「…いつまでそこにおる」
「!」
後ろからかかった声に、シンバはゴシゴシと頬に流れた想いを拭った。
一体どのくらいの間そこにいただろう。既に日は沈みかけ、辺りには暗闇が広がり始めていた。
「帰らなくていいのかえ?」
…その問いに、何も返すことができなかった。
一体自分はどこに帰ればよいのだろう。もちろんこの世界に自分の場所は存在しているが、最近まで自分の居場所は向こうの世界だったから。向こうの世界で、それこそタークスやアバランチというなの居場所で。
「…、」
でも、…帰りたくても、その場所にはもう帰れない。思い起こせばまた目の前が滲みそうで、しかしシンバはそれを必死に堪えていた。
考えたって、どうすることもできないのだから。あの世界に飛んだのも、自分の意思ではなかった。不可抗力だった。突然飛ばされて、運命に翻弄されて。それに逆らって、また飛ばされて。…一体全体どうなってんだ。
根本から考えれば、こんなこと絶対にありえない事だ。違う世界と自分の世界を行き来するなんて、どっかの夢トリップでしか聞いたことしかない。まさか自分がそれの主人公になるだなんて思いもしていなかった。そんなのただの妄想の世界でしかないだろう。
「……」
だったら。あれは、夢だったのではないだろうか。とてつもなく長く壮大な夢。マテリアだって今もう手元にはなく、まるで最初から持っていなかったような感覚に襲われる。
…そしてそう思えたら、どんなに楽なんだろうとも思った。
「…そんな格好だと、風邪を引くぞい」
「…っ、」
そうして気づかされる自分の格好は、紛れもなくあの時着ていたタークスの制服。
…そしてその、ポケットには。
「……」
掴んでその手を開ければ、その可愛いさを存分にアピールしてくる黄色の塊
それは、――チョコボのキーホルダーだった。
「…もう遅いから、今夜はうちに泊まるといい」
何にも反応を示さない自分に、きっと家出でもしたのだろうと老人は思ったのだろう。気を遣わせてしまったなと思いつつ、その優しさが今は嬉しくも感じた。
じっとしていても何も変わらない。行動することの大切さは向こうで嫌という程教わってきた。泣いてたって何も始まらない。…自分がここでどう足掻いたって、どうにもならないことなんてわかりきっているのだけれど。
「…すみません」
老人は笑みを一つこぼして背を向けて歩き出し、シンバはようやくその重い腰をあげた。
*
「――たっしゃでな」
「…はい、お世話になりました」
次の日。ペコリと深くお辞儀をして、シンバは老人に笑顔を向けた。
無一文だった自分に、老人は少しのお金をくれた。なんて優しいお爺さん。暖かい布団まで貸してくれておまけにお駄賃までくれるなんて、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなと感動した。
幸いにも自分がいる場所は自身の住んでいた所の隣の市に位置していて、帰るのにさほど手間どらない為幾分気も楽だったように思う。
お金はすぐ返しにくると約束して、シンバは老人宅を後にした。
「……」
昨晩シンバは、老人といろいろな話をしていた。
一番気になったのは、今が何年何月何日なのかという事。向こうの世界にいた日数など数えてはいなかったが、少なくとも2ヶ月、多くとも半年くらいだろうか。
だから、必然的にこっちでもそれくらいの時を経ていないとおかしいだろうと思っていたのだが、…季節は自分が向こうの世界に渡った時と同じ、冬で。
…あれから、1日しかたっていなかった。
また新たな疑問が生まれてしまった。一体神様は自分をどうしたいのだろう。この後に及んでそんなミステリアスな事実、まったくもって望んでいなかったのに。時空を超えるとはまさにこの事をいうのだろうか。…一日しかたっていないのに、なんだかどっと老けた気がしたのは言うまでもない。
「…そらまだまだ寒いわなぁ」
幸い向こうの季節もそれくらいの季節だったから、スーツの下に着込んでいた為凍え死にそうな事はないが、
「……この格好、ちょっと目立つかもな」
恐らくわかる人にはわかるネタだろう。そうして騒がれるのもまた困るので、シンバは極力一目につかないような道を選んでその歩みを進めていた。
*
お昼前で平日ということもあってか、公共の乗り物は大分空いていた。そうしてバスに揺られ、シンバは自分の住んでいた街を目指す。
窓の外から眺める景色は、紛れもなく日本という国の風景。何度も言い聞かせては、それを繰り返す。…自分は、帰ってきたのだと。
何故、なんで、どうして。頭の中でループし続けては後の文を繋げない疑問詞たちを、ただ弄ぶ事しか出来なくて。帰ろうかと考えていた時もあったが、帰ってきたら帰ってきたで山積みな問題は何の解決にも届いておらず、寧ろまたしてもその疑問を積み重ねていくだけだった。
「……懐かしいな、」
バスを降りて、数十分。ようやく自分の記憶の中の景色が見え始めていた。懐かしいといっても、結局自分は1日しか(正確には2日目)この場を離れていなかったことになるのだが。
「……あ、」
そうして気づく、一つの事実。
「…仕事、」
無断欠勤などした事なく寧ろ皆勤賞並の真面目な奴で通っていた自分が、仕事をサボっている事になっているではないか。…えらいこっちゃ。1日そこらしか経っていないということは、自分は何事もなかったかのようにまたこの世界で生きていけるという事。イコールそれは、他の人にとってはただの日常の一コマにすぎないという事だ。
きっと今頃会社から鬼電の嵐だろう。…携帯はどこにあるかわからないのだが。
深くため息を吐き一つ気合をいれる。とりあえず今すべきことは、会社への言い訳を考える事。早々面倒くさい事になってしまったなと思いつつ、自分の住んでいたアパートに目を向けた。…のだが。
「…?」
忙しなくそこを出入りする人達の姿があった。よくよく見れば全員が濃い青色の服を着ていて、よくよく見ればその背中には。
「っ警察――!?」
シンバは咄嗟に身を隠した。…いや別に何も悪いことはしていないのだが、パトカーが通るとなぜか身構えてしまう原理と一緒である(どんな原理だ)。
それにその警官達が出入りする部屋。…それは紛れもなく、
自分の部屋。
――っ!?
おいおいおいおい待て待て待て待て。一体自分が何をしたというのか。消息を絶っていたのもほんの1日程度であるのに、この大袈裟な捜査事情は全くもって理解できない。
「っ、どうしよ…」
会社の人が連絡したのだろうか。ある意味自分を思ってくれての事だろうが、ちょっとご勘弁願いたいである。…大殺界ってまさかこういう事か。そう思いつつ、シンバが重い足を上げて一歩踏み出そうとした、
…その時。
「――行かない方がいいと思うよ?」
「っ!?」
突然だった。後ろからかかった声にシンバは思い切り肩を震わせる。ナイスリアクションだねと呑気な事を返すその人は、全身黒ずくめ―しかし自分とは明らかに違う格好をしま、まったく面識のない少年だった。
「……どちら、さまですか?」
ハットを目深にかぶっていて、その表情は伺えない。けれども怪しさ1000%な少年は、シンバの問いかけに嬉しそうにその口角を上げた。
「さぁ…誰でしょう?」
逆に聞くな。というツッコミはシンバの口からは発せられなかった。…一目見て、何もかもわかった気がしたからだ。
…その少年が、只者ではないという事が。