「――…ジュノンに出張?」
それはまた、ある日の午後。
シンバは飲みかけていたコーヒーを手につけようとしたところで、その手を止めた。
「あぁ。社長の付き添いでな」
頭の後ろで腕組みをし、背もたれにこれでもかというくらい自身の体を預け、ついでにその足をデスクの上に乗せているレノ。…とても仕事中とは思えない格好だ。
「…ルードも行くん?」
「あぁ」
ルードの一つ返事を聞いたところでコーヒーを口元に運ぶ。
「何だ?…俺がいなくて寂しいってか?!」
レノの発言にシンバは飲んでいたコーヒーをマグカップに吹き戻しそうになった。
「っなんでやねん!寧ろ静かになってせいせいするわ!!」
…なんでこの男はいつもこうなんだ。ため息と同時にマグカップをデスクに置くと、
「たまには一人もいいだろう。…よろしく頼むぞ」
ドス。と鈍い音を立ててシンバの目の前に置かれた分厚い紙の束。その束を持つ手の主―ツォンとそれとを交互に見やる。やけに多くないか、と涼しげに去りゆくその背中を悠長に見ていたが、…そこでようやく気づいた一つの事実。
「…っえ?まさかツォンさんもおらへんの!?」
「あぁ」
「ウチ一人お留守番!?」
「俺は連れていくって言ったんだけどよー…女はいらないってよ」
残念だったな、とレノはシンバの肩に手を置く。慰めのつもりだろうか。
「女がおったらアカンのかぁ…なんかある意味危険なニオイがしますな」
「心配するなシンバ。俺はお前以外の女に興味はねえぞ、と!」
「誰もそんな事聞いてねえし!!」
レノの全開アピールをスラッとかわし、「一人かぁ」と改めて実感するように呟く。
ここへ来てかなり日は経つものの、未だ一人で仕事をした事はない。誰かがいたから安心して着々と仕事をこなしてこれたのに。仕事を任されるという事は自分も一人前になったという事かもしれないが、嬉しい反面それ以上に不安感満載である。
「いつも通り過ごしていればいいだけだ。この期間は緊急の仕事以外は受け付けない事になっているから安心しろ」
毎年の事だ。とツォンは付け足す。
…毎年恒例の男だらけの用事。シンバの頭の中ではありえない妄想が既に始まっていた。
***
次の日――
「では頼んだぞ」
「…いってらっしゃいましー」
小さく手を振って出て行くツォンとルードを見送る。本当に行ってしまうのか、いざとなると寂しい。…とか思ってみる。
「シンバ!いい子にしてるんだぞ〜、と!」
レノはシンバの髪をこれでもかというくらいクシャクシャにしながら悪戯に笑ってそう言った。
「うーざーい!!ウチはいつでもいい子やし!!」
乱された髪を整えながらレノを睨みつけようとした時、同時に彼は目の前にあるものを差し出した。一瞬それが何か分からなかったシンバは視点をそれに集中させる。…それは、何度となく見た事があるモノだった。
「お守りだぞ、と」
変な男がよってきませんように。と変な事を口走りながらレノはいまだにポカンとしているシンバの左手をとりそれを強引に持たせる。
…それは、レノがいつも愛用しているロッドだった。
「…レノの武器やん?」
「俺が昔使ってたやつだ。護身用に使えるだろ?…襲われた時にビビビッとな!電撃くらわせてやれ」
いいだろ?と笑うレノ。一人でお留守番をする自分の事を心配してくれているのかもしれない。なんだかんだでレノはいい奴である。なんだかシンバは嬉しくなった。
「…せやな。さっそく目の前の変態に試してみよか?」
「いいぞ。…ってそれ俺じゃねえか!」
「おー!ノリツッコミ!!」
シンバとレノは顔を見合わせ笑いあった。
…それが、二人が心から笑顔になれた最後の瞬間とも知らずに――
*
レノが出て行き、誰もいなくなり静まり返ったオフィス。改めて見回せばこんなに広かったのかと感じながら、意気込むように大きく息を一つ吐きシンバはパソコンと睨めっこを開始した。
「…――」
しばらく黙々とキーボードを打っていたのだが、寂しいうえにヤル気も起きない。それになんだか嫌な気しかしない。胸騒ぎがする。…そんな悪循環を繰り返していた。
「っもー休憩!」
気晴らしにレッドのところへでも行こうかと、既にシンバの脳は仕事モードオフ。彼のモフモフ感で寂しさを紛らわし、元気をもらおうと思ったのだ。えらく早い休憩だが、今日は誰にも咎められないという自由な日。たまにはこんなのも悪く無いだろうとパソコンをスリープ状態にし立ち上がろうとした、
