「あ、そうそう。向こうの世界に帰れるのは約二日後だから、」
「……、え?」
「それまでは僕の用意した仮屋にいてもらうよ」
「……ちょ、」
「?」
「ちょっと待って――」
淡々と語ってきた彼のそれを止めたのはこれが初めてだった。
いきなり自分は死んでいると告げられて。そして次には世界を救ってくれと頼まれて。RPGの主人公ならばそれを自分の運命(サダメ)としてすんなり受け入れて、そして世界を救いに旅立つのかもしれないけれど。
「…二日後に、戻る?」
「うん。君があの世界に戻る事は強制だからね。あの場にまた"歪み"が発生するのが二日後なんだよ」
「……、」
というよりも言われるまで忘れていたその事実。自分があの世界に帰るのは必然。この世界で死んだ(実感はないが)自分が次に生きる世界は、既にあの世界と決まっているのだ。
「…二日後」
「向こうとこっちのタイムラグはだいたい半年の差があるから、」
二日後だと、約一年。自分がこっちに戻ってきて既に二日経っているから、向こうに戻るとなると自分が消えてから約二年の月日が向こうでは流れている事になる。
…二年。頭の中にすんなりと溶け込まなかったその数詞は、けれどもすぐにある一つの事をシンバに思い出させていた。
…あの世界には、もう一つの物語がある事を。
「……二年、か――」
なんてタイミングなんだろうと、つくづく自分のタイミングの悪さ(いや、寧ろ良いのかは紙一重)に溜息が漏れる。自分がまたあのシナリオの中核―重要な部分に触れると思うと、やはり込み上げる憂色は先ほどよりも色濃くて。
…いや、既にアマサワジンが彼の言う通りに事を起こそうとして何かを仕掛けているとしたら。あの二年後のシナリオは、そこにはないのかもしれない。自分が知っている世界は、既にそこには存在していないのかもしれない。
「これは仮定の話だけど、もし君が"飛ぶ"二日以内にあの世界が消えてしまったら、」
「っ、」
それを思えばゾワリ、と。寒気にも似たような、何かが身体を駆け巡った。
「違う世界に"飛ぶ"事になるからね、そこんとこ了承してね?」
…世界は救われる。確実に自身の中に根付いていたその確信は、少なからずあの頃の自分を強くしていた糧であった。
それを脅かすもう一つの厄災が自分であると気付いてしまってからも、シナリオを自分が―異世界の自分が壊さなければ、自分の存在だけを否定すればそれでよかったのに。
けれども、今度はその確信も微塵に存在し得ない事に気づかされた。新たな厄災はすでに君臨している。きっとそれはあのセフィロスよりも最悪な災厄かもしれない。…自分が行く前に、この二年の間にそれが無くなってしまう可能性だってゼロではないという事を。
「…、」
…だからといって、世界を救うぞ、なんて意気込みはやはり浮かんではこなかった。確実に自分は戸惑い続けている。死んだ事も、あの世界を救う希望だと言われた事にも。そうしてあの世界にまた戻る事にも。…二年という長い期間、彼らとの間に空白を作ってしまった事にも。
「まぁ、次に彼が現れる世界に行く事は言わずもがなだけど、」
だって君はやっと現れた希望だから。ニタリと笑う彼の表情に少し恐怖を覚えたのは果たして気のせいだろうか。…いや、きっとそれなりの彼からの"圧"だったのかもしれない。
強制らしいそれに反抗したってこっちの意見なんて聞き入れてくれないだろうと、シンバは即座に感じ取っていた。
アマサワジンが、そうだったように――
「…っ、」
きっとこれが自分の辿る運命だなんて、いや絶対に認めたくなんてないのだけれど。ここにも逃れられない呪縛があったなんて、自分の人生にこんなにも壮大なドラマが待ち受けていたなんて、一体どんな妄想を繰り広げれば辿り着く事が出来ようか。
遠い昔に自分とアマサワジンは何かの因果にひっかかってしまっていたのだろうか。運命の赤い糸ならぬどす黒い強靭な縄で縛られていたのだろうか。…そんな事を思わせるほどに纏わりつくそれは、それでもまだ確実なアグリーメントにはなっていないのだが。
「……、」
