08



作戦の流れを確認し質疑応答の後、会議は終了した。各班長はこれから班員への伝達・二度目の作戦会議がある為そそくさと部屋を出て行き、ハンジ班の面々も捕獲兵器の準備・確認がありエルヴィンとリヴァイもそれに同行するようで揃って部屋を出て行ってしまった。

取り残されたのはエレン・ミカサ・アルミンとルピだが、彼らがすぐにそこから動こうとする気配は無かった。先ほどとは違う重苦しい空気が漂い、沈黙という静けさに包まれる。…今の彼らの心情は計り知れない。同期を"反逆者"として捕まえる事になるなんて、それも訓練兵を卒業してまだ二か月すら経っていないというのに、だ。
そもそもこの数ヶ月で、色々な事が有りすぎたと思う。壁の破壊、エレンの巨人化、壁の穴塞、女型の出現。実践経験の少ない彼らに打ち寄せた怒涛の日々。こんな筈では無かったと思う暇もないくらいに。


「…ルピさん、あの」


そんな中、ポツリと言を発したのはエレンだった。皆が顔を向ければ彼は上げていた顔へ陰を浮かべ、逃げるように手元にある資料へと視線を移す。


「すみません、俺の所為で…リヴァイ班の皆が、」


膝の上で握られている拳にキュッと力が入るのが分かった。この部屋に入って来た時の彼の動揺の意味はここにあったのかと、…ずっとそれを後悔して、悩んでいたのかと思うとルピは直ぐに言葉を返すことが出来なかった。
昨晩リヴァイに口止めされたにも関わらず、エレンはどうしても我慢出来なかった。吐露して楽になるのか、はたまた苦に戻るのかなんて結果は分からないけれど。それでも、ルピがどう思っているのか、嘘でもいいからその気持ちを知りたくて。


「謝らないでください。エレン、あなたの所為ではないです」

「っ、でも、俺があの時…選択を」

「間違えていません。それにきっとペトラもオルオも…グンタさんもエルドさんも、あなたが間違えたから死んだなんて言わない。絶対に」

「…!」


自分の選択で他人の命が左右されると考えてはいけない。左に行けば誰かが賭し、右に行けば誰かが賭す。戦場において我々は常に非情で、作戦を完遂する事が使命であって、誰かの命を残す為に戦っているのではない(勿論それが命令にあれば別だが)。


「後悔はいらない。したとしても、それを前に進む力に変えてください」

「…」

「あなたなら出来る。…いいえ、出来なければ死ぬだけです」

「「…っ!」」


腫れている目の奥に見える、揺ぎ無き意志。"死"という言葉が重い空気に緊張感をプラスする。
三人の心にルピの言葉がどう響いたのかは分からないが、作戦決行を目前に前回の事をいつまでも引き摺って欲しくないからこそルピは淡々と言い放った。…いや、実際は己にも言い聞かせているのかもしれない。目の前で凹んでいるエレンがまるで昨夜の自分を見ているようだからかは定かではないが、


「一つお願いがあります」

「っ?はい」


エレンだけに向いていた顔がアルミンやミカサにも向けられ、彼女の口から出る次の言葉は何ぞやとまた少し緊張が走ったが、…その言葉はエレンの顔に浮かんでいた陰もこの部屋を包んでいた重い空気も一瞬にして消してしまうものだった。


「お裁縫を教えてくれませんか」



===



「…………」


ガチャリ。いつも通りノックもなしに部屋のドアを開けるのがリヴァイ流。中にいる奴が着替えていたら、とかそんな破廉恥な事を想像したことは一度も無い。…何故か。己が部屋に入った時の彼女の場所は九割九分決まっているからだ。


「……何をしている」


しかし今日は違った。机のライトだけを灯し、椅子に座って"何か"をしている。ドアを開けるまで接近に気が付かなかったのも珍しいが、見たこともない光景が広がっている事にリヴァイはかなり訝しげにその背に問いかけながら歩み寄った。


「あ、おかえりなさい、すいません」


いつも通りちゃんと待っていなかった事を謝ったのかは定かではないが、そんなことは今どうでもいい。ルピが振り返ったと同時に机にあるものがリヴァイの視界に広がり、しかしそれがまた怪訝さを大きくした。


「…裁縫?」

「はい。アルミンとミカサに教えてもらいました」


小さな裁縫セットと、茶色のジャケット、そして何枚かの翼のエンブレム。そのエンブレムには見覚えがある。…昨夜、彼女が握り締めていたものだ。


「ペトラたちの想いを、そのままにしておきたくなくて、」


リヴァイが問う前にルピはそう答えた。
一旦は机の引き出しに仕舞ったものの、集った"4枚"の翼を見たら眠らせておきたくないという想いが強くなった。常に傍に置いておきたい。どうにかして持ち歩きたい。そう考えた時、ふと思い浮かんだのだ。ジャケットの内側に縫ってしまえばいいのだと。

裁縫という言葉とその行為は調査兵団に入った頃、ナナバが食堂でゲルガーのジャケットの解れを直していたのを見たことがあった為知っていたが、やり方までは教わっていない。作戦前日で皆忙しいだろうから教示してもらうか迷ったが、丁度あの場に残ってくれた彼らに問うてみたらキョトンとはされたものの、優しく教えてくれ今に至る。
その間にルピはこのエンブレムの持ち主の事を三人に語っていた。彼らについて誰かに聞いてもらうのはリヴァイ以外に初めてだったように思うが、自身の経験を話すことでエレン達の何かの糧になればいいと思ったからで、実際彼の顔に笑顔と強い眼差しが戻った事がなにより良かったとルピ自身は思っている。


「リヴァイさん」

「何だ」


ルピはエンブレムを縫う手を止めない。


「昨日は弱音を吐いて、すいませんでした」


でも、もう大丈夫です。一つ振り返ったルピの顔は、いつもと変わらなかった。


「…っ、」


彼らと共にあった意志を、彼らと生きていた証を。このジャケットに"刻み"、共に大地を駆け、共に空を舞い、共に巨人を駆逐する。
怖くない、悲しくない。だって彼らはいつも、いつでも傍にいてくれるから、なんて。

…あぁ、どうしてこんなにも彼女は従順で、気丈で、儚いのだろう。己の育て方が良かったのか、それとも元々の性質かは今となっては分からない。…それでも、


「っ、!?」


不意にのしかかった背中の重みと、首に回った何か。それがリヴァイだと気付くのに時間はかからなかったが、またと突然の抱擁にルピは驚いて己の手を針で刺しそうになっていた。


「……下手糞だな」


まるで継接ぎ。裏の布地だけに通し、且つ厚い布で作られているエンブレムに針を通すのには苦戦を強いるだろうが、それでも、初めてにしては上出来かとリヴァイは思う。


「あいつらの指導の仕方が悪い。俺が教えてやる」

「え?リヴァイさんお裁縫できるんですか?」


「俺を誰だと思ってる」なんて。言いながらリヴァイは何故かそのままルピを覆う形でその手からジャケットと針を取り上げた。彼が口を動かすたびに息のかかる耳がだんだんと熱くなる。
…それでも、自身を覆う彼の温もりが心地いい。ドクリ、ドクリという心の音を聞きながら、ルピは久しぶりのリヴァイの指導が何だか嬉しくて。


「ありがとうございます」


そっとその手を、エンブレムに添えた。



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