05



カツ、カツ、カツ_

薄暗い廊下を壁にかけられた等間隔の明かりだけを頼りに歩く。時刻はとっくに日付をまたいでおり、この古城へ来て初めての夜更しとなった。
より一層静寂になりすっかり冷えた空間の中、それでもリヴァイの腕の中は暖かかい。


「…」


辺りと同じように静かになった腕の中の重みをこうして運ぶなんて事、今まであっただろうか。抱えて歩くにはそう支障は無いが、意識のないそれは重力に従い少しずつ形を崩していく。…けれどもリヴァイは嫌な顔もせず何度も何度もそれを抱え直し、ゆっくりと歩みを進めた。

途中、ちらりとそれに目を向ければ、無防備な表情を浮かべる"少女"がそこにはいて。赤みを増した瞼も、流れる筋の跡の残る頬も、今まで見たことの無かったリヴァイにとっては新鮮で、


「ぅ…っ、ぁああぁっ――!!」


複雑、だった。




「すー…」


規則正しく聞こえ始めた呼吸音と腕から伝わる体温が、それが生きていることを教えてくれる。大袈裟な言い方かもしれないが、それでも今はそうして彼女の命がある事を嫌でも感じていたかったのかもしれない。
…しかし、それとは裏腹に、その暖かさを打ち消すかの如く脳内で繰り返されるは彼女の冷々たる言葉たち。


「私の、所為です」


かつて、これほどまでに己に刺さった言葉たちがあっただろうか。幾度と無く試練を、窮地を乗り越えて来、賭された命と出逢い、向き合い、進んできた。


「…選択を、間違えなければ、」


順調だと思っていた。彼女を見つけ迎え入れたことも。彼女がここまで成長してくれたことも。彼女の"素性"が明るみになったことも。そうして調査兵団の未来が、少しずつ切り開いてきたことも。


「すー…」

「……、重てぇ」


果たして彼がどういう意味でその言葉を吐き出したのかなんて、誰にも知る由はない。いつだってそう、彼の言い草・言葉には大量の棘と厳威、そして少しの傾慕があって、その真意を紐解く技量は個々の受け取り方によって異なる。
勿論それは彼女の耳に入らないように呟かれた言葉であって、それは変わらずリヴァイの腕の中で眠り続けている。支えを無くせば地に堕ちる事も知らぬまま、


「一人ぼっちに、なっちゃいました」


――いや、彼女は既に地に堕ちてしまっているのかもしれない




「――リヴァイさん」

「!」


薄暗い闇の中に突如現れた影。足音も無かったために些か驚いたが、リヴァイはすぐにそれが誰か気付いた。


「起きていたのか」

「眠れなくて、そしたら、叫び―というか、泣き声が聞こえてきて、」


エレンは少しどもりながらそう言う。
ここで自分たちが戻ってくるのを待ち伏せていたのだろうか。その声の持ち主が分かったからか、それを聞いて自責の念に駆られたからかは定かではない。いつもならもっと背筋を伸ばして堂々としているはずの彼も、今は背中を丸めて意気消沈としているのがあからさま。


「…………」


そうしてリヴァイの腕の中へ目を落とすエレン。薄暗い中では彼女の表情は分からないであろうが、彼の表情に曇りが過ぎるのをリヴァイは見逃さなかった。


「そのブサイクな面を見せるのは俺の前だけにしてくれ。それも今日までだ。」


その意味を悟ったのかは定かではないが、エレンはゴクリと一つ息を呑み、静かに頷く。


「ルピさん…」


一ヶ月。たかが一ヶ月だが、結構密接に皆と過ごした期間だとエレンは思っている。
けれども、エレンの知る限り彼女はそう、どちらかといえば"ロボット"に近い。命令に忠実で至極冷静、物怖じしない。怒りを露わにすることも、誰かを責めた事もない。感情を持っていないかの如く、声色もほぼ変わらない。笑顔を見たことは何度かあるが、それでも声を出して笑ったことなどない。一言で言えば、何を考えているのかが全く読めない。
自身が訓練兵の時には、そんな事微塵も思ったことなどなかった。彼女が人類の希望であるという憧れが、勝手に彼女の人格を作り上げていたのかも知れないけれど。


「…辛い、でしょうね、」

「……、」


それでも、そんなエレンでも、それだけは理解していた。彼女にとって彼らがかけがえのない存在であったこと。
特にぺトラやオルオと接するときは違った。彼らとは同期だったらしいが、それでもそこにある"感情"は自分が同期と居るときと同じようなものではないことは明白だった。

――しかし、


「……すみません、俺、」


そんな彼らを、目の前で無慈悲に殺された。自分だって心が張り裂けそうなくらい、辛かった。己の行動を許し、認め、共に戦ってくれた彼らを。短い間でも、仲間として、一つの目標に向かって歩んできた、同志を。


――一瞬にして、惨殺された


「何に謝っている」

「俺のせいで……ルピさんに辛い思いを、」


きっと、自分じゃ想像も出来ないくらいの衝撃と悲嘆、苦悶、瞋恚が彼女を襲ったに違いない。それも一度に。…なのに、遠征帰りの馬車の中でも、帰還して団長の話を聞く間でも、弔うように静まり返った晩餐の時も、彼女は何も嘆かなかった。涙も流さなかった。少し顔色が暗いとは思ったが、それくらいだ。人類の希望と呼ばれる所以はここにもあるのかなんて、一瞬でも思ってしまうほどに。

今までそれをどのようにして彼女が"処理"をしてきたのか、エレンは知らない。それでも、初めて聞いた彼女の"感情"の叫びが、自分に酷く訴えかけてきたような気がしたのだ。


どうしてあの時、




「やめろ」

「!」


強い、それは強い制止の声だった。ハッとしたエレンがリヴァイに顔を向ける。


「何度も言っている。結果は誰にもわからんと」


何度も聞いた気がする、その言葉。分かっている。十分。後悔したってどうにもならない事。この数時間で何度己を責め、慰め、自問自答を繰り返しただろう。それでも足りない。どうにもならない、どうしたらいいか、わからない。
だからエレンは、少しでも己を責めてくれる"何か"をここで待っていたのかもしれない。目の前を通り過ぎていくその唯一の存在を揺らぐ視線で追いながら、エレンはまたその顔に暗い影を落とす。


「…もう休め。"その日"はすぐ来る」

「……はい、」


その時、ふと、リヴァイがその足を止めた。


「……それとだ、」


ルピの前でこの話は一切するな。
そう言うリヴァイの背に、エレンは初めて悲哀を見た気がした。



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