その時。
「!」
…開くはずのないオフィスの扉が開いた。
そこには、白衣を着た男―まったくこの場に関係ない人物達の姿。…嫌な予感は的中したようで、シンバは少し身構える。
「シンバ。というのは君か?」
「…違います」
身の危険を感じ反射的にそう言ったが、その返事に男は確信したかのような笑みを浮かべた。
「ふっ…嘘はよくないな。こちらはもう君の情報は入手済みだよ」
…だったら最初から聞くなよ。とシンバは呆れた溜息をつく。
「…何か用ですか?」
「ついてきたまえ。宝条博士がお呼びだ」
「宝条…!?」
宝条。神羅科学部門のエキスパートであり、実験の為なら手段を選ばない―何でもかんでも実験サンプルにしようとする非道な人間。ゲームで宝条が登場した時から気に食わない存在だった。最後まで好きになれなかった唯一のキャラクターでもある。
まさかこんなに早く会う事になるなんて思ってもいなかった。確かに同じ神羅ビル内にはいるけれども、レッドに会いに行っていた時だって会わなかったわけだから彼は研究室に引きこもっているのだろうと思っていた。それに引きこもりっぱなしだから周りの流行・情報には疎いだろうと。新しくどこに誰が配属されたなどは全く興味がないだろうとばかり思っていたのに。…そんな宝条が自分になんの用があるというのか。
「……嫌だ、と言ったら?」
「なにを嫌がる事がある?神羅の天才科学者が君をご指名しているのだぞ?これより喜ばしい事が他にあるかい?」
シンバは何も言い返せなかった。…否。引きすぎて何もつっこめなかったと言った方が正しい。
「…嫌なら仕方がない」
男が白衣のポケットから取り出したのは、銃。
「…!!」
「連れてくるのに、手段は選ばないそうだ」
――まじか。
…自分が思っている以上に、事は深刻なのかもしれない。
***
「――クックックック…待っていたよ」
実際に見る宝条は思っていたよりも小柄だった。しかし、見るからに他の研究員より醸し出す雰囲気が怪しすぎる。胡散臭い、とはこういう事かもしれない。
「見せてもらったよ、君のデータを。素晴らしい力だった…」
まてまてマテ待て。データって何だ。…つうかどこ見て喋っているんだこの人は。自分に話しかけているのは確かなのに、その姿をその目に映そうとしない、掴みどころのない男。
「どうだね?私の実験サンプルにならんかね?」
「…は?」
いきなりの発言に思考が停止する。なにを言っているんだこの男は。確かにゲームの中でこの男はこんなセリフばっかり言っていた気がしなくもないが、まさか自分に向けてこのセリフが吐かれるなど誰が思っていただろう。
「クックックック…。まあ君にはNOと言える権利はないのだがね」
「…どういう意味?」
「既に許可は得ている。君は今日からタークスではなく、私のペットだ」
「…どういう事?許可?…許可って何!?」
シンバが身を乗り出そうとした瞬間。両サイドにいた白衣の男性に腕を掴まれてそれを阻止されてしまった。
「おや?聞いていないのかね?君の仲間は冷酷なようだね。…いや、寧ろ優しさというべきか…」
「何言って――」
「"許可"を得た。と言っただろう?」
「そんっ、そんな事…!」
状況が飲み込めない。何を言っているのかさっぱり理解できない。
そうして両端の研究員を振りほどこうとするも、男二人には到底叶わない。相手はタークスだからか、やたらその研究員達の体格が良いことに今更気づく。
「離せ!誰がアンタのペットなんかなるか!そんなん…レノ達が許すはずないわ!デタラメばっか言ってんじゃねえよ!!」
とにかく掴まれている両腕が不快だった。一応自分は女の子なんだからもっと優しく扱えと言わんばかりに、シンバは両サイドの研究員を睨みつけた。
「理解の乏しい子だ…。まったく、残念極まりない」
宝条はかけている眼鏡をクイッと持ち上げ、ゆっくりと近づいてきて、そして、
「ハッキリ言えばわかるのかね?君は――」
売られたんだよ、タークスに。
宝条は言った。耳元で、低い声で、そうハッキリと。
「……嘘、」
