楽園は崩れ落ちた

 無我夢中で走り、獣のような声をあげ続けた。叫んでいないと、気が狂いそうだったからだ。 ぽたりぽたりと、落ちてくる雨で身体を濡らしながら、私はあの公園へと向かう。荒い息。浅く吸っては、深く吐き出した。この世界は今何色なのだろうか。雨に濡れた身体がどんどんと冷えていく中、昨日二人で寄り添ったジャスミンの前に、彼女の姿を見つけた。
 名前を呼んだが、返事はない。ようく見ると、彼女の身体は抜け殻のようにくったりと横たわっていた。
「嘘だろう、嘘だと言ってくれ……」
 ピクリとも動かない彼女の元に走り出したかった。だが、冷たくなった母親を思い出してその一歩が踏み出せなかった。彼女が生きているのかどうかを確かめたいのに、私はどれほど臆病者なのだろうか?
 強くなる雨の音さえ聞こえない。轟轟とした雨音は、真っ赤に見えた。
「私のせいだ、私の……すまない、すまない」
 私は今泣いているのか、それとも、笑ってるか? もう何もかも分からない。そんな中、また携帯が鳴った。それは今までで一番の不快な音で、 震える指で必死に通話ボタンを押した。
「やあ影山君、プレゼントは気に入ったかい?」
「何をしたんだ、この悪魔……ッ!!」
「おやそんなに喜んでくれるとは嬉しいね、彼女はね君の為に天国へ逝ってくれたんだよ」
 ガルシルドは豪快に笑い続けた。心底楽しそうに。この男は悪魔だ。
 そう、分かっていたというのに……。自分の幼さと、弱さが、その悪魔の力を欲しがった。その代償を払わなければならない日は来ると分かっていた。だが、それが、純粋に生きてきた彼女の命だなんてあんまりではないか。
「許さないぞ、ガルシルド……」
「ふん、君はまだ分かってないようだね。大切な人間を”何人”失えば君は自分の立場を理解できるようになるのか……数えてみようか」
 半ば脅しのその言葉に私はどうとも思っていなかった雷門の部員達の顔が思い浮かんだ。何故その言葉に、あの忌々しい奴らの顔が浮かぶのだろうか。目線を落とし、冷たい地面に無造作に捨てられたように横たわっている彼女を見つめた。
「分かりました。もう二度と貴方には逆らいません」
 私の言葉に、満足気な低い笑みを浮かべ、忌々しい男は「分かればいい」と通話を切った。震えているのか、ふわりと浮かんでいるのか、体が透明になったのか、自分の肉体から魂が抜けてしまったのか。何も分からない。ただ、一つ分かるのは私のせいで彼女が死んでしまったという事実だけ。
 一歩、一歩と頼りない足取りで彼女に近付いているのは本当に私なのだろうか? それとも、違う人間なのだろうか?
 あの男の言う通りだった。
 彼女には魂がなかった。まるでゴミでも捨てるように彼女を投げたのだろう。冷たい身体をどうにかして温めれば、もう一度目を開けてくれる気がして、私は彼女を抱き締めてみた。
「こんな場所に一人でいて寒かっただろう」
 なんて情けない言葉しか出ないのだろうか。冷たい彼女を無慈悲な雨が濡らしていく。
「もう一度……目を開けてくれないか、なぁ……頼む、起きてくれ」

『影山君大好きだよ』

 綺麗な桜色の唇は、青紫になっていた。
 もう二度と聞けないその言葉を私は思い出しながら、彼女の唇にそっと指をのせる。かたくて冷たい。「私も大好きだと 昨日言っていれば」「すまなかった」「お前が居なくなったら、私はどうすればいいんだ。また独りじゃないか……」嗚咽が漏れる。はっきりと雨とは違う熱いものが頬を伝った。
 ジャスミンの香りは雨のせいか昨日より強い。あの日、復讐から目を逸らして、彼女の光を求めたせいで、私のせいで死んだんだ。
「独りは嫌だ」
 獣のような泣き声でさえ、もう彼女の耳には届きはしないというのに、二度と目を開けない彼女に私の汚い涙を零して、何度も、何度も謝った。
「大好きだ、永遠に」
 彼女なら私を闇から救い出してくれるだろう、なんて、所詮子供の考えた夢物語だったのだ。ふっくらとした桜色の唇を思い出して、彼女の冷たい紫の唇に自分の唇を重ねる。初めてのキスは 雨の味と、自分の涙の味がした。
「っは……今日は、私の方が温かいな」





20180622

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