01




太陽が壁の向こう側へ沈んでから、辺りが暗くなるのはあっという間だった。

いつもなら遅くまで兵舎の外に人影が見られるのだが、今回ばかりは片付ける荷も弔う遺体も無い為に帰還した兵達はその身体を直ぐに兵舎に仕舞い込んでいる。蓄積した疲労、失った仲間への思い、紡いだ己の命。それはいつになく彼らの身体に深い深い傷を刻み、舎内に広がる不穏な空気はいつになく濃い。

ルピとエレンは荷馬車に積まれたまま古城に戻り、エルヴィンから下った待機命令によりリヴァイと共にそこにい続けていた。エレンは既に自ら歩けるまでに回復しておりその表情にはまだ絶望が残ってはいるが、至極大人しく過ごしている。…誰もその時の事を口にしようとはせず、必要最低限の事しか話さなかった。

恐らくこの後エルヴィンから女型についての聴取があるのだろうと思われる。自分があの場に居たことに気付いた者は恐らくいないだろうが(ミカサ以外は)、この後に及んでいなかったという体(テイ)をルピが偽れないと判断した為に兵舎での聴取を彼は避けたのだろうけれど。
…ただ、ルピは自身が重要な情報を所持しているにも関わらず率先してエルヴィンの元へ向かわなかった。いづれ聞かれると思っているからか、何かがそうさせるのを咎めているからかは定かではない。


「遅ぇな…」


低い声の後、カチャリと一つ陶器と陶器がぶつかる高い音が鳴る。エレンが用意した紅茶を彼が飲むのはこれで何杯目だろうかと思いながら、ルピもつられるようにしてそれに手を付けた。
最初は熱くて直ぐに飲めなかったのに、今では温くなってしまったそれ。冷めるのが早いのは随分長い間この場にいるからか、この部屋が三人には勿体無いほど広く、冷たい空気に覆われているからか。…テーブルに供えられたユラユラと揺れる灯りがいつになく暗く見えるのは、この場の空気がそういった色を醸し出しているからか。


「エルヴィンの野郎共待たせやがって…憲兵が先に来ちまうぞ」

「「……」」

「大方…クソがなかなか出てこなくて困ってんだろうな」

「ハハ…、兵長…今日はよく喋りますね」

「バカ言え、俺は元々結構喋る」


この場においてその口数が一番多かったのはダントツでリヴァイだったが、エレンの言う通り普段彼はそこまで喋らない。…それでも、リヴァイ自身が言うそれも正しい事をルピは知っている。それがある特定の時だけだという事も。
…そう、それは決まって"何か"あった時。特に壁外調査から帰ってきた時だ。

刹那、身体を動かした彼の顔が少し苦痛に歪むのにルピは気付いた。一つ小さく舌打ちをし左腿に手を添えるリヴァイ。ルピはじっと眺めていた灯りから目を逸らし、その方へ顔を向ける。


「…足、平気ですか」

「問題無い。…気にするな」


リヴァイがその左足を負傷している事。ルピがそれを知ったのはつい先程だった。

あの時―ミカサが女型のうなじ目掛けて飛んだ時、その左手がピタリと止まったのはリヴァイがそれをその足で止めたからだった。その際に左足を捻り骨にも少し皹が入っていたらしいのだが、彼はルピが気付かない程に平然と至って普通に歩いていた。どうして言ってくれなかったのかと尋ねれば彼は大した事じゃないからと答えたが、兵士長である彼が…実力ナンバーワンの彼が負傷したという事実は兵団にとってはかなりの事態である。

…ただ、そうまでしてリヴァイがミカサを庇った事が信じられなかった。信じられないというより、意外だったと言った方がいいかもしれない。何がそう彼を突き動かしたのかは知らないし、知ろうとも別に思わないけれど。
…もしかしたら彼も、自分と同じでそれ以上目の前で、


「…すみません、オレが…あの時……」

「…?」

「選択を間違えなければ…こんなことには――」


エレンのいう"あの時"がいつかなんてルピには見当が付かなかった。付かなかったけれど、それでも彼も何かしらの選択に迫られそうして己の信じる…いや、信じたい方を取って今こうして悔恨に浸っている事くらい分かる。…痛いほど、分かる。


「兵長にもケガまで、」

「…言っただろうが。結果は誰にもわからんと」



――悔やんだら何かが変わるのか?



…そう、何も変わらない。過ぎた時を巻き戻す事は出来ないから。どの選択をとっても結果は誰にも分からない。だからそう、振り返ってはいけない。自分達は犠牲になった者達の思いを背負って進み続けなくてはならない。立ち止まっていてはいけない。



――悔やむ暇があったら、もっと強くなればいいんだよ



たくさん壁外に出て、たくさん巨人を討伐して、たくさん仲間を失って。経験を積んだ。力をつけた。暴走しなくなった。理性で行動出来るようになった。正しい正しくないで判断しないようになった。己の行動を後悔しなくなった。前を向いて進めるようになった。
…強くなったのだと、思っていた。人類の希望として、その命を捧げる一兵士として。

しかし、


「…っでも、オレがっ、」

「違う」

「「!」」


エレンの声をピシャリと遮ったルピの声は、この広く冷え切った空間に良く響いた。いつもと違う声色にエレンもリヴァイでさえもそれに驚かされたが、…その時、ルピの拳がテーブルの下で、その白いズボンに皺が寄るほどにキュッと握りしめられているのにリヴァイは気付く。


「…エレン、違います。エレンは何も間違えてない」

「…っ?」


その目は誰も顔にも向けられるでもなく、ずっと灯りの方に向けられている。表情は変わらない。この部屋に入った時からずっと。
彼女のその心が酷く抉られているのは分かっているつもりだったが、彼女がエレンのそれを遮った理由は分からない。それでも今彼女が「エレン"は"」と言った事にリヴァイは引っかかって、


「…ルピ、お前――」


コンコン、


リヴァイの声はノックの音に消され、続かなかった。



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