PROLOGUE:004

天海と名字は倉庫らしき部屋に移動していた。天井まで伸びる棚には、ハシゴが備え付けられ、様々なものが仕舞われている。

「ここにはなんでもあるみたい」
「そうっすね……」

ダメだ。天海は名字の後ろ姿を眺めた。
気を抜くと名字と妹達が重なる。姿や声が似ている訳ではない。赤の他人だ。でも妹達が大きくなっていたら……。そう思い、目を閉じると、思い出の中の妹達が溶けていきそうな気がした。

「天海、見て見て。こんなものもあった」
「えっ」

名字に声を掛けられて、天海は我に返った。

「……カラーコーンに、ペンキ、ヘルメット、スパナ、矢印板。どこで使うんすか?それ」
「工事現場で使うとか?」
「まあ、使うっすね」

しかし、今後これらは使うことはないだろう。使う可能性が高いのは、用心の為にスパナをこっそり持っていくことぐらいしか天海には思い浮かばない。それにわざわざスパナでなくとも、他に武器が−−。

「っ?」

何を考えていたのだろうか。何かが頭遮ったような気がするのだが、その感覚ですら不確かなものだった。時間が経つにつれて、落ち着き天海は安心する。

「大丈夫?」
「あ、いや……。大丈夫っすよ。ちょっと立ちくらみしたっぽいっすね」
「休む?」
「本当に大丈夫っすよ。ちょっとここ、ホコリっぽいっすから。多分、それのせいだと思います」
「じゃあ、ここは早めに切り上げて別の場所に行こう」
「そうっすね……。その前に名字さん。そのフル装備は置いていって下さい」
「む」

異議の声を発した名字の頭にはカラーコーンが乗っかっていた。さらには右手にはペンキとスパナを器用に持ってる。もう片方の手に盾のようにして矢印板を構えていた。今の名字はお遊戯会で出てくる小学生のようだ。

「ねえ、天海。面白い?」

名字は無表情のままで両手を掲げた。一体何がだろうか。相変わらず名字の発言は肝心なところが抜けている。

「……まあ、そうっすね」
「本当?」
「本当っすよ。でも、それ戻してくださいね」
「……」
「はい、ちゃんと戻してくださいね」

有無を言わさない天海に折れたのか、名字はスパナを棚へと戻し始めた。
それでいいんすよ。今後これらは使うことはないっす。もちろん、可能性もゼロのハズだから。
次に矢印板を置いたところで名字は何を思ったのか、急に部屋の奥へと歩き出した。

「名字さん、どこ行くんすか?」

天海の声が聞こえていないのか、名字は棚と棚のスペースの間に入り込んで行った。慌てて天海が後を追いかける。

「ねぇ」
「話かけ……ヒャーッハッハッハッ!」

下品な笑い声が大きく響いた。名字の声じゃない。誰かいる。天海は咄嗟に身を隠した。

「なんだよ!その頭!ダッセー!」
「面白い?」
「面白いかと言われたら、ちょっとインパクトに欠けるな。ヒゲメガネつけてダンスしたほうがもっと面白くなるんじゃね?」
「そう?」
「オレ様が言うから間違いないに決まってんだろ!試しにダンスしてみろよ!」

覗き込むと名字の背中越しにマゼンダのセーラー服が見えた。太ももをさらけ出す短いプリーツスカート丈も相まって、量販店で売ってそうな安物っぽさがにじみ出ていた。

「オイ、そこのお前!」

少女の言葉に天海は硬直した。

「お前じゃなくて私は名字名前っていう名前がある」
「ちげーよ!テメー……じゃなくて、名字じゃねーよ!そこの葉緑体だよ!コソコソしてんじゃねー、とっとと出てこい!」

バレてるみたいっすね……。天海は渋々と角を曲がり、名字達の前に姿を現した。

「あれ、天海」
「ケッ。陰からコソコソ見やがって。童貞ストーカーか、テメーは」
「どっ……」

天海は絶句した。初対面の女の子の口からまさかいきなり童貞ストーカーなんて言葉を聞くとは思わなかった。もはや天海にはどうしようもない。特に童貞という不名誉な称号は肯定しても否定しても天海の印象を急降下させるからだ。

「まぁ?オレ様のこのボンキュボンのナイスバディーはなかなかお目にかかれないからな!しょがねーなぁ!」

少女は自慢げに腕を組んで、胸を乗せる。自負するだけあって、そのたわわな胸は腕からはみ出して今にもこぼれ落ちそうだ。しかも胸元の黒革のガーターベルトが食い込み気味になっているせいで、余計に胸の豊満さを主張している。

「ボンキュボン。ボンボン?チョコレート?」
「ハァ?」

呪文のように唱える名字に、少女はため息を吐いた。

「おいおいおい、ボンキュボンも分からねーとかカマトトぶるにも程があんだろ?」
「ねぇ、天海。カマトトって何?」
「えっ」

流れるように淡々と紡がれる名字の疑問に、天海は不意打ちを食らう。

「ヒャーハッハッハ!コイツァ、傑作だぜ!そういう態度がカマトトって言うんだよ!」

再び入間は大笑いしながら指先を名字に突き出す。

「そんな奴に限ってもう既に開発されて、エロエロと危ないこと知ってるんだろ?この淫乱尻軽カマトト女ッ!」

言葉の暴力のオンパレードに天海は目眩がした。ただでさえ色んな方向からダメージを食らっているのに、少女の節操がなさすぎる発言によって天海は致命傷を負う。

「エロエロ?色々じゃなくて?」
「色々なんてどーでもいいだろーが、本当にカマトトだな!重要なのはエロだ、エロ!」
「エロ?エロス?確かに子孫を残すには重要なのかもしれない」
「真面目かッ!?そんな堅苦しい意味で重要って言ってんじゃねー!ってかなんでオレ様がツッコんでんだよ!オレ様は突っ込まれるほうだっつーの!」
「もう、いいっすかね?」

