09




――作戦当日


チュン、チュン、_


「!」


作戦決行の合図を待つ間、地下道への入り口をボーっと眺めていたルピの目の前に鳥が飛んできた。
ここはとある民家の屋根の上。ウォール・シーナという場所をこうして上からまじまじと眺めるのは初めてで、自分達がいる"世界"よりも随分と明るく見える気がするのはオレンジ色の瓦がやけに快晴の青に映えているからだろうか。

そっと右手を差し出せば、鳥は何を思うことなくちょん、と乗ってきた。全体的に茶色が多く、くりくりとした黒目が愛らしい、小柄な鳥。何ていう鳥だろう。


「この鳥の名は何ですか?」

「…お前な、調査兵団の明暗を分ける一大イベントを目前によくそんな暢気でいられるよな」


ハンジと同じようなゴーグルをした短髪の男性―アーベルが呆れ声でそう言う。そんな彼も作戦決行の時を待ちくたびれたのか、その格好は屋根の上で日向ぼっこ状態。…人のこと言えない。
そんな暢気なのは二人だけで、他の者はいつでも臨戦態勢を取れるよう神妙な面持ちで待機している。女型の巨人を前回の作戦で目撃した者はそう多くない。それがどういう人物―巨人なのかも情報として持っているだけであり、未知との遭遇を静かに待ち続ける…壁外とはまた違った恐怖を抱えているのかもしれない。

第四班―女型抗戦班は結局四人体制となった。隣のアーベル、そしてもう一人は少し離れた場所にいるが、ルピとミカサに何かあった場合のサポーター役として四班へ追加配属が決定となったのだ。…いや、実際はお目付け役かもしれない。あんなこと言いつつリヴァイが暴れ馬2匹を放っておくはずがないだろうとアーベルは少し思っている。

一番重要な役割である第二班の面々は地下道の周りにある建物や物陰に隠れている。予定では第一班―女型誘導班(アルミン・ミカサ・エレン)がアニと共にルピから見て右からやってくる筈で、そこから絶対に見えない配置であることは作戦が始まる前に確認済みだ。

準備は万端。気候も良い。絶好の、作戦日和。




ヒュオォォオ_


その時。一つ、強めの風が通り抜け、同時に鳥も飛び立っていってしまった。少し残念そうな顔をしているルピに、アーベルがポツリと「あれはスズメだ」と今更教示する。


「…」


飛び立つスズメを目で追う。再び静寂が戻り、少し現場がピリついた気がした。
今頃、アルミン達が通るルートから一番遠い住人から順に、第七班―避難誘導班が区内から別の場所へと移動させているだろう。地下道周りの民家の者には随分前に避難してもらった。避難名目は"訓練"。憲兵と調査兵の合同訓練と言えば、誰も文句を言わなかった。


「まだかよ…。上手くいっているのかさえ分からねえな、ここじゃ――」


ピィィィ_


「!」


突如アーベルの発言と被るように聞えてきた甲高い音にルピはピクリと反応したが、アーベルは寝転がったまま動かない。それもその筈その音は彼どころか人間には聞こえない犬笛の音。目標が地下道へ近づいている時の合図―作戦決行の合図だ。
その旨を伝えれば臨戦態勢に入るのにコンマ一秒もかけない彼は流石ベテラン兵士、といったところか。そうして背後の屋根下で待機している第六班―号令・救護班へ合図を送る。合図を見た兵は第二班へ目標が近づいていることを同じように合図で知らせる。

ドクリ、ドクリ。アーベルの凛とした横顔を一つ見てルピは深く深呼吸をする。…もうすぐだ。一気に辺りの空気が張り詰め、胸中で何かがざわつき始める。それはまるであの時と同じ。


――! きた


何、とまでは分からないが、右から話し声が聞こえ始め、次第に視界にハッキリと映るは金髪の女性と三つの緑。アルミンの説得が上手くいったようだ。ルピは少し身構えると同時、見つからないよう体制をより一層低くした。


===


「――あ!あった…ここだ!」


アニを先頭にゆっくりと着実に目的地までやってきた四人。アルミンは地下道を見つけると同時、小走りでそこへ駆け寄っていく。ミカサとエレンがそれに続くも、アニは歩みのペースを変えなかった。
目に入れた彼女の姿は訓練兵時代とそう変わらないが、その胸には憲兵団のマーク、肩にはしっかりと銃が担がれていた。表情はいつもの如し無だが、今や彼女はしっかり憲兵として、―いや、違う。ルピは思考を振りほどく。


「…!ここ?」


三人が軽快に地下を降りていく中、アニは階段の寸前でピタリと止まった。ルピはずっと彼女を目で追っていたが、今や映るのは後姿のみ、表情は分からない。
アニの声に三人も歩みを止め、彼女を振り返る。エレンはハッキリ見えるが、アルミンはかろうじて見えるくらいだ。ミカサの位置は聞える声からしてアルミンの奥だろうか。


「うん…ここを通る。昔計画されてた地下都市の廃墟が残っているんだ。これがちゃんと外扉の近くまで続いてる」


エレンが何も知らなかったというように「すげぇな」と呟く。地上を歩くより、地下を歩く方が安全。何かから逃れたい者なら誰もがそう考える至って一般的な思考。筋は間違えていない。
だからそう、エレンは佇んだままじっと立ちすくんでいるアニを怪訝に見、そして名を呼んだ。アルミンはじっとアニを見据えたまま、動かない。


「何だお前…まさか暗くて狭いところが怖いとか言うなよ?」

「…そうさ、怖いんだ…あんたみたいな勇敢な死に急ぎ野郎には…きっとか弱い乙女の気持ちなんてわからないだろうさ」

「…大男を空中で一回転させるような乙女はか弱くねぇよ。バカ言ってねぇで急ぐぞ!」


「いいや、私は行かない」アニは即答した。地上を行かないなら協力しないと。…やはり何かに勘づいているのだろうか。チラリとアーベルに目をやれば、焦らされている事に苛立ちを感じ始めているようだが、


ヒョォォオオォォ_


苛立ちを感じ始めた人物は何も彼だけではない。…ルピは何だか嫌な予感がした。



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