コツ、コツ、コツ――
「「…!!」」
静寂に包まれていた二人の耳に聞こえてくる足音。それにハッとなったシンバは拒絶するかのようにクラウドから身を遠ざけ、逃げるようにその場を去ろうとした。
「シンバ、待て――っ!?」
懇願するような、悲痛な彼の声に胸が痛くなる。けれども振り返ってはいけない。…否、振り返れなかった。振り返ってしまえば、その手を握り返してしまえば、
「…ウチは、戻らへん」
「…、」
「もう、戻れへん」
さよなら。その言葉だけを残して、背を向けたままシンバはその場から姿を消した。
クラウドはそれを追う事が出来なかった。力ずくで彼女を引き止める事だって出来たのだろう。…でも、出来なかった。
「シンバ…――」
「――…っクラウド!!こんなところにいたのね!」
「勝手にいなくなんじゃねえよ!!」
その残像を追うようにそれに目を向けていたクラウドの背にかかったのは、先ほどまで一緒にいたティファとバレットの怒気を含んだ声。その足音は、神羅兵ではなく彼らのものだった。
「…すまない」
「何かあったの?」
「……いや、何も」
「…そう」
何事もなかったかのように歩き出したクラウドの背を、ティファは黙って見つめる。
「…クラウドってさ」
「あ?」
少し寂しそうな、悲哀を含んだその背中。
「…嘘つくの、下手だよね」
何かあった事なんて、一目瞭然だった。
***
プルルルル――
煩く鳴り響く呼び出し音と、自分の鼓動。深呼吸をしてなんとか落ち着きを取り戻そうとシンバは必死だった。
…どうしてこんな事に。何故、こんなことに。抑えていた気持ちが、忘れようとしていた気持ちが、込み上げてくるかのように目から涙となって流れてやまない。
「…もしもし?」
そうしてかけた一本の電話。電話の相手はいつも通りの声色で、それに少し安堵した。
「…ちょっとツォンさんに呼び出しくらってしもて。オフィスに戻るわ」
なるべく平常に、悟られないように淡々とした口調でシンバは声を発した。
相手の一つ返事を聞いて、即座に電話を切る。こんな状態で彼の元には戻れない。また一つ、嘘をついた。…いや、何もかも偽っていた。
もうどうしたらいいかなんてわからなくて。何が正しくて、何が悪かったのか。…神羅に戻った事が、いけなかったのか。
「…――」
…否、最初から、全てがいけなかったのだ。
彼らに関わった時点でシナリオは狂い出している。皆を騙してきた事も、皆の気持ちを弄んできた事も、自分を正当化してきた事も、何もかも。
消えてしまいたかった。エアリスを助けられずに悔やんだ時に、自分の存在を否定した時に、あのまま消えてしまっていればよかったのだ。必要とされているからなんて、星を救いたいからって、自分を優先した結果こうなった。星は自分を必要としていないのに。星は、自分がいなくても救われるのに。
「……、」
"元の世界に帰る"――今まで考えてこなかったそれが、頭の中を埋め尽くしていた。このまま自分がいなくなれば全てが丸く収まるわけではない。何もかも中途半端にしたままでは、いなくなったって意味はないのかもしれない。
しかし、もうレノには会えそうにない。どんな顔して彼と接すればいいのかなんてわからない。自分は元々器用ではなく、思いっきり顔に出てしまうタイプだ。
彼を傷つけたくはない。…でも、もう遅い。分かってる。自分を本気で愛してくれている彼を、既に自分は裏切ってしまっている。何もかも悪いのは自分。流れに乗ってしまった事も、彼を利用して全てを忘れようとした事も、少しでもクラウドの姿を目に留めておこうとした事も、結局彼に出会ってしまった事も、そうして自分の本当の気持ちに気づいた事も。…全部全部、何もかも。
全ては自分の為。結局自分の為。
――…。
…何が、星の為。
…何が、クラウドの為。
「…っ――」
シンバは袖で乱暴に涙を拭うと、勢いよく立ち上がった。誰にも見つからないように、自分の存在を知られないように、そそくさとその場を後にした。
