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薄暗い森から抜ければこの壁外に出た時以上の明るさが広がっていて、ルピは一瞬目を細める。…まるで何事も無かったかのように広がる青に見下される今の気分は、あまり良くない。

その後ルピはマントをすっぽりと被り、エレンと同じ荷馬車に乗っていた。怪我人のフリをして(いや多少の怪我をしているからフリでもないのだが)、彼の傍に身を横たえて静かにしている。森から抜ける前にリヴァイにそうしておけと命じられたからだ。一応この遠征には参加していなかった体(テイ)を取っていた為にその存在を今兵達に晒すのは良くないと判断したのか、何か他に意向があるのかは知らない。

エレンの隣にはずっとミカサが立っていた。彼女はエレンのあの雄叫びを聞きつけあの場にいたのだと、これも森を抜ける前に聞いた話。…彼女がいなければ今頃自分もエレンも女型に連れさられていたのではないかと思ってしかし、そこにはルピにも存在し始めている"怪訝"がある。


――何故女型は己を連れていこうとしたのか、と


「…………」


けれども今、ルピにその全てを考えている暇も余裕も無かった。巨大樹の森、西方向。生き残った兵達はそこに集い、陣形再展開の手順を踏んでいる。その場にある荷馬車は行きに持ってきた数の半分も無い。恐らくあのポイントに置きっぱなしにされているのだろうとルピは思う。
チラリと盗み見る兵達の顔はいつもの遠征に増して疲労・失意が大きかった。…無理もない。桁違いに失った兵の数、その過程。兵達が…いや兵団全体が味わったその絶望感は、計り知れない。


「――納得いきませんエルヴィン団長!!」


…そんな時、ある一人の兵の声がその場に大きく響いた。ルピにとってはあまり馴染のない声。恐らく、新兵。


「回収すべきです!イヴァンの死体は、すぐ目の前にあったのに!!」


今までそう、遠征に置いて兵の遺体を持ちかえる事は難儀では無かった。大半が巨人の胃袋に収められてしまう為、持ち帰れれば良い方だ、なんて。

…けれども今回はわけが違う。亡くなった兵の大半は喰われたのではなくその場で無残に潰されていてそれは巨人の目に止まることなくその場に置き去りにされたままだが、…しかしその遺体を全て運べる荷馬車も、その余力も兵団には無い。
だからそう、今回エルヴィンは全ての遺体を置いて行く事を決めた。それを回収している間に二次被害が出る可能性は大いにある。これ以上の被害を出さない事が求められる今、この森中にある遺体だけを特別扱いして持ち帰る事は出来ない。…ここを目指すまでに殺された者だって少なくはないのだから。


「イヴァンは同郷で幼馴染なんです!アイツの親も知っています…せめて連れて帰ってやりたいんです!!」


そこにはもう一人いるようで、二人は必死になってエルヴィンを説得している。「我儘を言うな」とそれを制しているのはエルヴィンでは無く、ペール―エルヴィンの側近の声。
ルピもエルヴィンのそれには納得していた。けれどもどうしてかそこから耳を逸らせずに、ただ黙ってそれに耳を傾けていた…その時。


「――ガキの喧嘩か」

「リヴァイ兵長…!」

「死亡を確認したなら、それで十分だろう。遺体があろうがなかろうが、死亡は死亡だ…何も変わる所は無い」


いつものような冷えた声で言うリヴァイ。…彼らしい答えだと思う。きっと自分がそれを口にしていたならば、同じように彼は言っただろうか。


「……」


ルピは左胸ポケットにそっと手を当てた。…己の心臓に乗せた、彼らの翼を包むように。


「…これは決定事項だ。諦めろ」


…それは、これは、
リヴァイなりの自分への"非情"だったのではないだろうか、なんて。


「っ…お二人には、人間らしい気持ちというものがないのですか!!!」

「おいディター!言葉が過ぎるぞ――!!」


エルヴィンやリヴァイが誰よりも人間らしい事。ルピは分かっているのに、どうしてかそれを彼らに伝えたいとも反論したいとも思えなかった。
…それどころか、新兵の気持ちが分かる一方で今になって彼らの声が耳に障るようになっていた。何故かは分からない。そうやって感情を曝け出せる彼らが、…少し羨ましかったのかもしれない。


「――出発するぞ!隊列を整えよ!!」


そうして暫くして、隊は帰路を辿った。…行きとは違って、小規模な陣形を展開して。




 ===




…それから、どれほど進んだだろう。ルピはエレンの隣でただ仰向けになり、フードの下から垣間見える憎いほど青い空をただただボーっと眺めていた。

ゴトゴトと、揺れる身体。感じた事のあるこの揺れは…さほど遠くない小一時間程前と同じもの。
あの時感じていた胸騒ぎはこの結果を示唆していたのだろうか、なんて。チラリと横に目を向ければ今だ目を閉じたままの彼がそこにはいて、"人類の希望"がこうして取り戻せた事だけでも今は良しと思うしかないのかもしれないけれど。



――俺には分からない



その言葉を思い出すきっかけは今になってルピの中で鮮明に浮き出ている。そしてどうしてその言葉が己の中で繰り返されるのかも、


ズシン_


「…!」


しかしその音に思考回路が途切れ、ドクリと一つルピの心臓が反応を示した、その時。


「巨人だ――!!」


誰かが、そう叫ぶ声が聞こえた。



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