PROLOGUE:005

「カマトトは知ってるのに知らないふりをすることだヨ」

天海は思わず振り返った。

軍服を思わせるようなカーキ色の学生帽と学ラン。そして艶やかな黒髪。丁寧に切りそろえられた髪が腰まで伸びているせいで天海は彼を女性かと思った。が、彼の体型や、先ほど発した声の高さからやっぱり男性だとすぐ様思い直した。
首から口元に掛けて覆われたマスクのせいで、表情は分からない。唯一、黄金に輝く双眼が感情を読み取るサインたが、薄気味悪い。

「面白そうな会話をしてるから、つい割り込んでしまったネ」

ククク、と不気味な笑い声を零しながら青年はそう言う。

「なぜカマとトト?オカマ?」

名字はそんな不気味さを気にしないのか、心なしか前のめりになって青年に質問した。

「オカマではないヨ。所説はいろいろあるケド、カマは蒲鉾の蒲から。トトは幼児語で魚という意味サ。語源は庶民の娘が、世間知らずの富裕層の娘のフリをして『蒲鉾はおトトから出来ているの?』と知っているのにわざとらしい聞いた様子を皮肉って生まれた……という説が有力だネ」

語り上手なのか、それとも中性的な顔立ちのせいか、青年の言い回しがやたら様になっていた。

「へぇ。そんな由来があったんだ。面白い」
「そう言ってもらえて嬉しいネ。説明した甲斐があるヨ。でも説明にはまだ続きがあるんだよネ。カマトトという言葉が使われるようになったのは」
「その前に誰なんすか?」

遮るように天海は疑問を青年にぶつけた。ぶつけられた青年は、おっと。と声を零して帽子の鍔を摘んだ。

「悪いネ、自己紹介が遅れたヨ。僕は真宮寺是清。超高校級の民俗学者サ。民俗学は分かるかい?」

民俗学とはその国の民族の根幹や特性を追い求める学問だ。人の思想や文化を知り、ルーツを探る。人に対して興味がなかったらなかなか難しい学問であることは間違いない。
ただ、興味といっても人間が好き!愛してる!人、ラブ!程まではいらないが。

「まあまあっすかね……。ところで真宮寺君はここに来る前のこと覚えてるっすか?」
「覚えてないヨ。僕にもさっぱりサ。神隠しだとしたら興味深いだろうけど……。違うだろうネ」

言葉にはしなかったが、おそらく人為的なもの。真宮寺もそう思っているのだろう。

「じゃあ何か変わったことはありましたか?」
「そうだなァ……。あぁ、外の様子だネ。変わっているといえば変わっているヨ」
「外?外に出られるんすか?」
「一応ネ。良ければ僕が案内するヨ」

そう申し出る真宮寺に対して、天海は思わず腕を組んだ。

「そんなに警戒しなくてもいいんじゃないかな。取って喰おうってワケじゃないんだからサ。確かに僕は人を殺しそうな見た目をしているから仕方ないけどネ」
「自分で言うんすか。それ……」
「ククク。キミはもう少し肩の力を抜いたらどうだい?そこの彼女みたいにネ」
「私?」

当の本人は首を傾げていた。

……名字さんは特殊な気がするっす。
そう結論付けて天海は名字を参考にするのをやめた。

結局、名字も特に反対ではなさそうなので先を歩く真宮寺の背中を追いかける。

「……そういえば君たちの名前を聞くのを忘れていたヨ」

名字と天海。振り返った真宮寺の視線がさ迷って、名字に留まる。

「名字名前。超高校級の、観察者」

観察者。その言葉に反応したのか、真宮寺の目が大きく見開いた。

「へぇ……!ってことは名字さんも人間観察とかするの?」
「それなりに」
「ククク。それなら尚更、名字さんと民俗学について後で論議してみたいネ。名字さんの視点からなら新しい発見や仮説が出てくるかもしれない。そう思うとアァ……!楽しみでたまらないヨ!」

