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昨夜の荒れた天候はリヴァイの言った通りただの通りすがったものとなり、雷はいつのまにか遠くへ消えていて夜中のうちに雨は止んでいた。打って変わって雲一つない快晴がその日の朝から広がっていて、照りつける日差しが濡れていた地面を乾かしていく。

第57回壁外調査当日。カラネス区からの初の遠征に、しかしいつものように住民たちが隊列に群がる事は無く、それらは訝るようにその家々の窓を隔ててそれを眺めていた。静寂が広がるその場に響くは馬の蹄がコンクリートを打つ音と、所々で兵が話す声のみ。


「――にしてもよぉ、ルピは薄情な奴になったな…見送りにも来ねえとは」

「珍しいね。…寝てるのかな?」

「些細な物音一つで起きるアイツがか?ありえねえだろ、それはよ」


後ろから聞こえるそれにリヴァイは振り返らず、ただ耳を傾けていた。
彼らの言う事には一理ある。ルピが兵団に戻り壁外調査に復帰するまでの間、彼女は援護班として門までは付いて来ていて自分達が出陣していくのを見送っていた。だから今回その姿さえ現さない事に誰もが不思議がるのは当然のこと。


「もしかして…どっかに紛れ込んでるんじゃねえか?我慢出来なくてよ」

「まさか。ルピは命令に忠実なんだからそんな事しない」


今朝方からこの隊列を成す迄に彼女のその姿を視界に入れた者は数少ない。
朝一番に顔を合わせた時には昨夜よりも顔色は優れていたように思うが、その心情が穏やかだったかどうかまではリヴァイには分からなかった。…今まで以上に危険で過酷な任務。彼女に課せられたそれがこの遠征を成功へ導く為のカギになると言っても過言ではないが、…いつも彼女が背負っているモノを思えばどうだろう、彼女にとってそれは変わらない重みなのかもしれないけれど。


「団長!間もなくです!!開門三十秒前――!!」

「いよいよだ!これより人類はまた一歩前進する!お前達の訓練の成果を見せてくれ!!」

「「「ウオオオオ――!!」」」


声を上げた兵士の言う通り、前進か、後退か。…あるいは、破滅か。


「開門始め!!」

「第57回壁外調査を開始する!前進せよ――!!」


兵団の未来をも懸けた遠征が、今、始まった。







Beherrscher






「進め!進めえぇぇ――!!」


カラネス区を一歩出たその先にはトロスト区とは異なり旧市街地が広がっていて、視界の遮られるその場所では援護班が巨人の相手をし隊列を死守していた。隊は真っ直ぐ前を見据えて前進あるのみ。…この場で最も必要だと感じさせられる彼女の能力は、無いままに。
そこを抜ければトロスト区の先と同様、辺りに広がるは平地。見渡す限り何も無い広大な敷地で、そしてそれは即行使された。


「長距離索敵陣形展開――!!」


エルヴィンが右手を水平に伸ばし、それを合図に兵達が一斉に四方へ散る。…数分後、兵団は綺麗な半円状を描いて一つの巨大なレーダーと化した。


「…さ〜て、どこから来るかなぁ――」


先頭を走る索敵の後ろ、エルヴィンと共に進む三人の兵士。その後方少し離れて荷馬車の一列目、それを囲むはハンジ班の面々。誰もが裏の作戦を認知していて、…その荷に積まれた中身を知っている者達ばかり。


「…………」


ガタガタと少しの振動で馬車全体が揺れると同時、積まれている隣の樽が微妙に己に当たる。別に痛くもなんともないが、平地はこんなに荒れているのかとひしひしと感じさせられながら、


ルピはただ黙ってその場にちょこんと座っていた。


オルオが言っていた通りルピは我慢が出来なくて勝手にそこに紛れ込んでいるのではなく、自分のスペース―樽一つ分を空けてもらってそこにいる。
ルピの能力が新兵に公表されずこの作戦にも参加していない体(テイ)を取ったのは、ルピがいればそれの現れる確率が低くなる事を想定してのこと。その鼻と耳がいかに優れているかを知っていれば、あるいは知れば、無理にその行動をとる筈が無い。他の巨人と格段に異なる事が即座に知れ、そうしてその正体がバレる可能性が高くなるからだ。

…ただ、それはあくまで作戦の一部。こうして身を隠してまで荷馬車に乗っているのには、また別の任が控えているからこそ。


「……、」


少しの隙間から見える景色は大半が荷馬車を引く馬の手綱を握る兵―ケイジの背中で、今どこの辺りを走っているのかまでは分からない。けれどもそれはさほど自分にとっては重要ではなかった。…大事なのは視界から入るものではなく、耳から入る情報ただ一つ。


ズシン、ズシン…


聞こえてくる音はいつもと同じで変わらない。ハンジのワクワクしたような声もハッキリと耳に届いていて、ルピにとってもそれだけが今己の中を占めていた。

いつ、どこで、どうやってそれが現れるのか、そもそも本当に現れるのか。現れればそれがどんな大きさで、どんな容姿をしているのか。そして、何体いるのか。何一つ分からない状況で頼りになるのは己の耳と鼻。いつもと変わらぬ…いやいつも以上の役回りに敏感になっているのだけが確かで。
ドクリドクリと、徐々に鼓動が早さを増す。こんなにも緊張感にあふれる遠征は、"あの時"以来かもしれない。


「……――」


意気込むように一つ息を吐く。集中する為そっとその瞳を閉じ、ルピは一人暗闇に入った。



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