06




…その声は、しっかりとリヴァイの耳にも届いていた。


「――っ!?」


思いもよらない声色。それが紡ぐは彼女の名前。あのハンジが声を上げる程だ、きっとそれに何かあったのだと悟って咄嗟に全速力でその場へ戻る。


「っ、クソ――!!」


いつも以上にその心は焦っていた。実力者のハンジ、そして自分に引けをとらない力を持った彼女の二人なら問題ない、だなんて。



――選べ



…己はまた、選択を誤ったのだろうか。一人でここへ来る選択は、間違っていたのだろうか。今迄それを表に出した事は無い。考えないようにしていた。いや、考えないようにしてきた。"あの時"から何が正解かなんて分からないままで、…この世界に正解なんて無いのだと言い聞かせてきた。なのに、己はまた、

――失うのだろうか




「――っ…」


目の前に立ち込める蒸気。辺りにその姿はないが、左方向木の上にハンジがいるのを見つけリヴァイはそこへ登る。


「っ、おい何が、」

「…………やられた。不意をつかれた…いきなりだったよ…」


その言葉とは裏腹にハンジの声に悲痛はない。寧ろあるのは歓喜。…その目を見るのをリヴァイは忘れていた。そのメガネの奥は、


「っルピーーーー!!!」


最高に滾った時のものだった。


「…!?」


ハンジが飛び出して行った方向。蒸気の白さに塗れて最初は気付かなかったが、

…そこにそれはちょこんと座っていた。


「っ――、」


驚いて一瞬言葉を失う。見たこともない珍しい光景に。それはあの目撃情報の絵と同じ。真っ白くて大きくて、"獣"のような猛々しさよりもどこか美しいその様はいろんな意味で見たものの目を奪う。


「ルピ!!ルピ!!最高だ!!」


…それに抱きついてグリグリと頭を擦りつけている"奇行種"はさておいて。 それは見るからに犬に近いが、犬では無い。舌を出してハッハッと息をする様は犬だが、…犬では無い。


「…、ルピ」


リヴァイがそう呼べば、それはピクリと反応して自分に顔を向ける。視線が合う。…あぁ、良く似ている、だなんて。すぐに分かった。ウォルカが言っていた事にもようやく納得出来る気がした。
そして確信する。確証する。これは正真正銘、…ルピなのだと。


「言葉!!言葉が分かるんだね!?」


最高だ!とハンジはさっきからそれしか言わない。…完全に滾ってしまった。リヴァイは一つ溜息を吐くと、班の連中を呼びに一旦その場を去った。


 ===


「「――…っ、」」


そうして連れてきたモブリット達も一瞬声を失くしていた。その姿に、ハンジの奇行さに。
…まぁ、無理もない。この壁外においてこれ以上の発見が今まであっただろうか。巨人でも無くまた未知の世界への扉が、こんなにも近くに存在していたことを。


「…おいハンジ、いい加減離れろ」

「なんだよリヴァイ!あぁそうか!!キミもルピに抱きつきたいんだね!!残念だが却下だ!!」

「…おいモブリット、あのクソメガネなんとかしろ」


そうしてハンジが引きはがされ、それはようやく立ち上がった。ニファ達は一歩引き下がったが、リヴァイはビクともしなかった。
立ちあがった様は圧巻だった。その威圧的な風格。人間には到底出せそうにない、"獣"特有のもの。これが敵でなく味方でよかっただなんてそんな事を思いながらも、しかしどこかあどけないように見えるのは…彼女の面影からだろうか。

こうして大人しくしているところを見ると自分達をしっかり認識しているという事は分かるが自我はハッキリしているのだろうかと、しかしそれを思って問うてもルピは何も言わなかった。何を言っているのだろうと、あの時―初めて出会った時と同じような表情をしていて。
そのままでは話すことが出来ないのだろう。言葉についても恐らく全てを理解は出来ない。そこは犬と同じ性質なのか本人に確かめる必要がある為、リヴァイが理解出来るか出来ないかは別としてルピに「元に戻れ」と声をかけた、…その時。


「待ったリヴァイ!!このまま実験を続けよう!!」


リヴァイには声で、ルピには掌を向けてハンジがそれを止める。


「…これ以上何の実験をするってんだ。ここに留まるのは危険だと――」

「ルピのそれが巨人の興味対象になるのかだよ!!」


あの事件の調査報告書ではその記述が曖昧で、ハンジはずっとそれを気にしていた。その姿がただの"獣"と判断されるのならば、それは今後の遠征においてかなりの有益になる。せっかく壁外に来ているのに、それにルピが元に戻ってまた変身出来る確証なんて無い。だからこの好機を無駄にしてはいけないのだと。


「……まぁ、試す価値はあるな」

「時間はまだある!やろうリヴァイ!!」

「俺は構わねぇが。…ルピ、どうだ」


そのリヴァイの声にそれの表情は変わらない。うんともすんとも言わない。ハッハッとどこか嬉しそうに息を吐いているだけ。…本当に分かっているのだろうか。そもそもルピは戻り方を分かっているのだろうか。
しかし、それを了承の意味と取ったリヴァイに滾ったハンジはもう止まらない。…それにあのリヴァイでさえも滾ってしまっているのではないか、なんて。

…モブリットやニファ達は互いに顔を見合わせて、覚悟の溜息をついた。



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