若干興奮気味になっていたが少し咳払いをすると元の調子に戻った。場の空気を切り替えたいのか、それじゃあ君は?と真宮寺は天海を見た。

「天海蘭太郎っす。……何の超高校級かはちょっと思い出せないっすね」

会話の流れで超高校級の才能を言わない訳にはいかなかった。天海はちらり、と真宮寺の様子を一瞥する。

「そうなんだネ」

真宮寺はあっけらんかんとしていた。その後に「それで?」とでも言いたそうな口調だ。天海は拍子抜けして、えっ。と心の中で驚いた。

「もうちょっと言うことないんすか?」
「怪しいとか?」
「そうっすよ」

ハァ……。真宮寺は深いため息を一つ吐く。

「記憶が無いなんてサ………。あからさまに怪しすぎて、ネェ?」

同意を求めるように真宮寺は名字に訪ねた。名字もためらないなく、首を縦に降る。

「うん。一周回って怪しいけど怪しくない感じ」
「まさにそれだヨ」

名字さんもそんなこと思ってたんすか……。というか、それどっちなんすかね?
しかし真宮寺も名字も、天海に対して視線が鋭くなった……ということはない。そのことに少し安堵しながら、それでいいんすかね。と天海は複雑気持ちになった。

「それにキミの超高校級のことを知っても疑う人なんてあんまりいないと思うヨ」
「えっ、それってどういう意味っすか」
「会えば分かるサ」

そうこう話している内に扉の前にたどり着いた。真宮寺が両開き扉を押すと呆気なく開いた。一瞬、目が眩む。徐々に目が光に慣れ始め、目の前の風景を認識して、天海は絶句した。

空と天海の間には巨大な檻で隔たれていた。どこか町並みに見える瓦礫の山が壁となっていた。そのおかげで地平線は遮られて、外の様子を伺うことは出来ない。

「僕達が起きた時にはこんな状況だったヨ」
「外に通じる道は?」
「ないネ。調べたからサ」

断言する真宮寺に天海の脳裏に「隔絶」の文字が過ぎる。
逃げ場もない。頼るべき警察も当てにならない。一体、この誘拐犯は何を考えているのか。あの食堂の様子からにして、ここで暮らしていくことを強要されるのは目に見えている。

だけどそれだけなのか?いや、違う。まだ何かある。天海は直感的にそう思った。何かとはどんなことか。それを考えようとして、背筋に冷たいものが走るような感覚がする。

「ファイトファイトー!」

天海の硬直を溶かしたのは場違いのように底抜けに明るい声だった。

「夜長!肩!肩食いこんでる!」
「えー。もうちょっとなのにー。あ、解斗。上を見たら罰が当たっちゃうぞ」
「見ねーよ!見れねーよ!」
「二人共大丈夫?無理してない?」

天海は思わず二度見してしまった。

積み上げられたコンテナの前に人がいる。なんと肩車をしているのだ。一番下に茶色いスーツを着た大柄な男が。スーツの男の肩の上に紫色のジャケットを羽織った男が。ジャケットの男の肩の上に黄色いパーカーを纏った女の子が立っている。

つまり、三人で肩車をしているのだ。

しかもそれぞれの肩の上に両足で立つという非常に不安定な形で。

「……何やってんるんすかね、あれ」
「……新手の儀式じゃないかナ」
「……意味が分からない」

天海と真宮寺と名字は顔を見合わせる。

「どうでもいいネ」
「そっとしておくっす」
「今日はもう寝よう」

そして頷いた。もうそこから言葉はいらない。校舎へと踵を返す。

「ゴラァ!その声は真宮寺だな!後、誰だ!?ちょっと待ってろ!夜長、降りれるか?」
「大丈夫だよー 」

器用にするするっと青年の背中をつたって下りて、夜長と呼ばれた少女は地面に降りた。それに続いて青年も、屈強な青年の肩から飛び降りる。

「にゃははははー!是清おかえりー!」
「……一応、聞いておくけどサ。何してたのさ、君達」
「決まってんだろ!このコンテナの向こうにいこうとしてんだよ!」

積み上げられたコンテナの山があった。確かに三人の身長を足せば、コンテナの頂上にはギリギリ届きそうだが。

「バカなの?」
「バカじゃねーよ!誰がバカだ!」

真宮寺の言葉に紫ジャケット男が心外だと言わんばかりに怒っている。だが、バカでなければそんな行動を取ったりはしない。

「皆も超高校級?」
「超高校級サ。……信じ難いけどネ」
「テメーはいちいち一言が多いんだよ。で、コイツらが新しい顔ぶれか?」

顎髭を生やした紫色ジャケットの青年が名字と天海を見比べる。

「初めまして!ゴン太は獄原ゴン太で、本当の紳士を目指してるんだ!」

大柄な体格をした青年だった。大柄といっても、少なくとも天海の身長よりは頭一つ分飛び抜けている。伸びきった髪や鋭く光る赤い目。スーツを綺麗に着ているが、足は素足だ。荒々しい、野性的。彼の見目に対する第一印象を挙げるならそんなところだろうか。

