「――お前を半殺しに留める方法を思いついた」
あれから数週間の時が過ぎ、リヴァイ班はようやくエレンの巨人化実験に踏み込もうとしていた。
今迄それをしなかったのは、巨人化したエレンを止める術が殺す事以外に何も誰も思いつかなかった為。殺してしまっては実験も何もクソもなくなってしまうからだ。
「このやり方なら重傷で済む」と言ってリヴァイが黒板に描いた図は、点線の楕円の中にヒト型の絵とまるでどこぞの殺人現場跡のようなもの。要は、個々の技量頼みにはなるがうなじの肉ごとエレンを切り取ってしまえばいいという事らしいのだが。
「その際手足の先っちょを切り取ってしまうが…どうせトカゲみてぇに生えてくんだろ?気持ち悪い」
気持ち悪いとはまたあからさまに言ったなと思いつつも、確かにそれは信じ難いものである。トロスト区襲撃戦が始まって即エレンはその足と腕をそれぞれ巨人にやられ失っていたらしいが、巨人化を解いた際にはそれらは完全に元に戻っていたそうだ。
それにリヴァイに奥歯を飛ばされた時も直ぐに生えてきていた。傷の修復が自然と可能というよりは、その治癒スピードが尋常でなく速いという事なのだろう。それはルピと同じのようだが、…その仕組みについては未だ分かっていない。
「ま…待って下さい、どうやって生えてくるとか分からないんです。何か他に方法は…」
だからエレンは、リヴァイのそれに難色を示した。確実に治るという保障なんてどこにもないのだから。
…しかし、
「何の危険も冒さず何の犠牲も払いたくありません、と?」
「い…いえ、」
「なら腹を括れ」
暴走したらエレンはリヴァイ班に確実に殺されるだろうが、けれども何もその命が危ぶまれるのは彼だけではない。
…人が操る巨人。人間としての知恵が備わっている分、通常種より奇行種よりもはるかに危険で厄介なのは誰が考えたって分かる事。イコールそれは、彼に殺される危険が自分達にも同じようにあるのだとリヴァイは言った。
…自分だけがと、ずっと思っていたのだろう。その命が等価交換にある事を知ってか、エレンは後ろに立っていた四人を振り返って静かに「分かりました」と頷いた。
「じ…じゃあ…実験していいよね?」
教壇に座って今迄一言も発さなかったハンジがようやく声を出したかと思ったら、光るそのメガネの奥が既に滾っているのをルピは見た。
リスクは大きいが、検証しないワケにもいかない。エレンがその力を完璧に駆使出来るようにならなければ意味がない。…そう、躊躇っていては、進展も後退も出来ないのだ。
「エレン…分からない事があったら、分かればいい。自分らの価値を懸ける価値は十分ある」
そうして、本格的に実験が始まった。
「――じゃあエレン、準備が出来たら信煙弾で合図するから。それ以降の判断は任せたよ!」
森を抜けた先の平原にある涸れ井戸、エレンはその奥底に一人下ろされた。仮に自我が無い状態の巨人となってもその場なら拘束出来ると踏んでの事で、そしてそれが今出来る最善の防護策だった。
「了解です」
そうして井戸から離れて数メートル。ハンジが緑の信煙弾を撃ち、その場に流れる暫しの沈黙。
それとは反対側にいる四人の表情こそ見えないものの、馬が興奮して落ち着きが無いのを見るとその上の人間の心情が穏やかでない事がよく分かって。…ルピは敢えてそこから目を逸らした。
エレンがそこで巨人化したとして、その状態から何をするのかルピは知らない。いざとなったらお前も切りかかれよとリヴァイから命令を受けてはいるが、…果たして本当にそうなるのだろうかという疑いが自分の中に存在していた。何もかもが上手くいくだなんてそんな事頭には無いが、いつも通りのただの勘なのか、自分が巨人化するエレンに対して何も思っていないからかは定かでない。
「…?どうしたんでしょう?」
…そうしていつまでも途切れぬ沈黙がやけに気になり出したのは、事変わらぬ目の前の井戸の存在とそよぐ風の音がキレイに耳を掠め始めたからか。あれから一体何秒経ったのかは数えていない為分からないが、それにしてはやけに手間取っているな、なんて。
「合図が伝わらなかったのかな」と言うハンジもそれにはかなり懸念の色を見せていたが、
「…いいや。そんな確実性の高い代物でもねぇだろ」
コイツの時もそうだったじゃねぇかと言って、リヴァイは井戸へと近づいて行く。
「エレン!一旦中止だ!」
ルピもそれに続き、「何かあったの」と言うハンジと共に井戸を覗けば、…そこには。
「ハンジさん…巨人になれません…」
「「!」」
手を血塗れにした、エレンが立っていた。
===
「――大丈夫ですか」
「…はい、すみません、ルピさん」
それからエレンは即井戸から引き上げられ、一旦休憩を挟むこととなった。
自らの手を噛むという自傷行為によってエレンは巨人化するのだが、リヴァイが止めるまで何度も試していたのだろう、その血塗れになった掌にはいくつも噛み千切られた痕が残っていて、ルピは痛々しいそれを隠すように包帯を巻いてあげていた。
「自分で噛んだ手も傷が塞がったりしていないのか?」
「はい…」
「…お前が巨人になれないとなると、ウォール・マリアを塞ぐという大義もクソもなくなる」
命令だ、なんとかしろ。そう言って去っていくリヴァイの顔はいつになく怖く、ペトラがそれをなだめようとそこへ駆け寄っていく。
それにエレンは力なく「はい」と返事をしていた。その顔にあるのは怯えか無念か焦燥かは分からない。けれどもその背にのしかかる責任と期待の重さだけは分かって、そうしてルピが彼に声をかけようとした時。
「――そう気を落とすな」
彼を労わったのは、以外にもエルドだった。
「まぁ…思ったよりお前は人間だったって事だ」
焦って命を落とすよりはずっと良かったと、慎重が過ぎることはないと、彼らがそう言うのは何らおかしい事ではない。…なのに、リヴァイがあんなであるのにグンタもエルドもオルオもやけに落ち着いているのが気がかりだった。
…そう、まるで、それはまるで、現状を変えるのを望んでいないかのように。
「うっ…!」
その時。紅茶に砂糖を入れようとして、しかし傷が痛んだエレンがその手に持っていたスプーンを不意に地面に落とした。ルピが咄嗟に拾おうとしたが、自分で拾うとエレンが言うのでその行動をじっと見ていた、
――直後
ッドォォォオオンン_!!!
酷い爆発音と共に、その場に熱風が吹き荒れた。