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「ちょっと…何やってんですか!?」

「いってぇ…」


そりゃ痛い。誰もが本気でそれを噛み切ろうとしたのであろう、その手の甲には歯形がくっきりと残っていて薄らと血が滲んでいる。
その場にはまたあの時とは違ったどよめきが起こっていた。いきなり自らの手に噛み付くなんて集団行為を今迄誰が目撃した事があるだろうか、いいや無い。


「これはキツイな…エレン、お前よくこんなの噛み切れるな」

「俺達が判断を間違えた…そのささやかな代償だ。…だから何だって話だがな」

「「…!」」

「お前を抑えるのが俺達の仕事だ!それ自体は間違ってねえんだからな!調子乗んなよガキ!!」

「ごめんねエレン…私達って、ビクビクしてて間抜けで失望したでしょ…?」


彼らが向けた牙は人類の為でなく、ただ単に自己防衛だったのかもしれない。…それでもその判断全てが間違っていたワケでは無い。何も彼らはエレンにそうする事を望んでいたわけでもないのだ。

人は、一人では大した事は出来ない。エルヴィンの作戦もハンジの知恵もリヴァイの力もルピの能力も、信頼できる仲間が―彼らがサポートしてくれるからこそ最大限発揮する事が出来る。それが組織で、それが調査兵団たるものだ。
オルオの言う通り彼らは班員として組織としてその行動に出ただけであって、エレンとの距離を測り損ねていただけ。憶測で積み上げたイメージが悪い方へと膨らんで、信頼を築くという事に重きを置けていなかっただけだ。


「私達はあなたを頼るし、私達を頼ってほしい。…私達を、信じて」

「…、はいっ…!」

「それにルピも、ゴメン。…信じてあげられなくて」

「……いえ、いいんです」


ルピにとってそれは大して重要でなはない。…仕方ないのだ。元から自分はエレンを信用していたから、彼らのその気持ちと自分とを天秤にかける事は間違っている。それにエレンの顔も四人の顔も既に晴れていてその場にあった蟠りは解け、彼らの目の奥にあった忌諱も無くなっていた。

ルピは、それだけで十分嬉しかった。




 ===




その、翌日。エルヴィンに許可をもらい、ルピの能力はエレンにだけ明かされることとなった。

エレンはそれを見た瞬間かなり驚いていたが、それでもすぐに慣れてくれた。我が物顔のドヤ顔でその能力やそれを見つけた経緯などを話しているのは何故かハンジ。その話をとても興味深そうにエレンは聞いていて、ルピは何故かモブリットとじゃれあっている。


「…ルピは本当に凄い奴ですね」


その光景をリヴァイ達は優雅に紅茶を飲みながら遠くから眺めていて、ふとそう呟いたのはエルド。ルピが自分達と異なり、エレンに対して恐怖も何も抱いていなくて彼が人類の敵ではないと最初から理解していた事をその時ひしひしと感じさせらたのだった。
…いや、最初から彼女は何に対してもそうだった。巨人に対して一般兵が思うような感情を晒した事などない。彼らからすればそれはリヴァイと同じで、本当に彼女はリヴァイの隣にいるのに相応しい存在だ、なんて。


「…まぁ、"同じ性質"ってのが一番だろうが…年が近ぇから余計親近感も湧くんじゃねぇか」


いつしかリヴァイはエレンに寄り添うルピというその光景に嫌気を感じなくなっていた。…分かっていたのかもしれない。エレンが地下牢で鎖に繋がれているのを見た瞬間にそこに重なった影があって、兵達の中に生まれた厭忌でさえもそれとダブって。彼女がそれに対して何を思うのか、なんて。
ただ、その口からそれを聞くまで信憑性に富まなかったのは…己が彼女に抱き始めた感情がその妨げになっていたのか、醜いただの"飼い主"としてのプライドか。


「年が近いって言っても兵長、俺達エレンと五歳も離れてるんですよ?俺はどっちかってと兵長の方が親近感湧きますよ、大人ですから」

「何サバ読んでんのよオルオ。あんたまだ十九でしょ」

「いいじゃねえか一歳くれえ…俺はまだアイツが俺より年上だと認めてねえんだからな!!」

「…………おい、待て」

「「っはい?」」


何故か唐突に始まった年齢話に、しかしリヴァイにはあからさまにひっかかる部分があった。オルオ達がもう二十近い事は知っていたが、…そのオルオが放った言葉。俺はまだアイツが俺より年上だと認めてねえ。…アイツが俺より年上?


「…アイツ、ルピは……お前達より年が上なのか?」

「え?知らなかったんですか兵長?」

「私達は今年で二十ですけど、ルピは今年で二十一になりますよ」

「!マジか!俺とタメじゃねぇか!!」


それにはグンタもエルドもかなり驚きを見せていた。その容姿と身長から彼女は幼いというのが昔からある定義であって、誰もそれを覆そうとはしなかった。兵団内で彼女の本当の年齢を知る者がはたしているのかどうかさえ疑わしい。ペトラ達は同期だから知っていてもおかしくはないが、…気になるのはハンジの野郎。奴はルピの身体検査などもしている為知っていたのではないか。いつかそれを問うた事があったように思うが、奴ははぐらかしていた気がする。
…五歳。五年は大きい。五歳は十歳。十五歳は二十歳になる(あたり前だが)。彼女が幼いという定義によって何かの"歯止め"が己の中に生れていたのは確かで、…しかし、


「……あの野郎ハンジ――」


後で削いでやる、なんて。どうしてそうなるのかペトラ達にはサッパリで、何故かその場にはリヴァイの黒いオーラが広がり始めていて。
…打って変わって楽しそうに駆けるルピのその白い姿が、やたら微笑ましく見えていた。



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