11 there began a second world



プルルルル――


客がいなくなって静まり返った店内に鳴り響く一定の音。誰かが要件があるが為にダイアルを回している筈のそれに普通なら急いで応答しようとするのだろうが、それでもティファは手元の洗い物から手を離さなかった。


「……もう、ここにはいないんですよー…――」


ポツリ。水と共に流された彼女の言葉は、電話の相手には決して届かない。そうだとしても、わかっていても、ティファはその言葉を口にするしか他なかった。
…それはまるで、自分自身にも言い聞かせているようで。


プルルルル――


コール音が何度鳴ったかは数えていない。ただ、水音だけが流れていたその場に重なるその音がやけに耳を刺激し続けた。

どうして誰も出てくれないの、なんて。思っても煮え切らないそれはただ自分の中に溜まるばかりで、伝えたい相手には届かない。…ただ、ティファがその相手に本当に伝えたい事はその言葉を通り越した向こう側にあるのだけれど。


プルルルル――


出る気が無い事も相手には微塵も伝わっていない為か、一向にそれは止まる事を知らない。


プルルルル――


自分が出なければ一生鳴り響いていそうだとそれでもどこか他人行儀なのは、…それは自分を呼んでいるものではないからで。


「……、」


…それはいつも、彼を呼んでいるものだからだった。



セブンスへヴンの二階の角にある一室。電話が鳴り響くその部屋は、彼の―クラウドの部屋兼事務所となっている。
あれから半年ほど経った頃から、クラウドはデリバリーの仕事を始めていたのだった。

きっかけは些細な事だった。店の手伝いとして食材の調達をしていたクラウドは、いつしかその先で別の仕事―荷物運びをするようになっていた。世界は変わったと言ってもモンスターがいなくなったワケでもないし、荒廃した土地や寸断された道がまだまだ多くある中で物資や荷物を運ぶのは容易ではない。なにしろ世界を駆け巡る事自体も簡単な事ではない為、彼のような人材がそれに適任だったのだ。
人付き合いがどちらかと言えば苦手なタイプな彼にその仕事をちゃんとした商売にするように進めたのは、紛れもなくティファだった。この店に篭っているよりはそうして何かしら動いていた方が彼の気が紛れると思っての事で、…全ては、彼の為にと思ってや決断した事だった。

…しかし。


プルルルル――


この電話が鳴るのがいつもは待ち遠しかった。この電話が何かを変えてくれるきっかけになればいいと思っていた。皆がクラウドを頼りにしている事が、その頃の彼にとってもティファにとっても自身を動かすエネルギー源であったことは紛れもない事実であった筈で。誰かが必要としていると、近くにいる自分が発するよりも遠くの他人が思わせてくれれば、きっと彼の凍りついたその心も自然と融けていくような気がしていたのに。


プルルルル――


けれどもやはり事は思うようには進まない。…それどころか、悪化するばかりで。
彼の気持ちも。自分たちの関係も。

この星、自体も――。


プルルルル――


間近で音を出し続けるそれを見つめながら、この電話は何かを変えてくれるきっかけになるだろうか、なんて。それをまだ切望している自分を浅はかだと思いながら、ティファはようやくその音を止めた。


「…はい、ストライフデリバリーサービス。当社は何でも――」


いつか彼もいなくなってしまうんじゃないかという不安は、きっとあの頃からずっと変わらずティファの心の中にあった。自分たちの"探し物"はもうこの世界には無いのだと彼自身も理解していたとしても、きっと彼はその仕事を続けながら―世界を巡りながらそれでも探し求めていたと思うから。

しかしティファは、どうしてもそれだけは避けたかった。自分たちは世界の破滅を乗り越えて、悪夢を取っ払って、ようやく今の生活を確立させて。心の傷を治せないままでも、それでも平和に暮らしていけたならばそれで十分だったから。彼だってきっと、きっと心の底ではそう思ってくれているんだって、信じたかった。


「どちら様…?」


けれどもそれは、現実となってしまった。彼の心はあの時からずっと凍ったまま、きっとこれっぽっちも融けていなかったのだ。

だからティファは、それを融かしてくれる何かを―彼を変えてくれるような何かをただずっと待っていた。きっとずっと。自分が思うよりも、ずっと昔から。自分ではもうどうにもできないそれを変えてくれる何かがあるのならば、たとえそれが何であろうと。


「ふふ、…覚えてるぞ、と――」


その声を聞いたのはいつぶりだろうかと、過去を振り返ってもきっと思い出せない。確かに存在した彼らとの確執はしかし今、…彼を変えるきっかけになる何かに成りうるのならば。

