず左側の壁にある赤い両開き扉のドアノブを回す。
すんなりと開かれた扉の向こうで少女がいた。
その少女の第一印象は個性の固まりだった。制服なのにへそ出しという奇抜なスタイル。丈の短いティアードスカート。そのくせ、足元は白いハイソックスに草履というミスマッチさだった。
極めつけは頭のアクセサリだろう。風車のような形をしたフレッシュグリーンのリボンが少女の後頭部でゆらゆらと揺れている。加えてピンク色のカチューシャも頭につけているのだから、キテレツとも言える。ただトータルで見るとそんなうるさくない。アクセントのリボンも制服も派手な色を使ってないためか、割とまとまっているような印象を受けた。
天海に気が付いたのか、こちらに振り返った。ぽかんとした口から八重歯がのぞく。
「だっ、男死ィー!!?」
大きく開いて、嫌悪感をまとったセリフを叫ばれた。青いセーラー服を着た少女が瞬時に天海から距離を取る。腕を上げて身構えているが、顔から脂汗がたらたらと流れていた。
えっ、俺。何もしてないっすよね?
普通に扉を開けただけだ。彼女にぶつけた訳でもない。
「大丈夫っすか?」
「やめて下さい!これ以上力寄らないでください!」
とりあえず確認を取ろうと天海が少女に近付こうとしたところで、両手を突き出された。
「転子は男死がホント苦手なんですよ!近寄ったら投げますからね!近寄らないでください!」
「確かこれ、フリっていうんだっけ?押すなよ?押すなよ?って言いながらドーンと押すした気がする」
「違いますよ!内容は合っていますがそうじゃないんです!ホントにやめて下さい!あぁ!押さないでくださいってば!絶対に押さないでくださいよ!」
名字が天海の背中にそっと手を添える。その様子を見て、名状しがたい−−表現するなら女の子がそんな顔をしていいのかという形相をしている。
「名字さん」
「分かってる。押さない」
「ならいいんすけど。俺もまだ死にたくないんで……」
「ガルルル……」
目の前で唸る猛獣と化した少女の元に行ったら最後、天海は空高く舞い上がるような気がした。ある意味で精神的、ある意味で物理的に。
「申し訳ないっす」
「いえ、悪気はないのは分かっています。分かっているんですけど……」
天海の謝罪を受け入れつつも、どこか飲み込み難いように、少女は眉を潜めていた。
「ごめんなさい?」
「大丈夫ですよ!転子はこの通りへっちゃらです!おかげで元気が出ましたよ!ありがとうございます!」
名字に話しかけられて、嬉しそうにする少女は先程、天海に接していた少女と同じとは思えないほどの変わりようだった。
天海は少女の理不尽さに笑顔で取り繕いながら、部屋を見渡した。思った以上に広々としている。廊下には草花が生えていたが、この部屋では白く磨かれたタイルが光っていた。タイルの上では長机とイスが置かれており、イスに誰かが座っている。
頭には組み分けでもしそうなとんがり帽子を被って、ぺったりと頬をテーブルにつけていた。天海の視線に気が付くと、くりくりとした丸い瞳が天海に向ける。しかし何事もなかったように目を逸らされて、足をブラブラとさせる。
あっ、何かに似てると思ったら眠たいときの子供の反応っす。
顔つきも幼いし、おそらくだが身長も低いほうだろうし、と天海は一人で納得した。
「どちら様?」
「こちらの可愛らしい方は夢野秘密子さんです!」
「んあー」
自己紹介されても、接着剤でテーブルとくっつけられたかのように夢野の体は動かない。きょろっと目を名字と天海へ向けただけだ。
「んあー?」
「んあー。ウチの口癖を真似するでない」
「ごめんなさい。んあーって口癖だったんだ。挨拶かと思った」
「んあー、ウチの口癖は挨拶にも使うぞ?」
「なんでも使えるんだ、んあー」
「んあー」
どうしてここにいる人達(クマのヌイグルミを人として該当するかどうかは別問題として)は、独自の挨拶(もしくは言語)を用意しているのか。
超高校級の才能のせいなんすかね?と天海は呆れて肩をすくめた。
「はぁ……。可愛らしいですね!もう夢野さんが、んあーって言ってるだけで転子は幸せな気持ちになれますよ!」
「そうっすね」
「男死の意見は聞いてないです」
同意をしたらこの扱いである。天海は苦笑いを浮かべた。
「えっと……」
「茶柱転子です!」
「茶柱さんすね。茶柱さんはなんの才能を持ってるんですか?」
「転子は超高校級の合気道家です!敵や男死が襲ってきてもお茶の子ですよ!」
言われてみれば茶柱の体つきは女性らしく曲線的だが、太股はしっかりと筋肉が付いている。
「なんか嫌らしい目つきで見てませんか?」
「そんなことないっすよ。それで夢野さんは?」
「夢野さんはですね!どうぞ言っちゃってください!」
「魔法使いじゃぞ。表向きはマジシャンということになっているがな」
「そうなんです!夢野さんは魔法使いなんですよ!」
……魔法使いになりきってるんすね!