「いつまで足掻く気だね?…現に今君たちの仲間は何処にいる?」
「…っ」
「何故君だけここに残っているのだね?」
「…っそれは、」
何も、言い返せなかった。
…人身売買。どこぞの国などではある事らしいが、そんな事が自分に行われるなんて信じられない。いや、信じたくないんだけれども、何故か宝条の言い分の方が正しいような感覚に陥ってしまう自分がいた。
すっかり勢いを失ったシンバの右腕を研究員が離すと、その腕は重力に従いうなだれるように下に落ちていく。
「…連れてこい」
宝条はそう一言言うと、シンバに背を向け歩き出した。
「…――」
ドクリ、ドクリと鼓動が上がる。その背中を見つめていたシンバの目の先に、今までのレノ達との会話ややり取りが走馬灯のように映し出されていく。
ゲームでは非道な人間として映されていた彼らだが、実際接してみるとそんな事は微塵も感じられなかった。気さくで、優しくて、あんなにみんな自分によくしてくれたのに。レノはもとい―ツォンやルードだって、すごく可愛がってくれていた。…あれは、嘘だったのか。仲間だと思っていたのは、自分だけだったのか。
自惚れ。裏切り。
その三文字が、シンバの頭の中を過ぎって消えて行った。
「…さぁ来い」
左腕を掴んでいたままの研究員が前に一歩踏み出すと同時、引っ張られるように足を前に出す。なすがままに、前へと歩き出さざるを得なかった。
――…っ、
こんなはずじゃなかった。自分は実験をされるためにこの世界にきたのだろうか。…彼は、その為に自分を拾ったのだろうか。
…聞きたくても、彼はここにはいない。絶望感だけがシンバを蝕んでいった。
*
連れていかれた先は一面真っ白な部屋だった。真ん中にベッドが一つと、それを取り囲むように並べられた機械達。実験の為だけにある部屋だという事が嫌でも感じられた。
そこで白い服を渡された。実験するにはスーツは邪魔、ということだろう。今更抵抗する気もない為素直にそれを受け取ったが、ただそれを見つめていることしかできないでいる。
…そんな放心状態のシンバを見兼ねて、女性研究員が強引に着替えさせてきた。
「…――」
その女の人はとても綺麗な人だったが、自分に向ける憐れみも同情心も浮かべてはくれなかった。その変わらない表情はまるで人形のようで、背筋がゾッと音を立てる。
研究員達にも感情はないのだろうか。神羅が酷い連中だって事、ゲームで知っていたはずなのに。実際自分がこんな仕打ちを受けると、それをもろに痛感させられた気がした。
「……」
なされるがままに纏った白いワンピース。まるで患者だ。
…何をされるのだろう。今はもうレノ達の事を考えるよりも、何をされるのか分からない恐怖の方が勝っている。
「…そこのベッドに寝て」
女に指示され、言われた通りにベッドに横になった。瞳に映るのは一面真っ白な天井だけ。
シンバが横になったのを確認すると、女はシンバの腕をベッドに固定し始めた。
「っ、」
腕に小さな痛みを感じ視線を下げてみると、注射針が腕に刺されている。気付けば周りには研究員が幾人か増えていた。
しかし、誰もシンバの様子を気にかけようとしてくれなかった。そこにいるのは、表情も変わらない、機械仕掛けの人形達。
恐怖。その二文字がシンバの心を支配していく。
――…
研究員達の動きを目で追っていると、目の前がグルグルと回る感覚が襲って来た。酷い目眩。きっとさっきの注射で何か薬を盛られたのだろうか。目眩を抑えようとそっと目を閉じる。
…その瞬間、シンバの目尻から一粒の涙がこぼれ落ちた――
***
――…
…どのくらい眠っていたのだろうか。夢を見ていた気がした。思い出せないけれど、とても悲しい夢だった気がする。
自分は確かにそこにいた。…人、だっただろうか。
自分はまだ、人だろうか。
「…――」
ゆっくりと目を開ければ飛び込んでくる、白。目を閉じる前に見た景色と、同じ色。まだ視界はハッキリしないが、シンバは目線を下へとずらした。目に映るは自分が着ているであろう白い布から伸びる肌色の腕と足が、それぞれ二本。一つ大きめの溜息を吐いたシンバは、自身が人の姿をしたままの事にとりあえず安心する。
…しかしその安心も、つかの間だった。
目を覚ましたシンバを待っていたのは、苦痛を伴う実験の数々だった――