「どうしたんだ? そんな疲れた顔して」
「きどうくん」
八月が終わってしまった。
秋に繋がる季節。随分と涼しくなったとはいえ、まだ少しぬるい風が俺と彼女の首筋を撫でる。横に座れば、弱々しく自身の膝を抱え小さな身体を一回り小さくした彼女が口を開いた。
「私の事を悪く言う人のこと、気にならなくするにはどうしたらいいんだろう」
体育座りをしている彼女は膝小僧にちょこんと顎を乗せて、ぼーっと俺が先程居た場所に目線を向けている。つい 一週間前は秋には何が待っているだろうと楽しそうに目を細め、夏へ前向きな別れを告げていたというのに……。今日の彼女は様子がおかしかった。
「何かあったのか?」
「……鬼道君はさ、顔も分かんない、名前も分からないような相手に嫌な事言われた時どうしてる?」
「そんな事気にしたことがないから分からん」
「そういうと思った」
生ぬるい風が時折ひんやりと感じられるのは立ち止まっているからだろうか。彼女は、じっとそこにはいない何者かを睨みつけるように空間に目を向けている。
「第一、顔も名前も知らない人間からどう悪く言われるんだ」
「……SNSでたまにあるんだよね、私がこうやって生きてるだけでムカつくとか、その……言葉に出せないくらいもっと酷い事だって」
「そんなもの気にしなければいい」
「それは分かってるけどさ、気にしちゃうよ。弱いのかなぁ、私」
いつも木野や春奈や雷門と楽しそうにマネージャー業に励み、俺達の背中を押してくれる力強い彼女……。そして、俺にだけはにかんでくれる明るい彼女の笑顔はそこにはない。消えてしまった光の理由に心臓がもやっと嫌な曇りを見せた。何故わざわざ人が傷付くような事を言えるのだろうか。
「だが、どうしてそんなに気になるんだ?」
「分かんないよ、今までの人生で優しい人にしか出会わなかったからかな」
「そうか」
「……なに?」
「だからお前は優しいんだろうな」
「どうしたの急に」
「お前は人の嫌がることを言えないだろう? 傷付ける事でしか自分の存在をアピールできない人間に何故悩む必要があるんだ、お前の良さを分かろうとしない馬鹿にくれてやる時間なんてない、違うか?」
さらり、と、前髪を風が撫で、無防備な彼女の額が露になる。ぼさぼさのそれを人差し指で直してやれば、ぽつりと「ありがと」なんて少し照れた様子の声色で彼女は俺に笑いかけた。いつも通りの可愛らしい笑みにホッと頬を緩める。
「鬼道君」
「どうした」
「ごめんね」
「謝るな、お前は何も悪いことしてないだろう」
「いやー……悩んでばっかで情けないなって……」
「別に構わないさ、お前の心が優しいから悩むんだろう。人から傷付けられ、人を傷付けて胸を痛めない人間なんて相手にしなくていい」
そう言って俺は立ち上がる。制服の布が素肌をさらりと撫でて、本当に夏は終わったのか、と。急にアンニュイな気持ちになった。空に浮かぶ小さな雲をゴーグル越しに数え、俺は下でまだ小さくなる彼女に手を差し伸べた。
「今日は部活がないんだ、お前の好きな事をしないか?」
彼女は俺の提案に何度も瞬きをして、困ったように眉を垂らすと俺の大好きな照れ笑いを浮かべて、手を取った。
「鬼道君がいてくれてよかった」
「……その言葉は恋人として嬉しいが、お前の事を大切に思う人間は俺以外にも沢山いるさ、その事を忘れるなよ」
引っ張り上げれば背を向けていた部室の壁に彼女は手をつく。じんわりと眼球を潤す涙を零さないように何度も瞬きした後、彼女は口角をふわりとあげ、俺の手をギュッと握った。
「あーあ、なんで悩んでたんだろ? 九月になったし、梨か栗のスイーツでも食べに行きたいな。鬼道君は何がいい?」
そう言って校門へと俺を引っ張る彼女。いつもは俺達を応援してくれる彼女に、今日だけでも俺が光になれただろうか。そうだと嬉しいものだが、と、口角を上げ早足の彼女に合わせ歩幅を広げた。
20180903
→20211203修正