09




…その、翌日。

――事件は突然起こった




「うわあああああぁぁぁ――!!!」


悲痛な叫び声が上がるその場に集まるは大勢の兵士。調査兵団だけでなく駐屯兵団もそこにはいて、そしてその声はその中心で上がっていた。


「ソニーーー!!!ビーーーン!!!」


それはまるで我が子の名を叫ぶ母親のよう。頭を抱え泣き喚くハンジは相当ご乱心のようで、あのモブリットでさえそれに声をかけられずにいる。


「嘘だと言ってくれぇぇぇぇ――!!!」


…それは、その日の早朝だった。
被験体である二体の巨人―ソニーとビーンが、


「うわぁぁぁぁ――!!!!」


――何者かによって"殺害"された


夜明け前の犯行だった。二体同時に瞬時に殺られ、見張りが気付いた時には犯人らしき者は立体機動ではるか遠くへ消えていたらしい。あれからハンジは朝まで…そう、その知らせを受けるまでエレンに巨人について語りまくっていたからその場には不在。その時をも狙っていたのか、二人以上の計画的犯行かと疑われているが、貴重な被験体を殺るなんて一体どこの馬鹿だ、なんて。
…そう、それがどれだけ重大な大罪か分からない程の馬鹿がただの復讐心に駆られて実行したのか誰にも見当が付かなくて、その場には推測ばかりが飛び交っていて。


「……」


…そんな中、未だ蒸気が立ち込めるその亡骸を、ルピはただ黙って見つめていた。

敵に勝つには相手を調べ上げる事が必要だと、いつかハンジが言っていた事を思い出す。いつだって人類は巨人の情報不足で、いつだってどんなに考えたって何一つ分からない状況の多さに人類は勝てずにいる。
だから我々は巨人について知らなければならない。自らの手で情報を得続けなければ終わらない。その生態を知って知り尽くせばこの戦局は必ず変わる。人類が一歩進み、そうしていつかは巨人に完璧に勝利する日がくるんだって。


「…………」


誰しもがそれを願っていた筈だった。誰しもが巨人について知りたい筈だった。危険でも、危険を冒してでも手に入れなければいけないものがそこにはあったのに。これではまるで巨人に手を貸したようなものではないかと思われたってなんらおかしくはない状況を、犯人は分かっていてその罪を犯したのだろうか、なんて。


「――ルピ」


ふと名を呼ばれ、振り返ればそこにはエルヴィンが立っていた。この状況下に置いても彼はいつもと変わらぬ表情をしているが、…その瞳の奥は、どこか違う。


「エルヴィンさん」

「…ルピ、君には何が見える」


突然の尋問にルピは目を丸くしたが、エルヴィンの表情は変わらない。小さく、しかし何かを訴えるかのような声だった。
…何が、見える。ルピはもう一度巨体の消えた蒸気のその先に目を向けた。


「……どうして、殺したんでしょう」


皆がそう囁くようにルピも巨人に恨みのある者の犯行の線が強いとは思っているが、…しかし、
本当にそうだろうかという疑念が己の中から消えない。

巨人を捕獲したのは何もこれが初めてではない。ルピが調査兵団に入る前に既に二体の捕獲歴がある。もしも巨人に恨みがあったのなら、復讐心を持っていたなら、今までの被験体でも十分殺せた筈だ。
しかし、その巨人達が亡くなった主な理由はハンジの"誤験"。その時のハンジもかなりご乱心だったようだが…巨人を故意的に殺そうなどと企てた者も実行した者もいないと聞いている。


「…敵は何だと思う?」


だったら何故この二体だったのだろう。どうしてこの二体を殺したのだろう。

…この二体だから、殺した。


――この二体だから、殺せた


「…………、」


敵。人類の敵はずっと巨人だけだとルピは思っていたし、思ってきた。それだけを信じて、否、それが全てで今迄ずっとずっと戦ってきた。
…けど、違う。


「…敵は、」


人類の敵である巨人が殺されて、エルヴィンはそれに敵がいると言った。彼が本当に言いたい事、彼がその短い言葉にまとめた真意は果たして何なのだろうと、考えればしかしそれはすぐにルピの中に浮上する。


――人類の敵は、巨人では無い


人類の敵は巨人の他にいる。本当の敵は壁外でなく、この壁内にいる。…そう、この壁内において、それを殺せる敵なんて…唯一しかいない。


「…人間、ですか」


今度はゆっくりと、ルピは後ろを振り返った。見降ろしてくるエルヴィンの表情はやはり変わらない、…けれど。


「っ!」


クシャリと、エルヴィンはルピの頭に手を乗せ、何も言わずに去って行った。

…それはまるで、賢い己の飼い犬を褒める時のような仕草であった。



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