蒼白い囁き
暫く私は、彼女の亡骸を抱き締めていたが、泣き暮れるのはもうやめる。これ以上、こんな冷たいところに彼女を置いてはおけない。そう思い、病院に向かった。彼女を抱き上げて走る。まだまだ降り続ける雨は恐ろしいほど冷たい、いい加減に止んでくれと叫ぼうにも、私の喉は乾き切っていて掠れた声しか出なかった。
「もうすぐだ、もうすぐ着く」
足が冷えて指先が痺れているのに、私は走り続けた。自分の足なんてどうなっても構わない。彼女をこれ以上惨めにさせたくなかった。私が彼女に出来る、最後の事はこれだけ。
病院の入り口を蹴り開けて、受け付けまで走る。なんだなんだと、こちらを見てくる待合室の老婆達。それを無視して、受け付けにいた女に顔を向けると、私の腕に抱えられた彼女を見て顔色を変えた。「こっちに! 早く!」なんて、焦りを孕んだ声を出し、診察室に連れて行こうとする女。
「診察は必要ない」
「その子意識がないみたい」
「もう死んでる」
「……え?」
誰かが唾を飲み込んだらしい。
それは私だったかもしれない、目の前の女かもしれない、後ろにいる老婆かもしれない。兎に角誰かの唾を飲み込んだ音が耳に響いたのだ。目の前の女は「とりあえず、診察室に入りましょうね」と、出来る限り優しい、落ち着いた声で私にそう言った。
「影山……!!」
憎い円堂大介が私を呼ぶ。
声のする方にゆっくりと首を動かせば、円堂大介の後ろに見える響木や備流田、会田や浮島の姿が私を見つめる。輪郭がぼやけている。ずっと雨に打たれていたからだろうか、目がカサついてるようだ。
「大丈夫……じゃないよな」
「冷たかった、見つけた時にはもう、真っ白だった」
ぼやけた掠れ声が病院の陰気な廊下にこっそりと響いた。心配したのだろう、響木が私の横に座る。途端に人間の温かさを感じて、鳥肌が立った。
「お前とマネージャー付き合ってたんだよな、なんて言ったらいいか……」
「言葉などいらん」
弱い心は、今日で終わり。
「私は 勝ち続ける」
あの男がもう手を出せないように先手を打てばいいのだろう? バンダナを解いて、心底悲しそうに眉を垂らした響木の目尻に溜められた、透明な優しさを見て私はゆっくりと目を閉じた。
「勝利だけが全てだ」
これは自分自身に向けた言葉。お前達は、私のいる闇とは無縁の場所で生きていけばいい。憎い相手だったというのにな。毒が抜けきった今日は、奴等が死なない事を握り拳に願うしかなかった。
「……影山、第一発見者として警察署に一度来て欲しいそうだ」
「分かりました」
「待ってください!」
聞き覚えのない声に誘われるようにして視線を向ければ、青白い顔と、ぽっかりと死んだような目をした細身の女が立っていた。それが彼女の母親だとすぐに分かり、心臓が震える。なんと言えばいい。私が殺したも同然だというのに。
「少しだけ話せるかしら?」
無言で頷けば彼女の母親は、力のない笑みを浮かべて手招きをした。
20180623
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