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カン、カン_


高い、高い壁の上。大分日も傾き地上で感じるよりも肌寒い中、杭を打つ音が吹きぬける風に乗って宙へと木霊する。
…あの後。「巨人に日光を当てるな」と黒いワンピースの小父さんに言われて即、ハンジは己の班員に命を出し、穴の空いた壁の緊急補修作業を進めた。それは継接ぎで作られた大きな布ですっぽりと該当箇所を覆い日光を遮るだけの簡易な作業で、ものの十数分で終了した。


「本格的な作業は日没後行います」


巨人が日光で活動するという事を鑑みれば"日光を当てるな"という命は何ら違和感の無い言葉であって、その判断を即座に下した黒いワンピースの小父さんは相当頭が回ると普通ならそう思うところだろう。
…けれども今ここにいる面々にとってそれは賞賛すべき言動ではなく、寧ろ募るは不信感と強い疑惑。

壁の中に巨人がいると知ってその場は空気でさえも震え上がった程なのに。この黒い小父さんは"隠すこと"だけに必死になっていた。だから肩を掴まれたハンジも近くにいたモブリットも、すぐさまその事実に気付いていた。


「住人はこれに気付いただろうか」


この人は、"最初から"全てを知っていたのだと。


「……さぁ、どうでしょう――」


…ルピはただ、ずっと見ていた。最中、壁上から身を乗り出し食い入るように作業を"監視"し、顔に焦燥と混迷を浮かべる黒いワンピースの小父さんを。


――ウォール教


ウォール・マリアが巨人に襲われてから急速に勢力を拡大し始めたと言われている宗教。「壁を神聖視し壁を崇める」ということを教義とし、人間が壁に手を加えることを頑なに拒み続け、壁について口出しする権限を王政から与えられたと噂される、その詳細は誰も知らない…今だ謎に満ちた教団である。
そしてこの黒いワンピースの小父さんはニックという名で、司祭を務めている。…と、彼を凝視していたルピを見兼ねてアーベルがこっそり教えてくれた。




「――さて、そろそろ話してもらいましょうか。この巨人はなんですか、なぜ壁の中に巨人がいるんですか。…そして何故、」


あなた方はそれを黙っていたんですか。最後の言葉を少し強めて言うハンジ。寧ろ今一番知りたいのはそこだと言っても過言ではない。世界の理を知ることが最も重要ではあるが、何故それを秘匿し続けてきたのか、彼らの意図を知る権利が我々には有る筈だった。

壁際からようやく立ち上がって裾の汚れを払うニック司祭。少しの沈黙が流れたが、けれども彼は話を逸らしハンジの質問に答えようとしなかった。
先のエレンとアニの戦闘でウォール教の教会が無残にも破壊され、そこで祈りを上げていた信者達の殆どがアニ―女型によって潰されてしまった事を嘆き始め、全ては独断で事を及んだ調査兵団のせいであり、被害額を請求する、と。挙句の果てに「さぁ私を下ろせ」と、何事も無かったかのように命令してきたのである。


「…いいですよ」


自分で勝手についてきたのではないかという憤りはさておいて。確信に迫った問いに何一つ回答を得られなかったにもかかわらずアッサリとニック司祭を下ろすことに同意したハンジに班の面々は些か驚いていたがしかし、

ガッ_


「ここからでいいですか」

「「!!!」」


ニック司祭の胸倉を掴み彼の身体を宙へと放り出したハンジの行動に誰もが愕きその足を一歩踏み出す。まさかそんな暴挙に出るなんて思ってもいなかった為「分隊長!」と思わずモブリットがいつもの如く制止に入るも「よるな」と一言で跳ね除けられ、誰も二人に近づく事が出来なかった。


「ふざけるな。お前らは我々調査兵団が何の為に血を流しているのかを知っていたか。巨人に奪われた、自由を取り戻す為だ!…そのためなら、命だって惜しくなかった」


いつも滾っているハンジの声が、今は怒りに満ちている。こんなハンジを見るのは初めてな気がして、ルピもその場から動こうとはしなかった。

この壁外へ未来を望み、今までどれほどの命を賭してきたことだろう、どれほどの痛みを培ってきただろう。それでも前に進んだ。巨人を知り、巨人を学び、巨人に勝つため。全てはそのために、何十年とかけて、命を繋いで進んできた。人類の為を思って、だ。
…なのに、


「いいか、お願いはしていない。命令した。"話せ"と。そしてお前が無理なら次だ。…なんにせよ、お前一人の命じゃ足りないと思っている」


ハンジの右手を掴み縋るように握るニック司祭の両手が震えているのか、ハンジの手が怒りに満ちているのかは定かではない。ニック司祭の額に徐々に汗が滲んでいき、辺りに緊張感がより濃く広がっていく。
誰もが彼の口から真実が吐露されるのを待っていたがしかし、次に出た言葉は「手を放せ」だった。


「…今離していいか」

「今だ」

「…わかった死んでもらおう」


ハンジの言いぶりに戸惑いは見えない。きっと今なら本当に離し兼ねないと、皆がそう思い息を呑む。
「ハンジさん!」と止めるのはやはりモブリットだが、今や彼の声はハンジには届かない。


「お前達の怒りはもっともだ。だが…我々も悪意があって黙っていたわけではない!」

「「!!」」

「私以上の教徒にどんな苦痛を与えようと到底聞き出せまい!…私を殺して学ぶがいい!!我々は必ず使命を全うする!!」


「だから、今、この手を離せ!!」そう言ってニック司祭はハンジの手を掴んでいた己の手を解放し、両手を大きく広げた。なんの抵抗もなく、何も掴むものなど無い壁の際で、大空に羽ばたくような格好で。


か み さ ま


…そう言ってニック司祭は目を閉じた。聞いてはいけない言葉を耳にしてしまったかのように皆がその顔に嫌忌さを浮かべる。全てを覚悟したその様に讃嘆を思うものは誰もいない。己の命と引き換えに黙秘し続けるその"秘密"がどれほどこの人類に重要であり驚天動地な事物なのかなんて図り知れなくて、そうまでして保持する意味を今の我々では見出せなくて、

ブンッ_!


「「!!」」


分隊長が人を殺めてしまう時が来るなんて。…と思った矢先。ハンジは班員の思う通りに、ニック司祭の願う通りに動かなかった。掴んでいた手に力を込めニック司祭を地面に叩きつけるかの如く壁上へ投げ飛ばし、一つ大きく息を吐いてその場に腰かける。


「はは、うそ嘘。冗談…」


取り乱した事を誤魔化すかのようにメガネの位置を調整しながら、ハンジはいつもの声色で笑った。当のニック司祭は先の覚悟とは裏腹にガタガタと震えている。あぁ本当は怖かったんだな、なんて、彼に同情心を向けたのはきっとルピだけに違いない。


「ねえニック司祭、壁って全部巨人で出来ているの?」

「…」


やはり彼は、答えない。未だ震えるその背中は何かに怯えているようにも見える。殺されかけた目の前のハンジか、足元で眠る巨人達か、…それとも。


「あぁいつの間にか忘れていたよ。…こんなの、初めて壁の外に出たとき以来の感覚だ」


もしもニック司祭の指示が無かったら。もしもあの巨人にもっと日光が当たっていたら。あの巨人が動きそれこそ壁が崩落して、"全ての巨人"が目を覚ましていたとしたら。

…考えただけでも、ゾッとする。


「怖いなあ」


同じことを思っていたのかは定かではないが、そうポツリと紡がれたハンジのその言葉は、


カラーン、カラーン_


突如鳴り響いた鐘の音によって、壁の向こうへと消えて行った。



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