18 It does not go satisfactorily



カランカラン――


「っ、ティファ!ただいま!」

「マリン、遅かったじゃないどうし――」


途切れた声。ティファは洗い物をしていた手をピタリと止めた。…いや、止めざるを得なかった。


「っ、」


マリンの背後にいる人物は視界に入っているものの、どうしてか己の目にハッキリと映らない。さっきまで間近にあったはずの蛇口から流れる水の音さえも、まるで自分だけがその空間から切り取られてしまったかのように聞こえない。

…脳が混乱している。まさかそれがこんな変哲もない日常に今になって現れるなんて思っていなくて、そうしてそれを認識しようとして、…でも、目の前のその光景が信じられなくて。


「……、シンバ」


ぼそり。聞こえるか聞こえないかのそのか細い声。亡霊でもない、そっくりさんでもない、自分が知っているそのままの姿のそれがそこにあるのに。ずっとずっと追い求めてきた影がそこにあるのに。ティファは目を見開いたまま動かない。否、動けなかった。


…その姿が、今ここにあることに。その姿が、"最後に見た姿のまま"であることに。


「……、ティファ、」


ドクリ。ドクリ。彼女の次の声が待ち遠しいようでしかしどこかで怯える自分は一体、彼女にどう映っているのだろうとそればかりが気になる。
この店に入った直後とは明らかに空気が変わっていた。マリンの言葉から心のどこかで皆自分をすんなり受け入れてくれるんだと思っていて、でも、そうじゃないと思い知らされる。マリンはあくまで子供だから。きっと事の全てなど知らされていない為に自分はただの"可哀想な行方不明者"と位置づけられていたからこそのあの時の反応だったんだと、…今更気付いたって遅い事はもう分かり切ったことだけれど。


そうしてようやく事を飲み込めたのか、ピクリとも動かなかったティファはゆっくりと流れっぱなしだったその水を止める。今度は俯いてしまって、驚きで一杯だったその表情は今やその綺麗な黒髪に隠れて見えなくなっていて。


「……なによ、」


水の音が消えて静寂が訪れたその場に、その声は鮮明に聞こえた。ティファは顔を上げない。ただ分かるのは、グラスを握るその手が震えていることだけだった。


「……、ティファ?」


自分達を騙してタークスに戻ったシンバ。最初は信じられなくて、でも旅を続けるうちに何かしら理由があってそうしてるんだって、シンバはシンバで頑張ってるんだって皆そう納得した。タークスを抜け自分達のところへ戻った筈だと、そうして星を救いに行ったとイリーナから聞かされた時には、誰もが喜びずっと彼女を待っていた。


「…生きて、たんじゃない」


戻ってくると、共に闘ってくれると誰もが思っていた。けれども彼女の辿った道と自分達が歩んだ道が交わる事は最後まで無かった。目指した場所は同じ筈で、目的だって同じだった筈なのに。
だから誰もが、酷く心配していた。何かあったのではないのかって。ずっとずっと、その身を案じてきた。…なのに。


「ちゃんと、生きてるんじゃない…」


どうして黙っていたの。…それは冷たい、声だった。今までに聞いた事が無いくらいとても冷たくて棘があるように思えたのは、果たして自分が今までため込んだ罪悪感によるものだろうか。


"皆ずっと探してたんだよ"


ティファの言いたい事に、先ほどのマリンの言葉が自然と重なる。探していた。姿の消えた自分を、ずっと。どれほどの心配をかけたのか自分には計り知れない。そうして自分の中に余計に込み上げてくる何かだって、結局彼らの二年という月日に敵わないことも思い知らされた気がして。


「…関係無いから?」


そうよね、そうだよね。とまるで己に言い聞かせるかのごとくフェードアウトしていく声。
…関係無い。それをどういう意味で言ったのかシンバには分からなかった。やはり自分がまだタークスのままだと思っている為の言葉だろうかと単純にそう思っていたが、しかしタークスに戻ったのにはこの上ない理由がある。その姿を消したのも故意的じゃない。皆に心配をかけたかったわけじゃない。それだけは何としても解って欲しかった。それにいまだタークスであるというのも誤解であって、自分はこの場所に戻りたくて、ただただ必死で、だから、


「…許してなんて言わへん。でも聞いてほしい、これにはワケがっ――」


パリンッ。ティファの持っていたグラスが割れた。落ちたからではない。何かにぶつかったからでもない。それはティファ自身の手によって、その手の中で形を崩した。


「…ワケ?ワケって何」


ティファが顔を上げる。ゾクリと身体が強張った。…驚きに溢れていたその表情は、怒りに変わっていた。


「二年間私達をずっと騙して生きてきた事以外にあるワケって何?」


ティファは自分の方へズカズカと歩いてくる。


「っ、騙して…、確かに最初はそうやったけど、でも、」


パチンッ――!!


