30 to completely deceive someone



その後すぐに視線を外し、コーヒーを一口喉へと通すシノブ。シンバも沈黙が気まずくなって同じ動作を続けた。
この人はきっと、他人の"人生"に興味がないのだろう。経緯や理由よりも、結果を重視している。…研究者ってそうなのだろうかと、この時はそこまで気にしなかった。いや、気にすることが出来なかった。

――さて、どうするか。

前置いた会話で随分と気持ちは冷静だった。なんならこのままの勢いでジェノバの話からサラッと銀髪三人組の話をふっかけてみようと思っていたのに、途切れた後では言い出しにくく、次の会話の出だしに詰まる。
やたら、コーヒーが苦く感じた。口の中を空にして言葉が出る状態にしておきたくないという意識が働いて口内に留めている時間が長いからだろうか。既に温くなったそれで暖は取れない。摩る意味も、全く無い。


プルルルル_


「「!」」


その時、シノブのPHSが鳴った。「失礼」そう言って彼は部屋の外へと出て行く。出て直後、話す声は聞こえず、遠ざかる足音だけが響き消えていく。隣の部屋に移動したのだと思われる。


「…………」


咄嗟に思う。銀髪三人組の誰かからの連絡なのでは、と。
彼等がPHSを持っている描写はあった。もしも本当にグルなのであれば、連絡先くらい交換しているのではないか。頻繁に連絡を取り合っているのではないか。


――次に狙われるのはお前だ


ふと、ツォンの言葉が蘇る。シノブが奴等と手を組んでいるという情報に囚われすぎて考えていなかったが、次に狙われ拷問を受けるのはお前だという意味と推測するに、ツォンとイリーナから情報が得られなかった為に第三者―己に切り替えたということだろう。…だが、あまりにしっくり来ない考え方である。次に狙うならば、レノやルードと考えるのが普通だ。タークスとして活動していなかった自分の存在を求め、遠回しに攻める手段を彼等が選びシノブに指示を出したとは思えない。それについ最近まで存在の無かった自分を使おうと思う程、己の存在が大きかったとも。…だって、銀髪達が自分を知っている筈がないのだから。
よって、己を狙う提案をしたのは彼等ではなくシノブということになる。しかしそれが本当ならば、銀髪達がかなりシノブを慕っているということにも繋がる。誰かの下について動くような輩には見えない。ましてや思念体、たかが研究者の言いなりになる理由が見当たらない。

だから、余計に分からなくなる。


「……」


証拠さえ、あれば。憶測で語ることも煩わしさも無くなるのに。どうやってそれを掴むべきか。――問うか。いや、はぐらかされれば終わり、己の前から姿を消す事も考えられる。そうなれば、今のこの状態がベストなのではないか。奴等の動向も監視できるのならば、ストーリーの状況把握もし易くなる。そっちが逆スパイを頼むのならば、こっちも逆スパイをさせて頂くか。


――ガチャ


「すみません、話の途中に。旧友からでした」

「いえ、お気になさらず」


コト、とテーブルに置かれた黒色の物体に目がいく。


「あぁ、すみません。PHSを渡しておきます」


自身の視線の先の物を見て連想し、当初の目的を思い出したのだろう。立ち上がって近くの棚の上に置いてあった紙袋から取り出し「どうぞ」と言って渡された小さな箱。早速開けてみればタークス時代に渡されていたそれとなんら変わりない白色の機器が入っていて、そういや本当に自分が持っていたそれはどこに落としてきたのだろうかと、それさえあれば皆に連絡もとれて、こんな事態に陥ってなかったのではないか、なんて。


「僕の番号は入れておきました。他に欲しい番号あります?」


って、知っているモノは限られていますけど。付け足し笑って「おかわりどうですか」とマグカップを持って立ち上がる彼に「お願いします」と一言返し、それを見つめる。
銀髪達の番号をください、なんて言える筈もなく、かといって他に欲しい番号は浮かびはするものの、声にはならず脳内から消えていく。

機能確認のため、適当に触ってみる。アドレス帳には確かに、シノブの番号しか入っていない。そうしてある筈もない履歴欄にボタン操作を移したと同時。
チラリ、とシノブのPHSに焦点を当てた。


