03




カップに添えられていたリヴァイの指先がピクリと動く。皆の視線が集中する最中でもルピは視線の先を変えなかった。誰とも視線を合わせようとしないのは己の心を見透かされるのを恐れているからか、…その目の奥に表れるであろうものを見るのが怖いからか。


「女型と接触した際、アニの匂いを感じました。…訓練所にいた時、アニとも何度か接した事があるので彼女の匂いは覚えています。…間違いありません」

「?…接触って、ルピさん作戦には、」

「ジャン、待て」


エルヴィンがジャンのそれを止める。ルピの言葉に反応したのは何もジャンだけではなく斜め前のアルミンも至極驚いた表情をしたのが視界の端で見て取れ、ミカサもエレンもグッと息を飲むのが分かった。
彼らは自分の能力を知らない。きっと今自分が何を言っているのか十二分に理解はしていないのだろうけれど、ルピは気にも留めずに淡々と話し続けた。


「…名前を、呼んだんです。出てきて欲しいと、お願いしたんです」

「「……」」

「…あの時の女型の叫び声は、私のその呼びかけに反応したものだと思います」

「「…!」」


少しの沈黙。誰も、何も言わなかった。何故名を呼んだのかも。何故その時それを公言しなかったのかも。何故今迄言わなかったのかも。
「すいません」の言葉は、喉まで出かかっていたけれど出てこなかった。謝って済む問題でもなければ、謝れば何かが変わることも無い。…分かっている。十分。


「……そうなると作戦に支障が出るんじゃねぇか、エルヴィン。自分の正体がバレていると分かっていてそう易易とこちらの提案に乗ってくれるとは思えねぇが」


その沈黙を破ったのはリヴァイ。彼はルピの言葉を窮追する事は無かったが、彼の言っている事は至極正当な意見だった。…もしかしたら彼女は壁内にいないかもしれない。正体がバレているのに、態々逃げ場の無い籠の中に戻ってくるだろうか。あのまま壁外に姿を消してしまっている可能性だってある。
…ああ、ほら、だから余計、


「…ルピ、君は女型にエレンと同様連れさられそうになっていたと聞いている」

「、はい」

「それがその正体を把握されたからだと断定する事は出来ない。…しかし仮にルピがその名を呼ばずとも、一度接触したアルミンやジャンがそれを誘き寄せる段階で向こうに何かしら勘付かせるものがあると私は踏んでいる」

「……」

「その紙面にある通り、この作戦はアルミンとミカサ、そしてジャンが独断でエレンを逃がす為の手立ての協力を彼女に依頼するというものだ。我々が関わっていないとなれば事は多少傾くだろうが…それを彼女が真か偽りかで捉えられるかはアルミン次第だろうな」

「…!」


ルピがこの作戦に参加していた事をアルミンは知らなかったのだから、仮にもし彼女がルピについて何かしら問うてきても白を切ればいいだけの話。その名や壁外調査の話が出てこなければ出てこないで事を進めるべきであって、こちらから態々言及する必要など無い。あくまでアルミン達が無断で行動しているという体(テイ)を守ればいいのだとエルヴィンは言う。


「…どちらにせよ、大きな賭けにはなる事は間違いない。戦闘は避けられないと踏んでおいた方がいいだろう」


彼女もその"覚悟"を持ってアルミン達に手を貸す可能性は大いにある。地下に連れ込める確率はこれで大分低くなったが、それでもエルヴィンの顔に焦りなどは皆無だった。
そう簡単に事が進むとは最初から考えずに"不慮の事態"においても柔軟に対応する。調査兵団はいつでもそれと隣り合わせで、自分だって幾度となく学んできた。

…あの時だって、ルピはそうしたつもりだったのに。


「…それから。明日から作戦が完了するまで、104期の新兵をエルミハ区南西に隔離する事が決まった」

「「!」」


女型―アニは憲兵所属。調査兵団の壁外調査の内容を知る筈がない。よって女型が現れた右翼側には何か意図があるのではないかとエルヴィンは考えている。…エレンが右翼側にいると知らされていた兵が彼女にその情報を漏らした。女型がアニと推定された時点で、それと関わりを持っていた104期訓練兵の中に新たな敵勢力がいるのではないか、と。


「ルピが作戦に参加していた事はこのまま伏せておこう。"上手くやってくれていた"お陰でそれを知った者はいないようだからな」

「…、」

「彼らが隔離され次第、我々は作戦遂行の準備に取り掛かる。…ルピ、君は王都に向かう我々とは別行動だ。ハンジの指示に従ってくれ」

「…分かりました」


そうしてエルヴィンが席を立ち、アルミン達もその場を去っていった。リヴァイはチラリとルピに目をやったが、特に言を発する事無くその後を追う。


「……」


シンと静まり返った部屋にポツリと一人、ただただ膝の上の拳を握り締めたまま。
…ルピは、そのまま動かなかった。



back