03

「〇か」



ごった返す店内の奥、〇が随分と氷の溶けた紅茶を片手にストローでかき混ぜていた。遠くを見ている彼女は 昨日のように顔色が優れない。



「久遠 監督」

「相席いいか、空いてなくてな」



ギッと音を立てて椅子を滑らし、向かい合わせになるように座った。グラスにベッタリと浮き出る水滴が流れるのと同時に、私は口を開いた。



「〇、今日も浮かない顔だな」

「...バレてしまいましたか」

「そんな顔をしていればな」



ホットコーヒーが溢れそうになるカップを片手に一口飲めば、安臭いインスタントっぽさが口に広がった。いつものコーヒーの美味い店は閉まっていたので仕方ないにせよ、これでは 300円の価値さえないな。そんな事を考えながら〇を見れば「久遠監督も分かりやすいですね」と片眉をあげて笑った。



「分かりやすいか」

「不味いって思ったでしょう」

「正解だ」

「私もここ不味くて嫌いなんですよね、なのに来ちゃうんです 変ですよね」



この近くは確か、雷門中学の近くか...彼女にとって思い出の店なのだろう。1口紅茶を口に含んで 苦い顔をして飲み込む〇、不味いなぁと誰に言うわけでもなく零したその声は 初めて聞く声だった。

そんな姿を見ていたら、不味いコーヒーを飲みたくなって カップに口をつけた。



「久遠監督って外で見ると芸能人みたいですよね、俳優さんぽいっていうか」

「そんな事は無い」

「そうですかね」



目を細めて少しだけ楽しそうに笑う彼女の 目尻に一瞬だけ見とれてしまった、この年齢特有の睫毛の多さに 色を感じるなど疲れていたのか それとも普段笑わない人間が自分に向けて微笑んだからか。

口元が緩んでいく私に気付いた彼女は「また、笑った顔見ちゃいました」と無邪気な話し方で、ストローに口をつける。










久遠監督は私の話を 頷きながら聞いてくれている、雷門で生きてきた私達サッカー部の話をしたら 彼は「楽しそうに話すんだな」と口元に手を置いて笑った。確かに...こんな風に楽しい思い出を誰かに聞いてもらうのなんか久しぶりだ。

なんだか 心をクレンジングオイルで洗ったみたいにさっぱりとしてる、柑橘系の匂いがしそうな程 楽しい気持ち...。



「私 実はよく笑うんですよ久遠監督」

「...私もだ」

「え、絶対嘘じゃないですか」

「歳をとるとな 笑い方を忘れてしまうんだよ」



久遠監督の少しだけ困った顔、普段はひとつの表情しか見る事が出来ない彼の様々な表情が見れたのが嬉しかった。

今日も薄らと ムスクの香りが、夕方が近付いてくると その匂いはなんだか大人の香りで 急に今二人で話をしている事を思い出して...意識してしまった。



「...もうこんな時間か、帰ろうか」

「はい あの...楽しかったです」

「私も ゆっくりと話せて良かった、家はこの辺か?」

「はい ここから10分以内のところです」


「送っていこう」



まだ暗くなるまでは1時間程あるだろう、なのに 久遠監督は"危ないだろ"って顔をして立ち上がった。

大人の男の人とこうやって 一緒に帰るなんて、初めてだ...私のグラスと自分のコーヒーカップを同じトレーにのせて返却口へ持っていくと 久遠監督は私の方を向いて「行かないのか?」と少しだけ首を傾けた。

私は はい! と、無駄に元気よく返事をしてしまい笑われた。ドアを開けてくれて その隙間を私は通る、エスコートされている気分になって なんだか...変な感じ...。

変に意識したせいでさっきみたいに会話を上手く繋げることが出来ない私は、自分の足を踏んずけてしまった。

バランスを崩して 倒れそうになる私、そこに運悪く 通る赤い車...そういえば昨日もこうやって転びそうに...



「危ない...っ!」



赤い車が私と久遠監督の真横を通って行った、もう少しで轢かれるとこだった...私の身体を抱き寄せてしゃがみ込む久遠監督。

昨日と同じだ...また助けられてしまった、先程のムスクの匂いを胸いっぱい吸い込めば身体中が甘く痺れた。



「まったく、二日連続だぞ」

「...すみません」

「次からは気を付けるんだ」



くしゃりと 頭を撫でた後、私の腕を引っ張り立たせた。久遠監督の 熱が離れていく...


この名残惜しさの名前を 私は知っていた。




20180516