***
「――ねえ、クラウド。何かあったんでしょ」
疑問ではなく、確信的にティファは聞いてきた。動揺した自分を上手く隠す事が出来なかったのだろうかと後悔しながら、クラウドは一つ覚悟をするようなため息を吐いた。
「…シンバがいた」
「シンバが!?」
「…あぁ」
クラウドの頭の中で回想される、先ほどの出来事。久しぶりに感じたシンバの温もり、シンバの存在。やはり自分には彼女が必要だと、もう離れたくないと本気で思った。
「シンバと話したのね?」
だから、離したくはなかった。
…けれど、離してしまった。
もう戻れない。そう言って踵を返した彼女の首元にふと見えたそれが、
「……、」
クラウドの体から、思考から。全ての思いを奪っていってしまった。
「クラウド?」
「……話せなかった」
「え?」
「…見失ったんだ」
まさか、そんな事。未だに信じる事が出来なかった。見間違いだって思いたくても、思えなかった。その跡を付けた人物が誰か、容易に想像出来てしまう自分も憎らしく思えて。
「…シンバは」
どこから自分達は、いつから自分達は、こんな事になる道を歩んできたのだろう。一緒の道を辿ってきた筈だった。同じ道の上を、歩いてきたつもりだった。
…そう思っていたのは自分だけだったのだろうか。道が別れていた事に気づけなかったのは、自分が道を踏み外してしまった為か。シンバが、本当は最初から別の道を辿っていた為か。
「…もう――」
「――っクラウド!大変だ!」
クラウドの消え入りそうな声は、バレットの声によってかき消された。焦ったようにその巨体を揺らすバレットに、ティファはクラウドの言葉の続きを気に留める事が出来なかった。
「マテリアが回収されてる!!」
「…っ急がなきゃ!クラウド!!」
今自分がすべき事。あれこれ悩むよりも、すべき事。クラウドは頭の中を空っぽにするようにフルフルと首を振り、走る二人の後を追った。
***
「――…」
海の青も空の青も、全てを焼き焦がすような燃える赤が染め上げる中をシンバはバハムートの背に乗り漂っていた。
電話でレノにツォンに呼び出されているなんて言ったのも咄嗟についた大嘘だ。当然そのままオフィスに戻ることも出来ずに、けれども何処へいこうなんて宛もなく。誰とも会いたくないし、誰にも姿を見られたくない。…そう思ったら、バハムートを呼んでいた。誰もいない空。何もない空。一人悩み考えるにはちょうどいい場所だと思った。
「あー…何してるんやろなぁ」
仕事をサボっているのは百も承知。この後でツォンに叱られるのも百も承知。レノに嘘がバレるのも百も承知。…この後の展開が最悪なのは、百も承知。
「なぁ、バハムン。…ウチは、」
何でこの世界に来たんだろう。いつか、遠い昔考えていた事。考えないようにして奥底にしまっていた疑問。それを考える時が、ようやく訪れているような気がした。
当然の事ながら、バハムートは何も返事はしてくれなかった。それはそれで楽な事なんだが、今はその答えが欲しくてたまらない。自分がそれを考えれば、必ずその理由を正当化してしまう。本当の訳を、真実を、誰か教えてはくれないだろうか。…誰か。誰か――
「…バッカみたい」
そんな人この世界にいるわけがないのに。自分の存在を知っているのは、自分だけ。…この世界に、自分は一人ぼっち。
「あーーーーー…」
もう何も考えたくない。誰か自分を助けてくれ。的確な助言を、自分に与えてくれ。
「…くそ、」
…そんな事が出来る人物、いるわけないじゃないか。そうしてもう何もかも考えるのが無駄かと思った時。
――…!
ある人物が、ふと頭の中を横切った。…あの人なら知っている。自分がこの世界の者ではない事。それに、彼は知識の宝庫だ。星にも詳しい彼なら、星の悲鳴を聞ける彼なら、長年生きてきた彼なら。
「…バハムン、行き先決定」
このまま漂って自滅するよりはマシだ。とにかく、彼に会いに行こう。会えば何かが変わるかもしれない。
…けれどもそうやって自身の存在理由を探す自分が、少し惨めだとも思った。