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誰もがその光景を呆然と眺めている事しか出来なかった。人間を食らう筈のそれが人間に興味を示さずに真っ先に向かった先が女型で、そして躊躇う事無くそれに食らいついた姿を。


「っ、全方位から巨人出現!!」


それはエルヴィンとて同じだったが、…しかし彼はすぐにその意味を悟る。先ほどの断末魔、巨人の襲撃、女型の捕食。
…そう、その目的は、


「全員戦闘開始!!女型の巨人を死守せよ――!!」

「「!?」」


多大な数のそれが織り成す足音が地鳴りのように迫る中、エルヴィンがそう声を上げる。誰もが一瞬はそれに疑念を抱いたが、次にはすぐにその行動に移っていた。


___ッ


その場に響き渡るは足音、ワイヤを巻きとる音、ガスの噴射音、肉が抉られる音。たちこめるは巨人の上げる蒸気、熱風、ガスの噴煙。リヴァイの命を守り木の上でその光景を凝視していたルピの視界だけでなく辺り一面が一瞬にして白く染まる。


「……」


先ほどの女型の叫び、それこそが巨人達への合図だったのだとルピも気付いていた。女型が、巨人達をここへ呼んだのだと。

しかし何故、何の為に。自らを食らわせて、自殺行為を図る為?自らを食らわせて、情報を抹消する為?
…いや、違う。ここで死んでは意味が無い。わざわざ壁外までエレンを追ってきた目的をそう簡単に諦めるだろうか。


ヒュンッ_


「っ!」


…その時。女型に群がる巨人達に向かい続ける音とは真逆の方向に飛ぶ音を微かにルピは聞き、そして張り巡らされていた思考回路が一つに纏まったと同時。


――ドクリ


その事実に慄いて、しかしルピは必死に身体を奮い立たせすぐさまその音を追っていた。…リヴァイにも、エルヴィンにも、誰にもそうする事を告げぬまま。


「…っ、!!」


…そう、ルピはこの時気付いた。悟ったのだ。
その音を発して飛び去ったのは、紛れもなく"彼女"だった。身動きの取れなかった身体を巨人達に食らわせ、上がる蒸気に紛れ姿を消す。それこそが彼女の本当の目的だったのだ。そんな事が出来るという発想など微塵も無いが、確かにそこには彼女の匂いがあったしそれに彼女は"普通"の巨人では無い。巨人化の力をいとも簡単に操っている。エレンとは違って、彼女はきっとその力の使い方を熟知している。

…そして、彼女を逃がすきっかけを創ってしまったのは、


――己だ


あの時彼女の名を呼ばなければ、こんな事態には陥らなかったのかもしれない。何としてでもその場を逃げ出さねば成らない窮地に彼女を追いやり、叫ばせてしまったのは自分ではないのかと。

この落とし前は自分が付けなければいけない。自分の失態は自分で補わなければ、彼女に殺されていった兵士達に示しが付かない。…それにきっと、彼女は全てから逃げ出したのではない。それが向かった方向は東。エレン達特別作戦班がそのまま馬で駆けていった方向だ。彼女はエレンを狙っている。まだ諦めてなどいない。
…彼らに知らせなければ。それが出来るのもいち早く気付いた自分しかいなくて、その為には報告している時間が惜しくて。


「っ――」


痛む耳を気にも留めずルピは懸命に鼻を働かせ、東を目指した。彼女を追うのが先かエレン達と合流するのが先か迷ったが、ルピは合流する事を選んだ。
…己に備わった優秀な能力を用いれば、己の方が早くそれらを見つけられると確信していたから。




 ===




…目の前に立ち込める蒸気はまだ晴れない。未だ鳴りやまない音を耳にしながら、エルヴィンはそっとその光景から目を背けるかの如く瞳を閉じる。


「――全員一時退避!!」


エルヴィンの声の直後、リヴァイはその元へと飛んでいた。その名を呼べばエルヴィンは「やられたよ」と一言簡単に、しかし、


「…何って面だてめぇ…そりゃあ」

「敵には全てを捨て去る覚悟があったという事だ。まさか…自分ごと巨人に食わせて情報を抹消してしまうとは――」


そうして次第に晴れゆく視界に薄らと浮かび上がってきたのは、殆ど肉が無くなった巨大な骨格と、いまだ女型の身体に食らいついている巨人達。周りにいる人間にはやはり目もくれない。…恐らく、そういう風に"仕向けられて"いるのだろう。

エルヴィンはその後、撤退命令を下した。多数の巨人を殺してはいるがしかし、その場に生き残っている巨人の数は決して少なくは無い。それらが女型に集中している間にここを去るのは得策で、またとない好機である。
…けれども、エレンを連れて壁外に出てその有意義さを証明するどころか裏作戦も失敗に終わり実益は皆無で、残ったのは多大な犠牲・多大な投資を払った大損害のみ。憲兵団からエレンを取り返した意味も今後の調査兵団の命運でさえもどうなるのかそれだけがリヴァイにとっては懸念であったが、


「……、エルヴィン」

「どうした」

「…、ルピがいねぇ――」


…リヴァイはそこで、ようやくその姿が無い事に気付いた。



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