29 Her memory will never die



「――元気でな、クラの助」


時は夕刻。ツォンとイリーナから一旦離れ、ヴィンセントに「また来る」と言って忘らるる都を後にしたシンバは、ファーム主との約束より一足早くチョコボの返却を済ませていた。

何だかんだスケジュールの詰まった一日。本当はもっとヴィンセントと話したかったのだが、この後の先約をすっぽかすワケにはいかない。…しかし、どうしてか足はバイクの方へと向かってはくれなかった。チョコボの顎スジを撫でながら、帰路への覚悟が定まるのを今は待っている。


「……」


"不測の事態"さえなければ、今の心情はここへ来た当初よりも穏やかだったのだろうか。新たな"課題"の提供―いや、寧ろ社内のトップシークレットをこっそり教えてもらったような衝撃は今尚続いていて、さて、帰って第一声に何と言うべきかが決まらない。


――ずっとあなたを探していました


確かに、今思えば腑に落ちないところは多々あったようにも思える。それが詭弁だったとか口車だったとかそこまでの判断は出来ないにしろ、ツォンの言葉が凸凹だったコネクタをピタリと当てはめてくれたような、靄のかかっていた視界が急に晴れたような感覚があることも否定は出来ない。

…それでも、分からない事だらけだ。そしてまだ、確証が無い。どうするべきか。開口一番それを問うべきか、知らないふりを続けたまま"同志"として行動し様子を見るべきか。


「……、」


溜息が漏れる、いや、寧ろ溜息しか出なかった。何をどうするのかが最善なのか、…いや、最善などを考えても無駄なのか。

どうしてこう…次々と問題が増えていくんだって、思っても誰にも八つ当たりが出来ないところが悔しい。グリグリと顎筋を撫でる手に力が入るもチョコボにとっては快楽でしかなくて、でも、それでこちらも癒されているからまぁ…いいか。気持ちは当初よりは落ち着いている。…ほんの、少しだが。




「――おや、まだいたのかい」


チョコボが反応した後でかかった声にその方を見やれば、牧草を持ったファーム主がやってきた。重たそうなそれをよっこいしょと地面に置いて屈めた腰をトントンと労い、一つ大きな欠伸をしている。それほど若くはなさそうな見た目、牧場の経営は力仕事ばかりだろう、大変そうだと思いながら会釈をした。


「えらく気に入ったね。いや、気に入ったのはチョコボの方か?」

「そろそろ帰らないとって思うんですが…名残惜しいですね」

「はは、ならどうだい?ここで働くかい?」


冗談か本気か分からないが、終始笑顔で運んできた牧草を均等に分けえさ箱に放り込んでいく主を目で追いながら「考えておきます」とこちらも笑顔で返す。
おじさんはどうしてチョコボを育てる道を選んだのかと聞こうと思ったが既に距離が遠くなったのでやめた。「こら、やめい!」と頭をチョコボに突かれながらも嬉しそうなおじさんの顔を見る。
チョコボとずっと一緒にいられるならば悪くない話かも。現状、まだタークスに所属している身。本格的にタークスを辞め、職を失ったらここに雇ってもらおうか。


「……」


なんて。今後どうなるか分からない未来に少し逃避をしたところで、まずは目の前にある問題を解決しなければ先には進めない事を奮って言い聞かせ現実を受け入れる。今の会話で気は紛れた。…ほんの、少しだが。


「…ね、おじさん」

「なんだい?」

「この辺で…怪しい黒ずくめの銀髪の三人組とか見たことあります?」

「黒ずくめで銀髪?……いや、見たことないなぁ」

「そっか。…あぁ、気にしないでくださいね、こっちの話なんで!」


そうして何故その話を主に振ったのかは分からない。それを主が目撃していたとしても次の己の行動は何も変わらないのに。

心細い、…そう、心細いのだ。協力者が裏切者かもしれなくて、そうすれば己はまた一人、一人で様々な問題を解決せねばいけないから。
だからきっと、何かを明確にしておきたい気持ちがあった。次の一歩を自然と踏み出すための会話の終わりを、未だ目に見ぬ敵の存在を。


