15



ヒュォォォ_


モブリットが大きく指した先。壁の上に、小さな一つの影。


「……」


…ルピだ。ルピは先回りし、壁の上で彼女を待っていたのだ。


追い込まれれば誰だって逃げ道を考える。エレンを攫わずにその場を立ち去るということは、彼女はもう逃げることで手一杯か、そもそも彼女の中にその意向は"今回は"無かった事になる。
前回は巨人達に自らを食わせ蒸気に紛れて姿を晦ましているが、これだけ戦った後だ、彼女も相当疲弊しているのなら、人に戻って逃げるとは考えにくい。人に戻ったところで顔は割れている、指名手配されれば終わり。…だったらその巨体のままどうするか。唯一の手段はそれしかないだろうと思って今、ここにいる。

きっとアニには自分の姿が見えていないのだと思う。いや、見えていたとしても関係ないのだろう。今、彼女は窮地に追い込まれている。その表情から、そう伺えた。


「……アニ、」


ずっと、ずっと考えていた。彼女の身になって、どうするか、私だったらと。ずっと、ずっと考えていた。
でも、分からないことだらけだった。こうまでして遁走することも。必死で壁を上るその顔に悲嘆の表情があることも、追い詰められる事に対する嫌忌があることも。…あの森での、涙も。

一歩一歩確実に上がってくるアニの眼には今、何が映っているのだろうか。少し日の傾きかけた空の白い雲か、壁の向こうにある自由か、…それとも。


どうして逃げるの。
どうしてそんな顔するの。
ねえ、どうして。どうして、


…そうしてルピが力強くブレードを握り締めた、その時。


「――行かせない!!」

「!」


ルピから見て左下。素早い動きで姿を現したのはミカサだった。


シュパッ_!


「!」


ミカサは女型の右手指―硬化されていない第二関節から下を削いだ。だらりと垂れる彼女の右手。躊躇う事無く反対側も削ぎ、ミカサは女型の顔の上に立つ。

…絶望の顔を浮かべるアニ。澄んだ空が、遠く見える。


「アニ、堕ちて」


トンッ。最後の後押しをするように、ミカサはアニの顔を優しく蹴落とした。重力に従い落ちていくアニの目にはもう、闘志のトの字も伺えなかった。




ドゴォン_!


落ちた女型を背後から抑えたエレンの力の込もった右拳は彼女の頭を吹っ飛ばし、絶望の表情を浮かべたままその頭部は塀の壁へと激突した。そうして最後まで項を守っていた彼女の両腕はだらりと項垂れ地へと着く。…露になった項。それはもうキラキラとダイヤのように輝くことなく、肌色のままを保っていて。エレンは容赦なくそこに噛み付き、辺りに先程とはまた違った緊張感が走った。

…そうして削がれた項の中。


「「…!?」」


――涙を流すアニが、そこにはいた




「……っ、」


どうしてあなたが泣くの。そう言いたかった。何が悔しくて泣くの。そう、言いたかった。
けれどもそれはやはり、声には成らない。思う事はたくさんあった筈なのに、それに曝け出すべき感情は山ほどあった筈なのに。全てがその涙にまた、流された気がして止まなくて、

ほんとうに、


――ずるい


…と、ルピは思う。




「エレン…?」

「どうした…!?」


シン、と辺りが静まり返る。硬化という完璧な防御の前に完遂出来なかった前回の作戦を。勢いよく項を削いで犯人を露にし、誰もが渇望した作戦の完遂を。終に遂げる…という目前でのエレンの静止に誰もが目を疑った。
目の前のアニの衝撃的な姿に、エレンはそのまま動くことが出来なくなっていた。まさか項の中で、今まで壮絶な攻戦を交えてきた彼女がまさか項の中で、流涕しているなんて微塵も想定していなかったから。

その時間が、随分長く感じられたように思う。恐らくアニを視界に出来るのは壁側にいる者だけで、他の者からは見えていない。だから余計、一層に緊迫した空気の中、それでも誰も近づくことなど出来なくて、

――しかし、




シュイィィィン


「「!?」」


突如、女型の項が光を放ち始めた。眩しくて何が起こっているのか直ぐに把握は出来なかったが、直後エレンが呻き始め、彼の腕がみるみるうちに硬化していく。


「…融合している…!?」


腕が完全に硬化し同化してしまい、いくら身体を振るっても彼の力をもってしても女型から離れられなくなってしまっていた。このままではエレンの命が危ないと、ミカサとルピが壁上から飛ぼうとした、その時。


ヒュンッ_!


またとルピから見て左下。飛んできた一つの緑…リヴァイだった。
即座に巨人の項を削ぎ中からエレンを取り出した彼に思わずミカサは駆け飛んで行ったが、ルピはまた女型へ視線を動かす。


「…!」


そこに居たアニは嫌という程綺麗な結晶に覆われて、一つの巨大な水晶体と化していて、

…その頬にはもう、涙の跡は見えなかった。



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