02




「――!」


出陣からどのくらい経った後だろうか。それほど長い時間でもなかったようにも思えるが、…ここから西南西、右翼策敵あたり。ふいに耳に入ってきたのは今迄に聞いた事が無いほど異常な音。


ズシンズシンズシン_


それは突然、まるで崩壊の始まりの音のように鳴り始める。


「……ケイジさん、」


ルピは隙間からひょっこりと顔を覗かせ小さく声を発した。


「!どうした?」

「右翼側初列十索敵あたりに突然、巨人の足音が集中しました。…"それ"が現れたのかはわかりませんが、」

「…分かった、分隊長に伝えよう」

「お願いします」


足音が複数混ざっているが、そのリズムが異様に早いものが多いように思えた。…ドクリ、ドクリ。どうかその全ての足音が"ただの巨人"であって欲しいと願いながら、ルピはまた耳を集中させる。

索敵班がどうにか巨人を足止めしている間、秀でた"それ"の位置を探らねばならない。右翼側に現れたという事はこのまま東方向へ進んでもなんら疑われないから都合が良いのかもしれないが、…恐らくもう右翼側はそれらに手一杯で策敵どころではないだろう。
陣形を崩されぬようにと、兵達は死に物狂いでそれと戦う。中央に侵入させぬようにと、兵達は死に物狂いでそれに挑む。…もしかしたら既に壊滅的状況に陥っているのかもしれない。右翼側から徐々に馬の駆ける音が減っていっている気もして、…そうして彼らの声なき声が聞こえるような気もして。


「……」


ドクリ、ドクリ。馬車の淵にかけたその手に、ルピはグッと力を込めた。

今迄もそれを幾度となく耳にしてきた。けれどもこの時今迄以上にそれが心を蝕むのは、彼らが何も知らないのに対して自分は知っている事による差異から生まれる情からか。もしもその場に自分がいれば、救える命があったのかも、なんて。
…思ってはいけない。彼らは作戦に"利用"され、無駄にその命を賭したのではない。エルヴィンはこの遠征で百人の兵の命よりも壁の中の人類の命をとった。それが正しいか正しくないかなんてルピには分からないけれど、



――人は何かを切り捨てなければ本当に前には進めない



人類の希望として英知の結晶として調査兵団がすべきこと、その命を賭してまで未来に繋げなければならないものがある。彼は誰よりも人間らしくて、だからこそその人間性を捨て去る事が出来る人なのだろう。
ルピはずっと彼を信じてきた。でも、この時初めて分かった気がした。…否、嫌に深くそれを感じ取らされたのだ。

エルヴィンが非情な男と言われる所以、エルヴィンにこの調査兵団が任されている所以を。




ズシンズシン…


「…、!」


巨人集団の音を察知して幾分か後。索敵から少し内側あたり、伝達班のところに巨人の足音が一つあるのに気づく。索敵を抜けたとなると取りこぼした奇行種か、


ズシンズシンズシンズシン、


「っ、ケイジさん、」


…いや、違う。今迄の巨人と比べものにならないくらいのスピードでそれは走っていて、感じたことのない音にルピは確信した。


「右翼次列四、伝達あたり。…目標、出現しました」

「…っ――!」




 ===




ルピがそれを確信して後。ようやく右翼側から作戦遂行不能を示す黄色の煙弾が撃ち上げられていた。


「――何であんなところに巨人がいるんだよ…奇行種か?」


その時に"それ"を目撃していたのは、この壁外遠征が初陣であるアルミン、ジャン、ライナーの三人。


「いいや…違うんだ…あいつは――」


その前にアルミンはそれと一人で対峙していて、既に班長と班員をそれに"殺されて"いる。…その時、アルミンは気づいていた。今目の前を走っている"それ"は、巨人を纏った人間―エレンと同じ事が出来る人間ではないのかと。

アルミンもそれに殺されると覚悟したのだが、どうしてかそれは彼を殺さなかった。それどころか顔を確認して去っていったのである。…その奇怪な行動に、しかしそれは何かを探しているのではないか。アルミンはそれを疑い始め、そして確信する。

――それが探しているのは、エレンだと


恐らく直ぐに撤退になると彼らは踏んでいたが、それでも前を走るその脅威をこのまま放置していてはいけないと声を上げたのはジャンだった。指令班に煙弾が届き撤退の準備が整うまでここでそれを足止めしなくてはならないと言う彼に、ライナーもアルミンも驚かされてばかりだったが、


「少しでも長く注意を引きつけて陣形が撤退できるよう尽くせ――!!」


…今、何をすべきか。声を張り上げるジャンに、アルミンもライナーも覚悟を決めていた。



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