「オイ!!ずらかるぞ!!」
その口内からエレンを取り出したリヴァイがミカサにそう声を荒げながら自分の方へと飛んでくるのを目に捉えながら、ルピはワイヤを上に飛ばす。
ルピの耳には彼らが話す内容がハッキリと聞こえてはいたが、…ルピの意識はそちらにはもう向いていなかった。
「っ、」
いまだ腰を落としたまま、同じ格好を保ったまま動かない女型。まるで生気を失ったかのように、そしてそれが抜けるかのように上がる蒸気の音が空しく響く。
…その姿を見て心に渦巻いた何かは、しかし言葉では表せそうにない。思う事はたくさんある筈なのに、それに曝け出すべき感情は山ほどある筈なのに、
「――…ルピ、無事か」
「、はい、」
「…行くぞ。もう追ってはこねぇとは思うが、」
リヴァイの声がかかってもルピはすぐに動こうとはしなかった。その目はずっと女型に向けられたまま。…彼女がそれに対して抱いた遺恨はきっとどの兵たちよりも強いのだろうと思ってしかし、その眼差しはリヴァイが思っていたほど絶望には浸ってはいなかったが。
…ふと、同じようにそれに目を向ければ、
「…!?」
――涙を流す女型が、そこにはいた
「……っ、」
どうしてあなたが泣くの。そう言いたかった。何が悔しくて泣くの。そう、言いたかった。
けれどもそれは声には成らない。思う事はたくさんある筈なのに、それに曝け出すべき感情は山ほどある筈なのに。全てがその涙に流された気がして止まなくて、
――ずるい
…と、ルピは思う。
「……」
静けさを取り戻したその空間は、最初にあった緊迫した静けさよりも嫌に重く感じた。この作戦を知っていたリヴァイはもとい、ミカサももう恐らく分かっているのだと思う。
…ドクリ、ドクリ。小さく悲しみに暮れたがる心臓を、それでもルピは必死に奮い立たせていた。
振り返ってはいけない。彼らの思いを背負って自分は前に進み続ける。…変わらない、そうだろう。今迄も今も、そしてこれからも。
「……っ、」
…変わらない、そうだろう?
「――ルピ」
「!」
その時だった。静寂に包まれていたその空気を割ったのは、エレンを抱えたまま前方を飛ぶリヴァイの声。ルピが返事をしても彼は振り返らなくて、そして、
「…三分やる」
「っ、?」
「それ以上の猶予はねぇ」
先に行く。そう言ってリヴァイは変わらず進んで行く。彼がどうしてそんな事を言い出したのかその意味も最初は理解出来なかったが、
「…っ、」
今まで通ってきたそれとは異なる空気を醸し出す空間。身に覚えがありすぎる、その場所。
ルピはピタリとガスの噴射を止めた。それに気付いたミカサも同じように止まろうとしたのをしかしリヴァイが制止し、彼らはそのまま森の奥へと消える。…ルピはゆっくりと地面に降りた。ブレードも仕舞って、無防備な状態で。
「…………、」
こうして"トモダチ"の遺体をまじまじとその目に焼き付けるのは、ルピにとって初めての経験だった。タクが亡くなったと思った時でも、ニッグがその命を賭した時でも、"その瞬間"をルピは見た事が無かったから。
…だから、余計。今この時を心に刻むその心内が一体どれ程のものなのかきっと誰にも分かり得やしない。リヴァイがそうして彼女を一人その場に残したのは、…彼なりのルピへの配慮だったのかもしれない。
――っあ、もういたんだ?
気圧が変わり、その場にそよぎ始める柔らかな風。サラサラと揺れるその金色の輝かしさは今も失われていなくて。…ひょっとしたら、彼女はまだ、
――私はペトラ・ラル。あなたは?
「…っ、」
…ベリッ。ルピはその思考をプツリと切り、その緑の翼の下―彼女のジャケットから、翼のエンブレムを剥がした。
――お前、そんな漢字も読めねえのかよ?
ベリッ。
――キミがルピか
ベリッ。
――リヴァイ兵長の優秀なペットだってな。話が出来て嬉しいよ
ベリッ。
「……、」
手の中に集った、四つの翼。ただ黙ってそれを見つめ続けるルピを包み込むように一つ、風が抜ける。
それらはその風に揺れて、
「っ、――」
…今にも、飛び立ちそうな気がした。