夢野の言葉を噛み砕いて天海はそう解釈した。不思議な帽子を被ったり、絵本に出てきそうな魔女みたいな喋り方なのは、魔法使いになりきる為だと勝手に天海は理解していた。
一方の名字は目をパチパチと瞬かせながら夢野を凝視する。
「魔法使い?魔法使いじゃなくてマジ」
「きえええええええええええっ!」
「うわっ」
茶柱が奇声をあげて、マジシャンと言おうとした名字を制する。
「何言おうとしたんですか!?幼気な夢野さんの言葉を否定するつもりですか!!」
「え……。いや、でも」
「いや、も!でも、も!ないです!夢野さんは超高校級の魔法使い!そうですよねっ?」
「んあー。転子よ、幼気は失礼じゃ。ウチはお主らと同い年じゃぞ」
「はわー!すいません!」
あ、同い年だったんすか……。
確かにこの才囚学園には超高校級しかいないが天海はうっかり失念していた。
ふと、名字の様子を伺うと名字と視線がぶつかった。怒涛の勢いで押し切ってきた茶柱に困惑しているのか、縋るような目をしている。天海は初めて見る名字の表情に、あんな顔もするんすねと少し驚いていた。同時に助けを求める名字の姿は天海の何かをくすぐった。
「どうかしたのかしら?騒がしいようだけれど」
しょうがないっすねぇ、と天海が名字に手を差し出そうとした時だった。カツンカツンとピンヒールの音が奥から聞こえてきたのは。
「あ、東条さん!夢野さんが魔法使いであることを2人に説得しようとしていた最中なんですよ!」
「そういうことね、分かったわ。でもその前に挨拶をしてもいいかしら」
「それもそうですね!どうぞどうぞ!」
カツンカツン。蜘蛛の巣の意匠をあしらった真っ黒なジャンパースカートが歩く度に波打つ。身長は男性である天海と大差なく、スカートから覗く膝下の細さからモデル体型であることは容易に伺えた。
「私の名前は東条斬美。超高校級のメイドよ」
立てば芍薬、座る姿は牡丹、歩く姿は百合。東条を評するならこの言葉がふさわしいだろうか。座る姿はまだ見ていないが、おそらく座る姿も美しいに違いない。歩く、立つ。単純な所作から凛とした育ちの良さと、只者ではないと思わせる無駄のなさがひしひし伝わってくる。
天海と名字は自分達の名前を告げて、ようやくこの場にいるメンバーの自己紹介を終えることが出来た。
「東条さんは奥から出てきたみたいっすけど、奥に何かあるんすか」
「ええ、厨房があったわ」
確認するかしら?と東条に案内されて、天海と名字は足を踏み入れた。大きめのシンクに作業スペース、オーブンに(おそらく業務用かと思われる)巨大な冷蔵庫が並んでいる。それなのに天海や名字、東条が入っても自由に身動きが出来ることから、この厨房も相当広く作られているのだろう。
「あれ、ここも草とか生えてないんすね」
「衛生上問題があるから除去したわ」
「食堂をきれいにしたのも東条さんっすか?」
「ええ、もし何かあったときに使うのに不便だと皆が困るもの」
「……」
「ねぇ、これって食べれる?」
冷蔵庫の1段目を開けた名字が東条に質問してきた。中にはキュウリに大根、桃や柿にイチゴと季節感ゼロで野菜や果物が賑わっている。
「毒味して確認したわ。大丈夫よ」
「んあー、こんな状況じゃ。何か口をするのも抵抗があったが仕方ない。毒見じゃからな。つい使命感を果たして3枚食べてしもうたわ」
天海達の後ろを着いてきたのか、後ろを振り返るとにやっと夢野が笑った。
