22 There is no room for doubt



パタン。ドアが閉まると同時、シンバは落ちるようにソファに腰掛け、顔を手で覆った。

…落ち着け、落ち着くんだ。男は名を"シノブ"と言った。あの黒ずくめ男の話では地球からパラレルした人間は2人だと言っていた。自分と、アマサワジンだ。…もしや偽名か?いやしかし、自分に偽名を使う必要がどこにある。
男は自分の"目的"を知らない、知る由も無い。あの黒ずくめ男が"暗殺者"を仕込んだなどと考えるだろうか、いいや、普通なら思わない。そもそもあの黒ずくめ男や"神"が己を排除しようとしていると知っているのかさえ分からないし、普通なら考えない。


――彼は頭が良かったんだ。…誰かさんと違ってね


要らん事まで思い出してしまったが、確かあの黒ずくめ男はそう言っていた。若くして多大な名誉と地位を手に入れるほど、彼は有権者だったと。


「……」


…落ち着け、落ち着くんだ。もし本当に男がアマサワジンだったなら。どうする。どうしたらいい。落ち着け、取りあえず落ち着け。

"違う可能性は本当にないのかを考えろ"


ガチャ_


「!!!」


あからさまに吃驚してしまったが、シンバは平然を装い気付かれぬよう深呼吸を繰り返した。男は「お待たせしました」と言ってマグカップにコーヒーを注ぎ、そのまま手渡しされたのでシンバはお礼を述べて直ぐに口に運んだ。とりあえず、落ち着きたい。


「どうですか、先程とは違う豆です」

「……こっちの方が、スッキリしている気がします」

「わかりますか!流石!」


反応が嬉しかったのかまたとコーヒーについて語りだす男に、この時ばかりは話を逸らしてくれてありがとうと思わずにはいられない。
カップを持つ手が微妙に震えているのが分かる。心臓も少し焦り気味だ。あからさまに変わった態度が表に出ていないことを祈るようにまたカップを口元に運ぶ。

…落ち着け。取り急ぎ何を聞く、何を確認する。


「……あの、」

「?」

「…あなたは、どちらからこの世界にやってきたのですか」


またも無理にコーヒーの話から逸らしたからか、ピタリと男の手が止まる。
初対面で出身はどこですかと尋ねているのと同じで査問や糾問とは違う、至極普通の質問だと思う。うん、絶対に普通。


「…僕は"レグルス"と呼ばれる星からやってきました。…もう何十年も前の話です」

「……レグルス、」


知らない名前。いや、知らなくて当然か。地球人は他に同じように人類が存在している星を認知していないし、いるとも思っていないから。
…それよりも、男の出身は地球ではなかった。あの黒ずくめ男の言う地球から2人という言葉の裏には他の星でも同様の事象がありうる事を含んでいる筈でなんら不思議な事ではないが(パラレル自体が不思議であることはこの際放っておくことにする)。


「不意に事故に遭いましてね、もう死んだと思った。…しかし、目が覚めたらここにいて…最初はここが死後の世界なんだと本気で思っていました」


あなたもそうでしたか。と問われ、シンバは咄嗟に「そうですね」と愛想笑う。
アマサワジンでは無い事が分かった途端心は酷く安堵し、手の震えも感じなくなっていた。…極端だな自分、と思う傍ら、あぁやはり何の覚悟も出来ていないのだと自覚する。


「僕が異世界の人間であることは"上司"である宝條も知りません。その辺は上手く誤魔化してあります。ずっとミッドガルで暮らし、そして8年程前神羅カンパニーに就職しました。研究職を志望したのは、この世界について色々と知れると思ったから」


優秀だった彼はすぐにその功績を認められ、すぐに出世。宝条のチームに加えられ、様々な実験に携わることとなった。
そうして彼はこの世界―いや、悪を知る。魔晄を浴び力を手に入れたソルジャー、生成されるモンスター、命を奪われた者と奇形のまま生きる失敗作。そして、宝條という研究者の恐ろしい実態を。


「セフィロスがジェノバを攫った時―いや、その前からもう足を洗おうと考えていた。…しかし、どうしてかジェノバは僕から遠ざかってはくれない。…いや、寧ろ僕が離れられないのかもしれない――」


最後の方は独り言のようにも聞こえた。研究者としての宿命…のようなものなのだろうか、知らんけど。

プロジェクトの元仲間達はもう当てにならない。タークスがジェノバを探す理由は分からないが、自分と同じ目的だとは思えない。クラウド達には最初から頼む気など無かった、自分が宝條の元部下だと知ったら信用してもらえないだろうから。…だから、シンバに依頼した。ジェノバの脅威を知っている者、異世界の者。たった二つだが、これほどまでに強力な共通点は無いと思ったと、彼は説得するようにシンバに語りかけてきた。
分からなくもない考え方ではある。自分が同じ立場に立った時、異世界という共通点は何よりの頼りになる気がした。…実際、今でもそうだ。当てがない自分は今、この男に頼るしかないのではと思い始めている。


