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シュウウウ_


次第に聞こえてくる蒸気の音。そこに近づくにつれ森の景観は次第に荒れ、木々に損傷、地面には凹みが目立つようになっている。八十メートルを超えるこの大木をこういとも簡単に傷つける術を持ち合わせているものなんてリヴァイの頭の中には一つしかなくて、そうして思い描かれる情景は、どうしてか最悪な方向にしか向かなくて。


「……っ」


今迄の景観とは異なり少し開けた場所に出た途端、…そこに、それはポツリと。一つ圧し折られた木の下で、蒸気が上がるそれは紛れもなく巨人の遺骸。

リヴァイはまたそこで足を止めた。まるで絶望に囚われたもののようにダラリと項垂れ座っているその様に、しかしそれに首から上は存在しない。リヴァイはその姿をその目でしっかりと捉えた事はないものの、その遺骸がエレンである事は瞬時に分かっていた。

より近づけば、そのうなじがパクリと抉られているのに気付く。自ら抜け出したのか、はたまた女型に殺られその身体を持っていかれたのかはこの状況だけでは分からないが、…そこにやはりルピの姿も無い。嫌な気配はより濃くなるばかり。


「――……!」


…そしてそれから数十秒もたたない内に、リヴァイは眼前にそれを捉えていた。ズシンズシンと走り続ける女型。…そしてその周りを飛び回る一つの"緑"。

一瞬ルピかとリヴァイは思った。この狭い木々の間を器用に―尋常でないスピードを出しながら舞える人物は己の中にそれしか存在していなかったから。
…けれどもそれが発する声、その背丈から違う人物であることに気付いてしかし、一体誰かと思う前にやはり思うは彼女の行方。


「――待て!!」


女型を一方的に傷つけ続けるそのスキルは自分が見ても凄まじいと思える。けれどもうなじを狙って直後いとも簡単に刃を折られたにも関わらずその姿勢を変えようとしないそれに、…リヴァイはいつかの彼女を見た気がして。


「――っ!?」

「同じだ、一旦離れろ」


リヴァイはその"緑"の行動を、腕づくで止めた。




「――この距離を保て」


その緑を一旦落ちつかせたリヴァイはそのまま女型の後を追い続け、そしてその緑も大人しく彼の指示に従っていた。女型はかなり疲弊したのか、自分達を追ってきた時に出していた速度はそこには見られず、速力は殆ど落ちているように思える。
その時リヴァイはようやくその緑の顔を認識したが、…それがどこの班の誰かなんて今正直どうでもよくて名など聞かずにこの状況をそれに問う。


「うなじごと齧りとられていたようだが、エレンは死んだのか?」


そう言えば一瞬、自分に向けて殺気を放つその女。リヴァイはそれをどこかで感じた事があったように思えたが、やはりそういった事には気を留める暇などなくて。


「エレンは生きてます。目標には知性があるようですが…その目的はエレンを連れ去る事です」


その女―ミカサは、エレンの雄叫びを聞きいてもたってもいられなくて撤退命令が出たにも関わらずその声の方へ向かった。

そしてその場に辿り着いた時、女型とエレンの戦闘には決着が付いていた。ダラリとうなだれたその身体―うなじに女型は噛みつき、そこからエレンを出し、そしてそれを口の中に入れた光景をハッキリと目撃している。
エレンを殺すのが最終目的であったならば、その身体を潰してしまえばいい。その目的が達成されたのならば、削がれるのを必死で止め、己を殺す事に集中すればいい。…なのにそれは、態々エレンを口に含んだまま逃げ続けている。身体を削ぎ続ける自分から戦いながら逃げるのを止めないのだと、ミカサはリヴァイにそうハッキリと告げた。


「エレンを食う事が目的かもしれん。そうなればエレンは胃袋だ…普通に考えれば死んでるが…」

「生きてます」


リヴァイのその言葉に、それは力強くそう放つ。


――でも、どこかで生きてますよ、


またと重なる彼女の影。この窮地に置いてその希望を失わないそれにリヴァイはどこか思うところがあったが、…あえてその続きは口には出さず「ルピを見たか」とその所在を思わず問うていた。


「?ルピさん…ですか?」


驚くのも無理は無い。それがこの遠征に出兵していると知っているものは限られているのだから。だからそれを問えば「何故」を、そしてその経緯から話さねばならない事は目に見えていた為にリヴァイは敢えてそれが二口目を開く前に「見たか見ていないか」だけを問い、応答に簡潔さを求めていたのだが、


「見ていませんが……しかし、」


あれは何でしょう。それが次に発した言葉にリヴァイはふとその横顔に目を向ける。その視線の先には、女型の左手。

リヴァイに告げる程でも無いのかも知れないけれどずっと気になっていた為に今、ミカサは敢えてそれを口にしていた。右手はずっとうなじを守り続けて走っているが、その左手に握り続けられている"何か"。エレンを口に含み、それを出して左手に握った経緯は見ていない為にそれがそこに"何"を握っているのかまで彼女は知らないが、


「……"獣"、でしょうか」


…その左手後ろから少しはみ出し、女型が動くたびにユラユラと揺れる白。リヴァイはようやくそれに気付いて、そしてその白が何かと理解して即、ブワリと己の細胞が高揚するのを感じた。

…それは、紛れもなく。


「ーーーっ、」


ルピの尻尾だった。



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