「苺と生クリームのデコレーション、寸分違わず積み上げられた綺麗なパンケーキタワーはまさしく芸術でしたね!」
「噛み締めると苺の酸味と甘すぎない生クリームが絶妙じゃったな。また食べたいのう」
「転子はパンケーキの生地にもハチミツが効いてたのがよかったですね!パンケーキの味もしっかり主張してるんですけど、生クリームを打ち消さず包み込んで調和していて、食べてても胃が重いって感じしませんでした!個人的にはトッピングはマンゴーがおいしかったです!」
「うむ。マンゴーも捨てがたいのう」
「何してるんすか」
繰り広げられる女子トークに思わず天海はツッコミを入れた。
こんな状況下でパンケーキ?ちょっと呑気すぎないっすかね……?
開いた口が塞がらなかった。
「ほら、言うじゃないですか。腹が減っては戦は出来ぬですよ!」
「言いますけど……。毒見だったんすよね?パンケーキの必要性ってあるんすか?」
「ウチがリクエストしたんじゃ」
……こんな状況下でも特にパニックになってないならまだマシっすかね。
天海はそう思い直すことにした。
「天海君と名字さんもいるかしら?」
今ならトッピングも受け付けるわ、と東条が名字と天海に聞いてきた。名字がすかさずバターミルクと答える。
「それじゃあ俺はスモークサーモンとリコッタチーズ……。じゃなくて」
うっかりペースに巻き込まれる寸前で天海は我に返った。
「おふざけはここまでにして真面目な話をしましょうか」
分かりづらかったが東条なりのユーモアだったらしい。目を瞑りながら微笑む姿は、同い年とは思えない大人びた淑女のものであった。
「どうやらここには食料があるだけでなくて、水道も電気もガスも通っているようね」
言われてみれば冷蔵庫も照明も電気の力によって動いている。
「まるでここで生活を行うかのような想定で、周到に用意されているみたいよ。不可解だわ」
「ホントっすね……」
一体、何が目的で犯人はこんなことをしたのか。17人の超高校級の誘拐。才囚学園。いささか、規模が大き過ぎるような。しかし肝心の目的までには明確にすることが出来ず、天海は気になる点として記憶に留めておくことにした。
「他にも場所はあるみたいですし。ここって、どうなってるんでしょうか?」
「茶柱さん達はもう別の場所に行ったんすか?」
「いや、ウチはめんどいから行っておらん。それに他のヤツらが行くと言い出したから任せたまでじゃ」
それじゃあ、と天海が言った。
「俺達も他の場所を調べるついでに、皆の様子を確認してきてもいいっすか」
ここも特にめぼしいものはないだろう、と判断して天海は提案した。茶柱達からは特に異論はないようで、東条からは「ええ、お願いするわ」と言われてしまった。
「名字さん、行くっすよ」
「ん」
食器棚をぼんやりと眺めていた名字が、名前を呼ばれて天海のほうへ向く。天海が歩けば、名字も後ろを着いて来た。
「……」
あの縋るような目。ハッと天海は口元に手をやる。
「天海、どうかした?」
妹だ。とことこと駆け寄る名字の姿が、幼い頃、天海の背中にくっついて回った妹達と微かに重なって見える。揺れるあの目が、置いていかないでと訴えかけてくる。それなのに気付かなかった。
「いや」
天海は思考を振り払う。
「ちょっと考え事をしてたんすよ。でも見間違いだったみたいっす」
天海は迫り上げる何かを飲み込んで、名字に笑いかけた。
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