「…それで、」

「?」

「具体的なこう…作戦というか、そういうのはあるんですか?」


ジェノバを抹消するという、一大プロジェクトの幕開け。知能も技術も兼ね備えた研究者ならば抹消までのプロセスは完璧であろうと思っての質問だったが、


「いいえ」


ズル、と音がしそうなくらい、気持ち的にはソファからずり落ちている。きっと吉○だったら大コケしているに違いない。
ないんかい!というツッコミは心の中に仕舞っておいて、シンバは次の言葉が出るのを待つ。


「作戦という作戦は考えていません。取り急ぎジェノバの在処をハッキリさせたいとだけ思っています。……あなたに依頼したい理由は、ここに有ると言っても過言ではありません」

「……タークスの、逆スパイ、ですか」


自分にしか、出来ない事。言われなくても分かった。タークスがジェノバを探しており、それを既に所持しているかもしれないという話が出た時あたりから、タークスであるがクラウドの仲間であると…タークスのベクトルと自分のそれが一致していないことを彼は悟っているようだから。
元タークス―いや、現にまだ所属はタークス。ただ二年間姿を晦ましていただけで、きっと前の時と同じで彼等は自分を暖かく迎え入れてくれる…と思うのだが、どうだろう。


――生きて、たんじゃない


…思い出される、ティファとのやりとり。
もしかしたら彼等も怒っているのでは、なんて。


「ご名答。…あなたが近年彼等と距離をとっていた理由は知りません…あ、話さなくて結構ですよ」

「…」

「けれども、その格好でいるということは少なくともタークスに所属していることは変わりない」

「、……はい、」

「上手く"和解"して、今の現況をさりげなく聞いてきてください。ジェノバを何に利用するのかも知っておきたいですし、」


簡単に言ってくれるな。と悪態をついたって、彼は何も知らないから。彼はただこの世界を救おうと、厄災を抹消しようと必死なだけだから。自分の過去の旅も今の蟠りもこの世界の未来も知らないから。
…知らないから、


「言わずもがなですが、僕の存在は伏せてください。それに…結果を焦る必要はまったくありません」


焦った方がいい、という言葉は出なかった。…この時、心のどこかで生まれた懐疑。それはまたあの時に似て、酷く心を蝕んでいくような、そんな感覚。

彼はこの世界に第二のストーリーが存在していることを知らない。彼が自ら手を下さなくとも、この世界はまた救われるだろう。ともすれば私はこの世界を元から知っていてここには第二のストーリーがあってああなってこうなって最後はハッピーエンド!と彼に教示すれば事たること、後はクラウド君頑張って、で済む話(他人事)。


「……」


しかし、彼がこの世界の厄災を取り巻く環境に参入するのならば。シナリオは変わり、エンディングがどうなるのか全く検討がつかなくなる。加えてこの世界の厄災は今や"ジェノバ"だけではない。もう一人厄介な人物がいる事を忘れてはならない。恐らく彼が介入しなくとも、"それ"が介入すれば後者同様。

…そして、もう一つ、生まれた懐疑。


「…シンバさん?」


この世界の第三のストーリーを、自分は知らないということ。


エンディングでセフィロスが消滅する際『私は思い出にはならない』と言っていた。この世界から星痕症候群が消え人々に笑顔と喜びが舞い戻ったとしても、果たしてそれが"ジェノバ"が消滅したという証拠に繋がるのかと言われれば、答えは「わからない」だ。

クラウド達はカダージュ―セフィロスを倒す事が目的だったように思う。このセフィロスがジェノバの遺伝子念で形成されたのならば、ジェノバ自体とともに消滅するのか、その真実をハッキリさせる必要があるのではないか。…そうなればセフィロスを復活させるより先に、彼の目的どおりジェノバを抹消する方が、得策なのではないか。


「……どうかしました?」


ダメだ、頭がパンクする。シナリオ通りに進んで行く世界に居なれてしまって、自ら行動し選択するという責任に押し潰されていく気分。
それに、この世界の現況が今どこにあるのか未だ分からないことも気遣わしい。タークスはまだジェノバを模索中か、それとももうその手に匿っているのか。…そしてあの"銀髪達"は誰かと接触しているのか。


「…いえ、何も」


ずっと考え込んでいたシンバを怪訝に思ったのだろう、彼は少し訝しげな表情をしていた。シンバはそれでも、彼に何の真実も話さなかった。…そうする気がからきし無かったのは、心のどこかでこの男―宝條の元部下という肩書きを持つ男を完全には信用していないのかもしれない。


「…タークスの皆に会うのが久しぶりで、少し緊張してしまいました」


自嘲気味に笑って、全てを誤魔化す。彼は「そうですか」としか言わず、残りのコーヒーを口へと運ぶ。


「……もうこんな時間ですね。とりあえず、寝ましょう。狭い家ですが自由に使ってください」


お風呂もどうぞ。と言われ、砂まみれの髪に手を伸ばす。一人暮らしの男性の家に転がり込んだ事には何の戸惑いもないが(今までの旅で男性諸君と野宿も経験済みなので慣れてしまっている)、それでもどこか緊張が解けないのは次の行き先が決定したからか、…彼が未知の世界の人だからか。


「…ありがとう、ございます」


マグカップとコーヒーポットを持ち「安心してください、取って食いやしませんから」とまたと宣言した彼は笑って、ドアの向こうへと消えていった。



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