だがどうだろう。名字や天海に呼びかけた声はその真逆だ。穏やか、好青年。そしてそれを象徴するかのようにゴン太は手を2人に差し出したのだ。

「よろしく。私は名字名前」
「わぁ!よろしくね!」

差し出された手に名字は手を置いた。ゴン太の手と名字の手は大人と赤ん坊ぐらいに大きさが違う。握りつぶされないか不安が過ぎったが、平然とした顔で名字の手は上下に振り回されている。

「ゴン太君は超高校級の紳士なんすか?」
「ええっ、ゴン太は超高校級の紳士じゃないよ!?」

てっきり本当の紳士を目指してると言っていたため、天海はそう考えたのだが、どうやら違ったらしい。

「ゴン太君は超高校級の昆虫博士なんだヨ」
「うん!でもここには昆虫さん、なかなか見当たらないんだ……」
「私も探そうか?」
「本当に!?名字さんはすごくいい人なんだね!ありがとう」
「名字さんは超高校級の観察者だから、頼もしいネ」
「また変わった超高校級だな……。それじゃあ、オレも自己紹介と行くか!」

見得を切るように、自身の右手を胸に突きつけた。その拍子に左腕だけ袖を通したジャケットをはためいた。裏地の宇宙模様がこれから名乗る意気揚々とした青年を引き立たせる。

「オレは宇宙に轟く百田解斗だっ!泣く子も憧れる超高校級の宇宙飛行士だぜ!」

えっ。と天海が驚いたのも無理はない。宇宙飛行士になるのは大学卒業が条件だから。そのことを百田に尋ねると

「そこは身分証を偽造してだな……。まあ、バレちまったけど!」

と白い歯を見せながらそう言った。結局バレても、「おもしろいから!」で宇宙飛行士見習いと採用されるあたり、なかなかクレイジーである。

「次はアンジーだね!」

二つに縛った白い髪がぴょんとジャンプした際に跳ねる。あの応援の子だ。

「アンジーは夜長アンジーだよー。超高校級の美術部なのだー」

声色だけでなく見た目も明るかった。健康的な小麦色の肌に、白のビキニスカート。腰にはガンベルトのように何本か筆を装備したベルトをつけている。流石に露出が多い……。と思いそうだが鮮やかな黄色のロングパーカーで、辛うじて目のやり場には困らなかった。

「美術部?」
「そうだよー。絵も描くしー、彫刻も彫るよー」
「アンジーさんのことだから楽しげな作品が多そうっすね」
「そんなことないかもー?神さまの気分次第だねー」

神様……?天海は言葉に詰まった。

「アンジーは神さまに体を貸してるだけなんだ。実際に作ってるのは神さまだから」

あぁ、なるほど。
天海は理解した。アーティストによくある極限状態に陥ると、神が降臨したような良い作品を生み出すというやつだろう、と。

しかしちょっと違うんじゃないかという天海のカンが働いたが、神様というワードに触れるのは少し危険な気もしたのでそれ以上は何も言わなかった。

「で、お前の名前はー?アンジー聞きたいなー」
「俺っすか?」

ワクワクと好奇心に満ち溢れた六つの瞳の前へ天海はさらされる。真宮寺や名字を見ても無言のままで、「早く自己紹介したら?」と言うような体だ。

「……天海蘭太郎っす。才能は、なんでか思い出せないんすよね」

上手く笑えているだろうか。天海は笑顔の裏側で、そっと三人の様子を覗き込む。

「ええ!?そうなの!?大丈夫!?」
「思い出せねーって、まだ記憶が混乱してるのか?」
「そうかもしれないっすね」

それだけではないような気もするのだが……。根拠のないことだ。天海は無難に相槌を打った。

「大丈夫!神さまならイケニエを捧げたら思い出せるよ!今なら神さま優待券キャンペーンやってるよー」
「何の宣伝だよ!?ってかイケニエってなんだ!?」
「イケニエはイケニエだよー?ちょっと神さまに捧げるための」
「や、やめろ!!もういい!分かったから!!」
「も、百田君落ち着いて!?えっと、こういうときはヒッヒッフーだよね?」
「ちげーよ!?男のオレが使っても意味ねーよ!」

あぁ、なるほど。
ぎゃあぎゃあと騒ぐ百田達を目にして、天海はそう思った。そんな彼らを真宮寺に目を向けると、こちらに気付いたのか見返してくる。

真宮寺は瞼を閉じた。口元は見えないが、それでも真宮寺が呆れ気味に笑っているように、天海の目には映ったのだ。

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