それなのに追い打ちのように繰り広げられる名字と入間の会話に天海はもう耐えきれなかった。
つらい。聞いてて、つらい。女の子の口からそんなこと聞きたくなかったっす……。

「とか言いながら、オレ様のような美女があられもない言葉使って興奮したんだろ?このド変態ヤローが!」
「は?」
「ひいっ!?な、なんだよぉ……。少し調子乗っただけじゃねーかよぉ……」

先程まで強気だったのが一変して、天海に対して腰を弱くした。今までの天海なら少女に対して何か優しい言葉を投げかけたかもしれない。だがタイミングが悪かった。

「少し?少しの割には調子乗りすぎじゃないっすかね?」
「ご、ごめんなさぃ……。だってぇ、こんなワケの分かんないとこ連れてこられてんだよぉ?ハメたくて、キメたくて仕方ないのぉ……」

しんと空気が静まり返る。

「ちょっと待ってください。今、聞き捨てならない言葉が聞こえたんでもう一回言ってもらっていいっすか」
「何度も言わせんじゃねーよ!さてはテメー」
「そういうのはいいんで。何をキメようとしてたんすか?」
「最後まで言わせてよぉ……。それかあれか、そういうプレイなのか!?変態だな!テメー!」
「ちょっと黙っててくれないっすかね」
「ヒイィッ。言えっていったのそっちじゃんかよぉ……」

天海が不機嫌を顕にして、入間が怯える。そのクセ、すぐに立ち直った入間がテンションを上げてまた天海が苛立つ。この繰り返しで話が一行に進まない。ふつふつと怒りのボルテージが高まっていく。

「薬じゃない?」

そんな流れを断ち切るかのように名字が切り込んだ。

「えっ、えっ?なっ、なんでぇ……」
「キメるって言ったから。薬をキメると言うでしょう?」

後は話の流れからなんとなく読めた。となんでもないように名字は簡潔に質問に答える。

「それに思考と言動が不安定なところが、頭のおかしい薬物依存者の症状と一致するから」
「んだと、テメー!この天才入間美兎様が頭おかしい訳ねーだろ!それとオレ様は睡眠薬が欲しいだけだ!ラリってるみてーな言い方はやめろ!」
「どう考えてもおかしいっす。常識的に考えて」
「ケッ、常識がオレ様に追いついてねーんだよ!オレ様は常に未来に生きてるからなぁ!」

言いたいことは山ほどあったが、もはや入間には何を言っても無駄な気がしたので天海は口を噤んだ。

「っていうか、オレ様のこと知らねーのか?天才美女発明家の入間美兎だぞ?」
「知らない」
「聞いたことないっす」
「嘘でしょお……」

名字と天海の返答に、ジメジメと入間の頭にキノコが生えるように落ち込んだ。それを見兼ねたのか名字が「入間、入間」と呼びかける。

「なんだよ」
「お薬はないけどこれあげる」

そう言って名字はペンキを入間に手渡した。

「今なら特別にカラーコーンもオマケしておく」
「いらねーよ!オマケじゃねーだろォ!?オレ様に押し付けるつもり満々じゃねーか!!」
「バレた」

名字は両手を開いておどける。入間は「ふざけんな!」と声を荒らげながら名字に詰め寄った。

「俺様のこと舐めてんのか!?」
「舐める?入間を?何言ってるの気持ち悪い」
「なっ、なんだよぉ……。言葉の綾だろぉ?なんで、いきなり塩対応してくるんだよぉ!」

入間は知らない。それが名字のデフォルトであることを。名字は冷静に、抑揚なく話し続ける。

「おかしいから指摘しただけ。それに私は入間を舐めてない。私は入間を遊んでるだけ」
「一緒じゃねーか!アァン、俺様のこと弄びやがってぇ」
「でも入間。嫌じゃないんでしょ?」
「ヒグゥ」

名字がキュッと口角を上げた。今まで無表情で話していたのが嘘のように楽しそうに笑っている。半ば涙目の入間を前にして。

「もうヤダコイツ!とっとと連れて行ってよぉ!」

入間の叫び声に天海はハッと我に返った。流石にこれ以上はいけない。天海にとっても入間にとっても心臓に悪い。

「はいはい、名字さん。行きましょうか」
「えー」
「えーじゃないっすよ。入間さんのSAN値がゴリゴリ削れてますから」
「SAN値?」
「精神衛生上、非常によろしくないってことっす」
「分かったら早く帰ってよぉ!」
「ほら、行きますよ」

半ば無理やり名字の腕を引っ張って、天海は倉庫を出た。(名字の装備品は外して、倉庫に置くのを忘れずに。)

クスクス。笑い声が聞こえて天海は背後を振り返った。手を繋がれた名字が無邪気に声を立てて笑っている。

「入間ってば面白い」
「名字さんも笑うんすね」
「えっ」

天海に指摘されて名字はすっと真顔に戻ってしまった。

「私だって、笑うことくらい……。あったかな?」
「無かったんすか?」
「入間ほど面白い人は見たことないし」
「はぁ」

天海には名字の言う面白いが少し理解出来ない。入間が面白いではなく、変わっているならまだ理解出来たが。

「ところで天海、カマトトって何?」

脈絡なく名字から再び爆弾を投下された。おかげで直撃を食らった天海の顔は引き攣りそうになる。

「なんて言ったらいいんすかね……」
「うん」
「その、あれっすよ」
「うん」

天海を見る名字の目がワクワクとしていた。天海は意を決して口を開く。

「カマトトは知ってるのに知らないふりをすることだヨ」




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