07



「おいエレンよ、あと3秒で食え。エルヴィンが来ちまうぞ」


そう言ってエレンを睨みつけるリヴァイ。エレンが「3秒なんて」と言っている間にその時間は経過していたが、エルヴィンが来るということは何かしらの理由がある筈だと思いモブリットに尋ねると、明日決行される女型捕獲作戦全体会議が催されるとのことだった。
そういえば昨夜、アニを地下へ誘導するまでの大方の流れの説明があった事を思い出す。その時自分はいっぱいいっぱいで作戦の内容にあまり目を通していなかったと思った矢先、


「――待たせてすまない。始めようか」


短いノックの後、エルヴィンがその姿を現した。刹那、目が合う。ルピは慌てて目に当てていたハンカチを取る。そうして何だかいつも以上に微笑まれた気もして、果たしてその意は自分の目がこれでもかというくらい腫れているからだろうか、なんて。


「これより、明日決行する女型捕獲作戦会議を行う」


エルヴィンが席に付き、モブリットが連なった幾枚かの紙を皆の前へ並べていく。ここに集っているのは先程名を上げた者以外に、班長クラスの者が若干名。
言わずもがな皆ルピの顔を2度3度見してはどうしたのかと言いたげだったが、結局誰も話しかけては来ず、挨拶のみ交わす。
…ルピは気付いていなかった。隣に座っている人類最恐がそれらに圧をかけていたことを。


「作戦は第三次まで用意してある。各班の役割、および配置は以下の通りだ」


地下でアニを捕らえる誘導捕獲の第一次作戦。アニが巨人化した場合、エレンも巨人化する戦闘捕獲の第二次作戦。エレンに何らかの支障が出た場合、対特定目標拘束兵器で女型を足止めする兵器捕獲の第三次作戦。
一通りエルヴィンが作戦を読み上げる。今までにない"IF"の段階作戦に戸惑わない者がいなかったと言えば嘘になるだろう。

まずはエレンが身代わり役と上手く入れ替われるかどうかだ。その身代り役はジャンに決まったようだが「馬面だから無理だ」と言うエレンに対してアルミンがバッサリ「二人は目つきが凶悪で似ているから大丈夫」と言い放っていた。あまり根拠には為っていないように思えるが、意外とアルミンは毒舌なのかもしれない。

また、憲兵は杜撰でそれほど緊張感を持って護衛には当たらないから大丈夫だろうとリヴァイは言う。ウォール・シーナはこの壁の中で一番安全。暴動なども起きない平和な空間で、"何"から守るのかさえ理解していないだろう。恐らくボーっと突っ立っているやつが大半。巨人の目を掻い潜ってきた我々調査兵がその隙を付くことなんて容易い。よって、入れ替わりはさほど心配することではないとエルヴィンも踏んでいる。

問題は、


「目標が地下に入るのを拒んだ場合。また、その場で巨人化しようとした際には、生身のままでの確保を試みる」


その合図は、アルミンが煙弾を放った時。一般民に扮した第二班―女型拿捕班が物陰から一斉に彼女に跳びかかり、彼女の身体を拘束する。一人二人でない。彼女が一切身動きできぬよう、折り重なる程の人数で、だ。


「目標の頭先から足先まで全てを押さえろ。舌を噛み切らぬよう、口には猿轡を――」


ズシンズシンズシンズシン_


…それはまるで、巻き取られゆくフィルムが映し出す残像のよう。頭の中で繰り返される、鮮明な出来事。

遭遇。交戦。衝撃。樹森。抗戦。捕獲。惑乱。咆吼。巨人。雲散。焦燥。喪失。厭世――


「……」


エルヴィンの説明の声と、ハンジやその他の班長達の質問の声を耳に入れながら。ルピは紙に穴が開きそうなくらい、それを読み込んだ。分からない漢字は放っておいて、考えた。もう後悔はしていない。考えた。一つ一つの作戦の中で、

もしも自分がアニだったら、と。

前回の女型捕獲作戦が酷薄にも失敗となった原因の一つに、目標の生態を"初心者"のエレンを基準に考えてしまった事にある。だからそう、巨人化の仕方もエレンを基準に考えてはいけない。エレンは自らの手を噛み切るが、アニもそうして巨人化するとは考えられない。もっとスマートに、最小限に己を傷つけるだろう。

女型―アニはかなり熟練した巨人だ。窮状には第一に項を守る事も、その巨体の扱い方も、叫び声で他の巨人を呼び寄せる事も、巨人化を解いて尚俊敏に動かせる体も、全部、全部、予め熟知していないとできない事。
彼女を出し抜くには、発想を飛躍させる必要がある。最善策に止まっていては到底敵を上回ることは出来ない。想像の範疇に敵はいない。

だからエルヴィンはアニを捕らえる人数を大幅に増員した。アニは格闘技も習得している為一般的な女の子を押さえ込むのとは訳が違うことも、どうやって巨人化するか分からないが為に全身を押さえようとすることも、かなり得策のように思えるが、


「それでも巨人化が止まらなければ、第二次作戦へ移行する」


そう、それでも、彼女の巨人化が止められる気がしないのは、何故だろう。


「エレン。女型を確認次第、巨人化し戦闘してもらうことになるが、やれるな」

「っ、はい!」

「エレンが女型にやられ早期回復が見込めない場合、また何らかの支障が出た場合には第三次作戦へ移行する。その際女型の足止めはルピとミカサのみ。捕獲場所までの誘導はまた、アルミン…君に任せる」


エレンが女型と交戦中にも、手を出していいのはルピとミカサのみとされている。硬化能力および圧倒的身体能力の前で屈せず対抗できる分明的な力。そして、それを任される絶対的な信頼のもとに。
それでも、敵の力は計り知れない。必要ならば大きなリスクを背負い、全てを失う覚悟で挑まなければならないだろう。


「――おい、」


ドクリ、ドクリ。心臓の音が聞こえる。

…今度こそ、アニを。
己がやらなくて誰がやる。


「…おい、」


彼らの為に。彼らと共にあった意志を、彼らと生きていた証を、

私が、


「――おい。…おいルピ!」

「!!」


ビクッとあからさまに身体を震わせ声をした方へ顔を向ければリヴァイだけでなく全員が自分を凝視していた。何が起こっているのか分からない。私何かまずい事でもしたのでしょうかと言いたげにルピはもう一度リヴァイへ顔を向ける。


「その瞼のせいで耳も聞こえなくなったか」


集中しすぎだ、と貶されているのか褒められているのか分からないが、恐らく誰かが私を呼んだのだと思う。「すいません」ととりあえず謝っておいた。


「ルピよ。今回の作戦ではエルヴィンも俺も前線にはいない。全体の指揮はハンジだが、お前はお前の思うとおりに行動しろ、いいな」

「、わかりました」

「俺は今まで"暴れ馬"の歯止め役ばかり担ってきたが、今度はお前が止める役だ」


エレンになにかあれば、ミカサは必ず"暴れ馬"になるだろう。それを今度は自分が止める。今まで命令しか受けてこなかった自分が誰かに指示を出す、新しい境地。


「…わかりました」


ルピはもう一度作戦用紙に目を落とした。自然と拳に力が入る。

己がやらなくて誰がやる。
彼らの為に。彼らと共にあった意志を、彼らと生きていた証を、


「――ルピ、一つだけ頼みがある」


その時。ルピの手に力が篭っているのを確認したエルヴィンが、一言。


「間違っても、目標を殺さないでくれ」


時計の針がてっぺんを指し、鈍く低い鐘の音が響き渡った。



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