「……」


彼の履歴を、チェックしてみるか。アドレス帳でもいい、それらしき名前が記録されていたら彼は"黒"と確定できる。
ドクリ、ドクリ。急に心臓が早足になる。まるで彼氏の浮気を疑っている女な気分。…嫌な気分だ。


プルルルル_


「!」

「あ、私です。念のため確認の電話を」


その気を紛らわすように、それを自ら鳴らした。笑って誤魔化せば彼は何言うことなくマグカップを両手に再びソファへと腰掛け、PHSへと手を伸ばす。
ピッ、ピッ、と指を動かすたびに鳴る機械音。懐かしい音だ、と浸る傍ら、意外と大きい音に疑問を投げた。


「…音、消さない派なんですね」

「あぁ…落ち着くんですよね、機械音。研究で嫌というほど聞いてきたのに…」


「確かに、あなたからでした」とわざわざ着信履歴画面を見せてくれた。それはよかったと意味のない返しをして温かいコーヒーへと手を伸ばす。
…音がデカイのは想定外だったが、今知れて良かったデメリットだ。そうなるといつ実行するかが問題。たった一日しか行動を見ていないため、彼のPHSの居場所など常に把握していない。肌身離さず持ち歩いているのか、基本放置プレイなのか。放置プレイを望むが、彼が席を立った隙に…は難しいような気もする。音がネックだ、かといってお出かけの際に家に置きっぱなしにはしないだろう。…風呂か、御手洗いか。狙うならばどちらかの時が無難か。


「ちょっとお手洗いに」

「…!」


と、考えていた時のまさかのチャンス到来。彼はPHSをそのままにそそくさと部屋から出て行く。ドクン、ドクン、と機械音のように大きな心臓音が部屋中に響き始めた。…これは偶然か、必然か。
見るなら今しかない。手は震えていた。


「っ、」


サッとPHSを取り背中にあったクッションの裏に隠れ、音の出るところを左手でめいっぱい塞ぐ。携帯っ子で良かったと今なら心底思えるが、素早く動く割に震える指は上手く機能していない。ピッ、ピッとくぐもった音は己の飛び出しそうな心臓の音で小さく聞えるだけだろうか。


「……っ、」


着信履歴一番目、"シンバさん"の標記。画面一杯に見られる履歴は5件。"シンバさん"のすぐ下には"アレン"の文字。知らない名前。だが、時間的にも先程の電話の相手だ。
下ボタンを連打して標的を探す。見知らぬ名前ばかり。…無い、どこにも。発信履歴にも、アドレス帳にもカダージュ等、怪しい名前は一切。偽名登録?…いや、偽名で登録する必要性があるだろうか。分からない。

単に、連絡は取っていないのか。
やはり彼は、"白"なのか。


「…!」




――ガチャ


「おかえりなさい」


ニコリと微笑みを向けて、コーヒーを口に含んだ。
ギリ、セーフ。足音が聞こえ刹那元の位置にPHSを戻し、クッションを無駄に叩いて形を整え、何もしていませんというようにマグカップを取った。未だ煩い心臓の音、それでも機械音と違って彼には聞こえまい。少し震えの残る手も、両手でマグカップを持つことによって誤魔化す。落ち着け、自分。落ち着け、自分。


「…どうかしました?」


お手洗いから帰ってきただけでニコニコと挨拶をされるのを不信に思ったのだろう、不思議なものを見るように顔に含み笑いを浮かべたシノブはPHSを手に取りズボンのポケットへとつっこみ、そしてソファへと座った。PHSを気にしていない当たり…とりあえず、触ったことはバレていないようで一安心。


「いいえ。このコーヒーも美味しいと思って」

「そうなんです!その豆は――」


とりあえず今日は、休戦にしよう。今のでどっと疲れた。
コーヒーの話に夢中になっていく彼に目を向けながら、そうして自身も気を紛らわせるように、シンバは思考を切り替えていった。


――…


…シンバは知る由も無い。
シノブの羽織るパーカー、左ポケットにある小さな膨らみの"正体"を。



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