けれどもきっと何も変わらないだろう。ここで自分がどんなに駄々をこねようが、その運命を受け入れようが受け入れまいが、この状況は何も変わらないのだとシンバは悟ってそれ以上彼の言葉を止めるような事はしなかった。…あぁきっと本当は、RPGの主人公だって有無を言わされない状況だからすんなりそれを受け入れるのかもしれなくて。
「……一つ、聞いていい?」
その態勢は整っていない。けれどもシンバは、どうしても確認したい事があった。
あの世界はモンスターの生息する世界、旅でもそれと戦った事は大いにあった。それを殺す事に抵抗が無かったワケではない。けれども遣らねば殺られる世界であり、それは生き物でも動物でもなく、"モンスター"だと深く認識する事で克服出来た事物である。
「…アマサワジンを止めるって、具体的にはどうする事を言うの?」
「任せるよ。…彼が二度とそれを行えないようになれば、」
どんな方法でも構わない。彼は具体的なワードこそ発しなかったけれど、少し強めいた口調からは嫌でもそれを悟らされた気がした。
本当は聞かなくてもわかっていたのかもしれない。彼らがどんな"説得"をアマサワジンに施行したのかはわからないが、言葉で彼を止める事が無理な事くらい。…そうなればその方法が、限られてくることくらい。
…世界が、彼の"消滅"を望んでいることくらい。
「……、」
セフィロスを"止めたかった"。そう、自分はセフィロスを止めたかっただけ。エアリスを亡くしたくなかったから、セフィロスを止めたかっただけだ。殺してしまうなんてそんな考えは今思えば自分の中に無かった気もする。恐らくその役目は自分でもなかったし、たとえそういった場面に出くわしていたとしても出来なかったとも思える。…厄災であっても彼も"人"であるから。モンスターとして生まれたと例えられていても、"人"であったから。
彼―アマサワジンだって、同じだ。彼は"モンスター"ではない。それにセフィロスのように超人でもない。元は地球で生まれた―自分と同じ類の人間である。セフィロスよりも、彼はきっと人間らしいだろう。
…そんな彼を殺める、なんて――
「……」
「……世界は、"平和"を求めてる」
「…っ、」
戸惑った感情は今、確実に迷宮への扉を開いていた。返事をしない自分に、彼はそれを察したのだと思う。世界の命をとるのか彼一人の命を奪るのか、なんて。…なんか前もこんな選択なかったかとも思ったが、それはきっと選択肢にも成り得ない事柄なのかもしれない。
自分はアマサワジンを知らない。全く知らない。姿形、外面だけでなくその内面すらさえ知らないのだ。ただ彼から聞いた情報から創り上げた架空の人物像だけが頭の中を浮遊しているだけ。彼は全くの赤の他人で、本当の意味での災厄であると認識しているだけだ。
だからその動揺は、彼を消滅させるという行為―世界を救うという事だけに感じているものだと、…この時はそう思う撰定しかシンバの中には無かった。
「……それだけは、忘れないでほしい」
いくら自分の手中にそれが握られているからといって、彼は自分の"身体の強制"はしても"精神までの強制"はしてこなかった。それは自分が、この平和が代名詞である地球―日本という場所で生まれた事を考慮しているからかは定かではない。
どうにかしたくても出来ない気持ち。確かにそれは、あの頃の自分にもあった筈で。彼の正体はわからないけれど、彼の心中は理解出来ない事もなかった。少しだけ。…ほんの、少しだけ。
「ま、この二日間しっかり考えておいて」
彼を止める方法を。今まで辛気臭い雰囲気だったのにポンッと軽々しく肩に乗った彼の手と気の抜けた軽い声。…けれどもそれらがやけに重く感じたのは言うまでもなく。
どのくらいその場にいたのかはわからない。確かに二人だけの空間が存在したそこから去って行く彼の背中には、けれども今迄見てきた"表"の表情なんてなくて。シンバはそれを見つめるだけで、追う事は出来なかった。
「……」
そのトリップが、始まりに過ぎなかった事。彼の黒く広い背中が、全てを物語っている気がした。