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「な…何言ってんだてめぇは!?さっさとこっちに来いよ!!ふざけてんじゃねぇ!!」


…やはり、彼は単純短気であり自分の気持ちに素直であり、そして台本通りには事を進められない男だとルピは思う。いかに穏便にアニを地下に誘導させるかにかかっているにも関わらず、自身が逃亡犯であるにも関わらず、大声を張り上げるなんてもってのほかだ。
案の定即ミカサに怒られているが、…それに反応したのはアニだった。


「大丈夫でしょ?ミカサ。さっきからこの辺には、なぜか全く人がいないから」

「「!!」」


いつから気付いていたのだろう。エレンの逃亡に手を貸す以上、警戒して歩くのは至極普通の事だと思われるが、…それでも辺りに人がいないこととイコールに繋がる事なんて、そう易々とは思いつかない筈だと信じたいけれど。
しかしアルミンはそのアニの言葉に酷く反応を示してしまった。ずっと彼女を見据えていた目に動揺が走ったのは、遠目のルピにもわかるくらいに。


「まったく…傷つくよ。一体…いつからアルミン…あんたは私を、そんな目でみるようになったの?」


緑のマントの下で気づかれぬように信煙弾を握るアルミンの手がピクリと動く。恐らくもう彼女は悟っているのだろう、彼らが自分の正体を知ってしまった事を。


「アニ…なんで、」


マルコの立体起動装置を持っていたの。アルミンは小声でそう言った。二体の巨人が殺害された事件の犯人はアニだと彼は主張していたが、…あの時もそう、今も同じ。彼はやはり、確証が無いかの如く控えめに言を発する。

…何故か。それは、今でも信じられないからだ。何かの見間違いだったと思いたいからだ。三年という短いようで長い期間、同じ時を過ごし、苦労を分かち合い、時にはぶつかり、励まし合ってやってきた同期がまさかの巨人で、虫けらのように人を殺して、仲間を裏切っているという事実が。
前回の作戦でアルミンは女型のアニと対峙しているが、班長や先輩がいとも簡単に瞬殺される中自分が殺されなかったのは、やはりアニにも少しの"慈悲"があるんだって、あの色濃く過ごした月日が良き思い出として心の中にあるからだって、本当はこんなことしたくないんだって、…そう、言い聞かせたいだけなのに。


「あの時…何で…だろうね」


けれども結果として今、こんな形になってしまった。アルミンが嫌でも彼女を追い詰めることも、アニがまさか彼に酷く追い詰められるなんてことも、もし、もしもあの時、なんて。


「オイ…!アニ…お前が間の悪いバカでクソつまんない冗談で適当に話を合わせてる可能性が…まだ…あるから……とにかく!!こっちに来い!!」


ヒュォオオォォ_


風の吹き付ける間隔がだんだんと短くなっていく。それにつれ、彼らの表面にも焦慮が募り始めていく。
…もしも、彼女がすんなりと地下に入ってくれたならば。エレンはかなり期待した。地下にすんなりと入るということは、彼女は潔白なのだとそう"思い込む事"が出来る。単純にそう信じたかった。それだけなのに、


「…そっちには行けない。私は…戦士に成り損ねた」

「だから…!!つまんねぇって言ってるだろうが!!」

「話してよアニ!!僕たちはまだ話し合うことができる!!


これ以上アニを追い詰めたくない。彼らの発する声からそう聞こえた気がした。ルピには経験したことのない痛みを彼らは今抱えている。仲間を―同志を裏切り者として晒す事も、その裏切りによって傷つけられた己らの熱い友情が崩壊することも、全部、全部、ルピには経験したことの無い痛み。


「もういい」


その時。今の今まで存在していた事を少し忘れかけていた者の、ハッキリとした制止の声が地下に響いた。
「これ以上聞いてられない」そう言ってミカサは階段を上って来、緑のマントを脱ぎ捨て、ブレードに手を掛ける。


「不毛…。もう一度ズタズタに削いでやる。女型の巨人…!!」


今の今までギリギリのラインを攻めていたエレンとアルミンを差し置いてついにミカサという暴れ馬がそれを言ってしまうだなんて思いもよらない展開だが、一発触発の寸前であることは誰しもが承知の事実であり、そしてその時が来るのも問題だった。




ヒュォォォオ_




「あは、はははっ――」

「「!?」」


ゾワリ、ブワリと己の中の細胞が疾呼を上げるような感覚がルピを襲った。一体誰が想像していただろう。今この場で、この張り詰めた空気の中で、高々と笑い声があがることを。
声を発したのはアニ。それはより一層第二班の鬼胎を煽り立てるのに十分で、一体何がおかしいのかなんて誰にも分からなくて、その表情はやはり見えなくて。


「アルミン…私があんたの…良い人でよかったね。ひとまずあんたは賭けに勝った…」


アルミンの右手が微かに震え出す。その意図はきっとアルミンにしか分からないのであろうが、…今はもう彼女の言葉に耳を傾けている暇は無い。


「…でも私が賭けたのはここからだから」


パァン_!!


アニがそう言い終わり、彼女の右手が微かに動いたのと同時。アルミンは地下ながら高々と信煙弾を打ち上げた。


「っ!?」


左右後方から一斉に第二班が彼女に飛び掛かった。驚いたであろうアニは微動も出来なかったのか、一瞬のうちに皆に雁字搦めにされていく。両腕も両足もその口も、作戦通りに。

…と、同時。動いたのは何も第二班だけではなかった。


「動かないで下さい」

「…!!」


第二班の面々も、アーベルも、エレンもアルミンもミカサも、一瞬にしてそれがアニの前に現れた事に、そして作戦にはなかったその行動に驚かされる事となる。


「動けば、"削ぎ"ます。私は本気です」


アニの首元にブレードを突きつけているルピの目は、いつになく冷たかった。



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