ティファはそれにも、縋りたい気持ちでいっぱいだった。







***







ヴーーーヴーーー――


ミッドガルを遠目に見下ろせる、少し小高い崖の上。世界を巡る間にも、クラウドは何度かその場所を訪れていた。
…そこは、最初の自分の"罪"の場所。地面に突き刺された―まるで墓標のような大きな古びた剣を見つめながらクラウドは、ただただ色褪せた思いに身を馳せていた。


ヴーーーっ――



――あれから、二年――。


「…、」


久々に振動したポケットの中のもの。クラウドはしかしそれが治まるのを待ってから取り出し、そこに残された相手の声を聞いた。…使い古されたその携帯は最早直接会話をするものではなく、ただ相手の声を聞くばかりのものと化していた。


『ピーーー メッセージは、一件です――』


それは8割方ティファからのものであり、最初は毎日のように入っていたそれも今ではマンネリを迎えた恋人たちのごとく次第に数も減っていた。
けれどもクラウドは、必ずその声たちを聞いている。何か重要な言伝があるかもしれないし、…その繋がりだけは失いたくなかったから。


『タークスのレノから電話があったよ。仕事の依頼だって――』


クラウド、元気にしているの。…最後に付け足された自分への気遣いは、きっと彼女の一番の要件。その声色から彼女がどんな表情で電話をよこしたのかが嫌でも目に浮かぶも、クラウドはその残像をも消すかのように携帯をパタリと閉じた。


「……、」


…タークス。それらとの数奇な結び付きはあの旅の中でいくつも存在していたが、彼らとクラウドの接触は神羅ビルの地下―神羅崩壊時に会ったのが最後となっていた。
彼らがエッジから少し離れた場所―ヒーリンで暮らしていることも風の噂で耳にしたくらい、彼らとの関係はプツリと途絶えている。もしかしたら仕事の最中にその姿を視界に入ることもあったのかもしれないが、互いに過去の結び付きに縋ろうとは考えてもいなかったのだろう。同じ目的を多数抱えていたとしても元々は敵同士で、…いや、互いに何かを避けて続けていると言ったほうが正しいのかもしれない。

彼らとの間にあった確執。世界が救われても、悪夢が消え去っても、きっとまだ"それ"だけは溶け残っている。
…タークス。それから連想される一番の事は、やはり一つの黒い影であって。


「……、」


あれから―ティファによって現実を突きつけられてからも、二年という歳月の中で自分はまだ。
…その想いに、ケリをつけられていなかった。



旅をしている中でもクラウドがその根本的事実―彼女が異世界の人間である事を気にかけていたことは殆どなかった。それが何故かは今となってもわからない。彼女の存在感が自然とこの世界に溶け込んでいたからかもしれないし、言ってしまえばクラウドにとってはどうでもいいことだったのかもしれない。

だから、それを懸念する対象として置いておくことすらなかった。彼女はずっと自分のそばにいるものだとばかり思っていた。彼女が元いた世界に戻るなんてこと微塵も考えたことなんてなくて、…そうなれば自分はどうなるなかなんてことも想像だにしていなくて。

…だから、余計に。
思って重なるのは後悔ばかりで。


「……、」


生きているならば、それでもいいと何処かで思うこともあった。その場所が自分の目の届く範囲でもなければ行ける範囲でもなく、全くの未知の世界であったとしても。
しかしそう思う傍らで、あの時あんな形でも住む世界の違う二人が出会えたのならば、きっとまたその時がくるのではと幻想を抱くことも忘れてはいない。彼女にはまた会えるのだと、確証のない未来をずっと待ってしまっている。いつかなんて当てにもならない数字を、自分はずっと数え続けている。

…そうやって二年という月日は、自分を過去に置き去りにしたまま無情に過ぎて。



――そんな自分をまた追い詰めるかのように、新たな災厄は現れていた。


「っ、」


ズキリ。まるで自身の気持ちを戒めるかのごとく、自身の意識をそれに向けるかのように痛む左腕に、クラウドはそっと右手を寄せた。
どくりどくりと脈打つそれは何かに焦るように、また何かを待っているかのように自身の鼓動を囃し立てる。

いつからだっただろうか。彼女への想いに後悔の念をより強く感じるようになってからか、ずっと抱き続けてきた自身の"罪"をそれにも重ねるようになってきたからかは定かではない。闇の淵に立っていた自分は、それによっていつしかその混沌の中へ突き落とされてしまっていて。


…そして、クラウドは。
そこから這い上がれなくなっていた。



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