04




再び静寂を取り戻した古城内。一ヵ月間ここで過ごした為にそれは身体に染みついているようで夜が深くなるにつれて冷たい空気が増すのにもかなり慣れてはいるが、今日にも増してこんなにもこの空気に不快感を覚えた事は無い。

エルヴィンと多少言を交わした後、リヴァイはエレンが眠りに落ちたのを確認してから自室に戻ったがそこにルピの姿が無い事に気を揉み、古城内を探し回っていた。先程いた部屋にもいなくて一体どこに行ったのだろうかと次第にその足が速まる中、…頭を巡り続けるは先程のルピの言葉達。
女型捕獲時にその姿を人へと戻さなかったのも女型近づいた時のあの行動も、今迄己の中にあった彼女への"違和感"の原因の全てはそれだったのだろうかと思ってしかしその時リヴァイが口を開かなかったのは、その胸中にあるものをそれ以上抉りたくなかったからかは定かでない。


「……、」


いつになく己の胸中も重い。作戦が見るも無残に失敗したからか、調査兵団の首が今にも撥ね飛ばされそうだからか、…彼女のその心がいつにも増して、傷ついているからか。

今迄そう、リヴァイはルピに調査兵団の兵として有るべき姿を、人類の希望として有るべき姿をその身体に叩き込んできた。己のように強くなれと言ったのもルピにその素質があるからと踏んでいて、感情の乏しかった彼女ならそれに左右されずに、命令に忠実な彼女ならそれに左右されずに、いつか己をも超えてくれる存在になるだろう、なんて。


「――ルピ、」


…"誤算"は、一体いつから生じていたのだろう。彼女の生い立ちが、彼女の過去の闇が、彼女の欲した物が、…己にとって彼女が、
"特別"だったからだろうか。


「ったく、こんな時間にこんなところで何してやがる」


ようやく見つけたその小さな姿は、古城の外―屋根の上にあった。声をかける前から己が近づいているのに気付いていたのだろうがルピは見向きもしなくて、「お前のように鼻も耳も良くない為に探すのに苦労した」と少し皮肉っぽく言えばようやくそこで振り返った彼女の表情はしかし暗くてリヴァイには見えない。
いつかの昔、兵舎の屋根に上り二人で空を見上げた事をリヴァイは思いだした。あの時にあったような綺麗な星空は今日は無い。まるで空が己らに気を遣っているようだと思いながらゆっくりとルピに近づいても、彼女は俯く姿勢を変えなかった。


「…風邪引くだろ。中に戻れ」


その視線の先にその小さな手に握られた"何か"があるのを見つけ、あと一歩でルピの背中にその足がコツンと当たりそうになった、その時。


「……私の、所為です」


リヴァイはピタリとその足を止めた。グッとルピがその手に力を込める。クシャリと形を変えたその手の中の何かは、何枚かの翼のエンブレムだった。


「私が、あの時」


壁内に戻ってからこっそりと見せてもらった生存者リストにタクの名前は無かった。…何度確認しても、その名前は無かった。
彼が右翼側担当だった事を決して忘れていたわけではない。考えないようにしていた。任務遂行が全てであって、振り返らずに前を向き続けていたから。


「アニの名を、呼ばなければ」


タクが自分のせいで亡くなったと思い込んでいた時以来、己の悔恨を彼やエルヴィンにも誰にも告げたことは無い。ニッグが亡くなった時もそう、そういった事をルピは口にはしなかったし思わないようにしていた。…確かにニッグが亡くなったのはかなりの衝撃をルピに与えたが、その意思を保てたのはペトラ達の―"トモダチ"という存在がまだそこにあったからというのも大きい。
彼らは自分の支えだった。存在している、生きているというだけで、…それだけで十分満たされていたのに。


「選択を、間違えなければ、」


…でも、今は。曝け出さずにはいられなかった。
どうしても。


「こんな、ことには…っ」


作戦を失敗に追い込んだ全ての元凶は紛れもなく自分。彼女を逃がし再び女型にさせたのは自分。"トモダチ"二人を同時に惨殺される原因を創ったのは自分。己が選択を誤った為に。過ちを、犯し続けた為に。…自分のせいで彼らはその命を賭してしまった。殺された。死んでしまった。


「リヴァイさん、私」



――俺達は、"トモダチ"だろ?



ニッグ、タク、オルオ、ペトラ。ルピにとって生まれて初めて出来た同年代の"仲間"。ルピにとって特別で、唯一無二の存在だったのに。


「一人ぼっちに、なっちゃいました」


…もう、誰もいない。己の隣にも、調査兵団にも、この壁の中にも、この世にも。


「っ――」


…ずっと、ずっと我慢していたのだろうか。それに彼女の思いが全て詰め込まれているような気がして、言葉に詰まってリヴァイは何も言えなかった。
いつもならその背にかける言葉があったのに。結果は誰にも分からない、後悔をしてはいけない、自分を責めてはいけない、お前は特別だからと。…彼女が背負っているものは己よりもエルヴィンよりも遥かに重く深くても、この人類の為に存在しているそれこそ彼女は唯一無二の存在だから。

けれども、翼を握る手が―その肩が小さく震えているのをこの時ばかりはリヴァイは見ていられなかった。その背に負った重みから、その絶望の淵から今だけは解放してやりたくて、


「ルピ」


直ぐ後ろから聞こえた声。そうして肩に触れてきた彼の手はしかし思った以上の力を込めて己の身体を無理矢理後ろへ誘って、


「っ、――!?」


…刹那、フワリと。唇に触れた温もり。一瞬何が起こったのか分からなかったが、スッと離れていくそれが彼の唇だと気付くのにそう時間かからなかった。
ひんやりとした空気がその温もりの熱さをより一層引き立てるように、二人の間を通り過ぎる。暗闇の中でもその目の奥が見て取れる程に間近にある彼の顔。そうして驚くよりも先にその身体は引き寄せられすっぽりとその腕の中に収まって、

…ドクリ、ドクリ。冷たかった己の身体に触れたその熱が融合するように溶けていく。背中に回った腕が、頭を包むその手がとても優しくて。火照る身体と共にルピは目頭が熱くなるのを感じた。


「…好きなだけ後悔しろ。好きなだけ振り返れ」

「っ、」

「…今だけは、許してやる」


ゆっくりと諭すように、何かを誘導するかの如く柔らかく撫でられる髪。いつも厳しい言葉がかかるのにこの時ばかりはその言葉も声も痛いくらいに優しくて、ルピは彼の左胸にある翼のエンブレムにしがみつくように顔を埋めた。


「っ、……うっ、うぅ――」


その腕の中で、小さな身体の震えは止まらない。…けれどもリヴァイには彼女の胸中を図り切れなくて、ただ黙ってその思いを受け止めてやる事しか出来なくて。その身体をきつく抱きしめる事しか、出来なかった。


「ぅ…っ、ぁああぁっ――!!」


ルピはこの時。生まれて初めて人前で声を上げて泣いた。



back