「っ、……!」


今度は乾いた音がその場に響き渡った。ずっとティファに向いていた筈の視界が一瞬逸れ、直後左頬がジンジンと熱を持ち痛む。
シンバはパッとまた顔をその方へ向けた。頬を打たれたのだと気付いた時には、砂で痛んだ髪の間から見える彼女の顔が苦痛に歪んでいた。


「っ、馬鹿みたい…」


"彼女は最初から君たちの仲間ではなかったではないか"


浅はかな期待だったのだろうか。信じようとした自分が愚かだったのだろうか。


「あんなに皆必死で探したのに…」


"しっかり仲間扱いしてもろて"


それが全てだったのに。ヴィンセントの推測もイリーナの憶測も、ただの己らを照らす希望なだけで彼女から放たれるそれが全てなのだと、どうしてその時言い聞かせられなかったのだろう。


"うざったいほどにな"


それならば、こんな思いをしてこの二年間を過ごす事も無かった。こんな仕打ちが待っているならば、どうしてあの時。


「…こんな近くで、今迄ずっとタークスとして、生きてたなんて…」


一瞬、シンバはティファが何を言ってるのか分からなかった。
こんなに近くで。今迄ずっと。タークスとして。…生きて?


「っ、違。ウチはタークスやな、」

「……だったらその格好は何よ。何でその格好してるの」

「っ、?!」


シンバはティファが首であしらった己に目を向けた。白シャツに、黒パンツ。それはどっからどう見ても、…タークスである証だった。


「っその服で、それに染まって今迄生きていたんでしょう!?」


心臓が握り潰されるような感覚。息が詰まって、声が出せない。
…どうして気が付かなかった。どうしてそこまで頭が回らなかった。…いや、違う、思考に無かった。気にしていなかった。着慣れてしまっていた。自分という存在だけがこの世界のネックであって、そう、この世界に立った瞬間に自分は彼らの仲間だったという思いが無意識に働いていて、たった四日離れただけで気持ちはあの時から変わってなくて、格好なんてどうでもよくて、その顔さえ認識出来ればいい、だなんて。


「…っ違、これは、」

「何が違うの。…何が、違うのよ…!!」


ティファがグッとシンバの胸ぐらを掴んで迫る。真っ白いそれがグラスによって切れたティファの手によって赤く染められていく。


「今までっ、クラウドがどんな気持ちで…っ!!」


この二年間の彼の必死さはきっと全員のそれを合わせても敵わないくらい、彼は毎日毎日、その影を追っていた。彼にとって必要なのは自分じゃなくてシンバであって、裏切られたと知らされても彼だけは最後まで認めなくて。戻ってくるかもしれないと言われずっと待ち続けていた彼の思いも、もうここにはいないんだって諦めた者も多い中で必死になって変わらず探し求めていたその思いも、全部全部ティファは知っているから。
そして、自分の前から姿を消した今でもきっと尚探している。仲間として戻ってくるシンバを。きっと今も信じている。赤毛の彼のところではなくて、自分のところへ帰ってくるシンバを。

…なのに。こんなのって。あんまりだ。酷すぎる。残酷すぎる。踏み躙られた彼のその思いを一体どうしたらいい。砕かれた己らの思いはどこに葬ればいい。このやり場のない思いを一体どこにぶつければいい。
ティファはもう何も考えられなかった。頭の中が一杯で、パンクしそうで、目の前のそれをもう視界に入れたくなくて。


「…いっそ死んでくれていた方がマシだったわ」

「…っ、」


息が詰まった。心臓が、止まった気がした。


「…出てって」


だらりと、ティファの両手が落ちる。握られた拳が震えているのが見える、自分の視界が歪む。足が、動かない。左頬の熱が引かない。


「、ティファ、待って話を――」


…どうしてこうなったのだろう。何を誤ったのだろう。エッジに向かった事か。マリンに出会った事か。…違う。そうじゃない。


「…聞きたくない」


…自惚れていた。


「出てってよ!!!」

「ーーーっ」


自分は完全に、自惚れていただけだ。



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