「黒ずくめで金髪の男なら何度か見たことあるなぁ」


その敵に立ち向かおうとしている"仲間"の存在を。


「チョコボみたいなツンツン頭してよ!バイクにチョコボが乗ってるのかと思わず二度見しちまったよ」


なーんてな。ガハハハと親父ギャグをかまし上機嫌な主に取り繕った精一杯な笑顔はきっと笑えていない。
隠すように振り返って見たチョコボに重なった彼の顔は、それが一つ鳴き声を上げたことによってスッと過去へと消えていった。



*



「――戻りました」


そうして、戻ってきたアジト。聞くべきか、聞かぬべきかの二択どちらを採用するかは決めていないものの、とにかく不自然さだけは出さぬようにと意気込んで開けた部屋のドア。恐らく玄関に入った時からした物音で気付いていたのだろう。彼の姿は入って瞬間目に飛び込んでくることは無く、その声はキッチンの方から聞こえてきた。


「おかえりなさい」


「どうです、収穫はありましたか」挨拶からの第一声。その問いに大いに返したい答えはあったが、ゴクリと飲み込んでとりあえずソファへと腰掛ける。コーヒーを運ぶその様はもう見慣れてしまったが、深まってしまった嫌悪感を重ねればその行動一つ一つが怪しく思えて仕方が無くて、シンバはそっと視線を逸らした。


「……何も。ただ思い出を掘り起こしに行っただけになってしまいました」

「忘らるる都に良い思い出が?」

「…んー、悪い思い出も、ですかね」


感慨深くなりながら、コーヒーへと手を伸ばす。いや、どちらかというと落ち着け自分、という感じか。

エッジから少し外れ、砂漠よりに位置しているこのアジト。朝や昼間にはそれ程思わなかったものの、夕刻、日が暮れるとやはり少し肌寒い。シノブも今の自分と同じような格好、シャツの上にパーカーを羽織っているだけのようだ。
だが、寒くないですかとは聞かなかった。コーヒーの温かさに浸るようにマグカップを摩り、その漆黒を見つめ続ける。どうしてもシノブの顔を見ることが出来ない。


「数回、足を運んだことがあります。この世界の中でも特別神秘的な場所だ」

「そうですね」


"悪い思い出"と言いコーヒーを見つめ続ける自分を凹んでいると思ったのだろうか、シノブは話を切り替えない。
しかし、その内容に触れるつもりはないと思う。己とタークスにあった諸事情も聞かないくらいだ、この話にも興味など無いだろう。
…しかしふと、思ったことがある。


「…エアリスという女性をご存知では?」


彼への詮索ばかり考えていた脳を埋め尽くしたのは、自身に覚悟をくれた彼女の姿。


「…………古代種の、ですか」

「そうです。…やっぱり。宝条は古代種を追っていたから…もしかしたらと思って、」

「…ジェノバ・プロジェクトの一つ―いや、それそのものに彼女は関わっていましたから」


それから、シノブはエアリスについて知っていること、古代種に分かっていることを話してくれた。
内容的には殆ど既知ではあったが、彼から見たエアリスを、彼の考える古代種の話を聞けたのは新鮮だった。タークスの監視下にあったエアリスだが、研究の為何度か接する事はあったらしい。宝条に近づくのは嫌がっていたが、自分には気兼ねなく接してくれた、と。


「…とても美しく、とても不思議な女性でした」


彼女と接すれば誰もがそう思うだろうと、今は無き彼女の姿を脳からマグカップの中の液体に映す。少しの振動で起こった波紋でぐにゃりと曲がった彼女の眩しい笑顔。
エアリスがタークスの監視下から外れ我々と旅に出たことはコスタで出くわした宝条ですら知っていたから、リーダーであった彼に知らされていないことはないと思う。…けれど彼は知らないだろう、この世界が救われた源を、彼女の最期を。


「…この世界を救ったのは、エアリスの力でした」

「…彼女の、力?」

「はい。…でも、亡くなったんです。忘らるる都で」

「……そう、でしたか」

「セフィロスに、殺されました」


ピタリ、と彼の身体が止まる。
そこでシンバはこの部屋に入って初めて、シノブと視線を交えた。

エアリスの死、そしてセフィロスという悪夢。もっと驚くかと思っていた。忘らるる都で何故彼女がセフィロスに殺されねばなかったのか。彼女に関わっていた者として、セフィロスを厄災として認識しているのであれば、もっと深く掘り下げてくるかと思っていたのに。


「……残念です」


シノブは、そうとしか言わなかった。



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