『――上手くなったね、ルピ』
また同じ草原を駆けていた。夢の中。…いや、きっとそれは過去の記憶の中。隣にはあの、大きな"獣"。ファルクとルティルと違う事は最早明確。
『…どうして皆、"元"に戻ろうとしないのですか?』
『……ルピ、それが出来るのはお前だけなのだよ』
『?そうなんですか?』
『そうだ。…お前は、"特別"なんだ』
親しげに話している。それと話す時とファルクやルティルと話す時の心境はどこか違う気がした。…何だろう。分からない。その感情が何なのか、自分には分からない。
『"特別"?』
『あぁ、そうだ。私にとっても、特別な存在だよ』
『父上の――?』
――父上?
「――……、」
ゆっくりと、目を開ける。気付けば自分は布団の中。…地下牢ではない。そこは、いつも暮らしてきた場所だった。
「――気分はどうだ」
かかった声に目を向ければソファにはリヴァイ。読んでいた書類を無造作に机に投げるだけで、彼はもたれかかっていた姿勢は崩さない。
ルピはムクリと身体を起こし「大丈夫です」と一言告げた。身体の気だるさも無いし、寧ろ正常。怪我をした筈の腿にも、痛みは走らなかった。
…あれから、既に半日は経っているらしい。自分が元の姿に戻ったのは壁内に入る直前で、およそ一時間程その姿のままだった。戻ってきてからは死んだように眠り続けていたらしいが、きっと疲れたのだろうとリヴァイは言う。
「記憶は」
「…あります。今度は、ちゃんと」
ハッキリと覚えている。それに変身した瞬間も。そうして奇行種を殺した事も。その後ハンジが抱きついてきて、リヴァイにその名を呼ばれた事も。…その後、暫くその姿で駆けまわっていた事も。
「記憶があるなら話は早い。…それにどうやってなったのか、経緯を説明しろ」
ハンジが来る前に。リヴァイはそう付け加えた。きっと彼女がいたら事が順に進まない事を懸念してだとルピは思ったが、
「…正直に言うと、まだ分かりません」
「…、なんだと?」
怪我をした。その傷から血が溢れた。体中の血液が出口を見つけたかのように一斉にその場所に巡って、体中が熱くなって。全身の細胞が騒ぎ出すような、そんな感覚。あの時―巨人に喰われた時と同じ感覚だ。
それがそのきっかけだと気付いたのは、幼い頃にもそのような事がよくあった事を思い出したから。そう、それは決まって姿を変える前だったと思う。細胞全てが生まれ変わるように熱を発して、体中が熱くなって。
…しかし、
「昔は…怪我をしなくてもなっていた気がするんです」
好きなように、好きな時に、自由自在に。こんなに苦労していなかった気がした。何故ならばそれは自分の力の一部。…そう、それは、
――その力は、"一族"の証だから
「……リヴァイさん。"ルヴ"って、…聞いた事ありますか?」
「"ルヴ"…?」
自分が"ルヴ"になった。あの"ヒト"は確かにそう言った。イコールそれは、自分が変身した姿の事だとルピは確信している。
リヴァイはそれを聞いたこともなかった。"獣"を分類した際の科目名なのかは分からない。
…しかし、一つだけ明確になったことがある。きっと彼女は自分達が思っている以上に、
「ルピ。もう分かっているとは思うが…お前はやはり"普通"の存在ではない」
「……」
「エルヴィンは口には出さないが、お前の過去には重大な"秘密"があると考えているようだ。…お前も、気付いてるんじゃねぇのか」
ルピは布団の上に置いていた両手に目を落とした。
分かっている。自分はいろんな意味を持つ"特別"である事。…しかし、過去が明らかになればなるほど増え続ける謎と矛盾。
その力は大切だと言われた。なのに、その姿を現してはいけなくなった。何故だろう。分からない。"父上"とは、一体どういう存在だったのだろう。
「…ルピ。記憶喪失は一種の"病気"だ。無理に治そうとすると余計に悪くなる」
表情が暗くなった自分にリヴァイがそう言う。思い詰めていると思ったのかもしれない。
「分からない事は分からないままでいい。今出来る最大の事に集中しろ」
「…はい」
「それと、…これだけは忘れるな」
傍へ歩み寄ってきたリヴァイは、クシャリと一つ頭を撫ぜその部屋を出ていく。
――俺は、いつでもお前の味方だ
…ドクリ、ドクリ。その言葉は、ルピの中に深く沁み込んでいった。