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「――何だって!?」


…それは、鐘の音が鳴って数十分後の事。早馬に乗ってやって来た調査兵に「エルヴィン団長がお呼びです」という言伝を受け、ニック司祭と共に彼の元へと向かったルピとハンジ班一行。
早急にとのことだったので一体何事かと誰もがその胸中を焦らせる中、…エルヴィンから出た言葉は彼らの想像を遥かに上回る最悪な"事件"だった。


――ウォール・ローゼが突破された


正確に言えば、ローゼ内に巨人が出現したとの報告だ。それを確認したのは現在隔離されている第104期訓練兵達と、調査兵団の主力部隊。早馬に乗って伝令を命じられたのはトーマ。先に到着したエルミハ区の駐屯兵に事を急ぎ伝え、憲兵団の元にいたエルヴィンに伝え走ったそうだ。血相変えて飛び込んできた彼から出たその言葉に誰もが絶句したのは言うまでもないだろう。

ミケやナナバ、ゲルガー達が新兵を先導し、東西南北に分かれ住民を避難させるべく情報拡散に離散したのが約半日前――


「……壁が破壊される音を誰も聞いてないんですか?」


そう、ポツリと言を発したのはルピ。巨人が来たのは彼らが待機していた場所から南西の方角。もし前回同様壁門が突破されたのならばトロスト区やクロルバ区から何らかの伝達が有る筈で、それが無いという事はトロスト区とクロルバ区の間の壁が突破されたと考えるのが自然。
しかし、壁門を壊すのと壁を壊すのではその必要な力は桁違いであるように思える。ならば、いくら距離があるといえど何らかの音や振動が壁沿いに伝わってくるのではないかとルピは思ったのだ。


「壁から壁までどれだけ距離があると思っている。お前じゃあるまいし普通の人間には聞こえねぇだろう」

「超大型巨人を見たという報告もない。…しかし、巨人が出現した事は紛れもない事実だ。"出現位置"を早急に確認しなければならない」


「ちまちまと壁を剥がしたってこともあるかもしれない」とハンジが言えば「そんな辛気臭いやり方を奴らが考えるとは思えんな」とリヴァイが返す。

壁の破壊箇所確認には駐屯兵団の先遣隊が、またトロスト区やクロルバ区では防衛ラインを引き巨人の討伐を既に行っている。巨人達は以前のように一つの区に固まってうろうろしているわけではなく、今こうしている間にもどんどんと侵入され、四方八方へ散らばっているというなんとも厄介な状況が容易に想像出来る。
東西南北に分かれ帆走する104期達との合流も必須。情報が極端に少なすぎる今、我々調査兵団が動かない訳にはいかない。


「エルミハ区を出てからの指揮はハンジ、君に任せる」

「分かった。南西にあるウトガルド城を拠点に壁の穴の確認をと思う。異論はないよね?リヴァイ」

「あぁ、」


指揮がハンジとなると、団長はエルミハ区に留まるという事だろう。
そして、兵士長も。リヴァイの今の格好はスーツ姿。それは彼が戦闘には不参加であることを意味する。足の調子はやはりまだ、良くはないらしい。


「勿論ルピはこっちに着いて来てもらうからね?」

「あぁ、構わん」

「……エルミハ区でニック司祭と"二人きり"だけど、機嫌を損ねないでね?」


こんな時に何て悠長な会話を。ハンジ班の面々はいつも通りな二人のやり取りを見ては惑乱の最中にあった空気に重い二酸化炭素を吐き出す。
さらにハンジは「確認したい事があったんだ!」と言って部屋を飛び出して行き、慌ててモブリットがその後を追っていった。…彼にとっては巨人よりもハンジの相手の方が疲れるだろうとルピは思いながら、「外の様子を見てきます」と言って部屋を後にした。


===


「――ルピさん!出発はまだですか?」


そうしてルピは出向準備を整えるエレン達―新たなリヴァイ班と合流した。辺りはすっかり暗くなり、松明の火がユラユラと揺れる。


「はい、もう少し待って欲しいそうです。色々大変そうでした」


モブリットさんが。とは言わなかったものの、既に準備万端な彼らの表情に目立った動揺は見えなくてルピは少し安堵する。エレンはまだ昼間の死闘でその体力が回復しきっておらず、取りあえずエルミハ区まで馬車での移動を余儀なくされた。万が一超大型巨人や鎧の巨人が出現すればまた巨人化し、戦うことになるだろうから。
壁内での女型―アニとの戦い、そして壁の中に巨人がいるという事実、間髪無くローゼ内に巨人が出現したとの報告、104期の新兵がまたもや最前線に立たされている不愍な状況。彼らを立て続けに襲う驚異の数々――


「けど…巨人のいる壁を巨人が破るかな?」

「前にもあったろ、俺たちの街が奴らに――」

「あれは門だった」

「!」


確かに、それも疑問に残る問題ではある。知性のある巨人ならばきっと壁門を狙う。態々固い壁を壊そうなどとは考えない、労力と時間の無駄だからだ。…けれども逆に、普通の巨人にあの壁が壊せるとは到底思えない。奇行種でもそれほどの力を備えている者がいるのかは定かではないし絶対とは言い切れないのだけれど。
どうしても今回の"事件"が引っかかって仕方がない。壁の破壊とは別の、何かがあるのではないか。…きっとそういう斜め上からの思考が持てるのは、ルピが"普通の人間"としてこの世界で育ってきていないからなのだろうが。


「アルミン…何を考えているの?」

「あの壁ってさ、石の繋ぎ目とか何かが剥がれた跡とか無かったから、どうやって創ったか分かんなかったんだけど…巨人の硬化の能力で創ったんじゃないかな」


アニがああなったように。
…そうして思い出されるのは、彼女の最後の涙――


「――お待たせ!案外準備に手間取っちゃってさ」


掛かった声に会話は途切れ、その方を見やればヒラヒラと手を振るハンジといつも通りの表情のリヴァイ、そしてその後ろにいた人物がそそくさと馬車に乗り込んで行く。…それを茫然と見つめる三人。


「…え?」

「あの…何故ウォール教の司祭が?」


エレン達は彼の存在こそ既知だが、彼が壁の修復指示を出した事を知らないからその反応は至極当然。彼ら―104期兵はあの後すぐアニに関する事で憲兵の事情聴取を受ける事となった為、憲兵団本部へと連れて行かれたからだ。


「あぁ、ニックとは友達なんだよ、ねー!」


気にしない気にしない。そう言いながら親しげにニック司祭の肩に手を回すハンジだが、当のニック司祭は厭そうな困惑したような表情を浮かべている。設定に無理があるのではと思ったが、ハンジの交遊録など知る由も無いエレン達にとってはそれを疑うという選択肢も無いのかもしれない。

馬車にはエレン、ミカサ、アルミン、ハンジ、リヴァイ、ニック司祭が乗り込み、御者はモブリット。ルピは馬車の横へ付いた。


「ウォール・ローゼの状況が分からない以上、安全と言えるのはエルミハ区までだ。そこで時間を稼ぐ。行くぞ!」

「「はっ!!」」


エルヴィンの声の後、長い列を成して続々と兵が続く。エルミハ区までなら陣形も何も要らないが、それでも皆の表情はいつも以上に暗く見えた。


「出せ」


そうして馬車も、ゆっくりと動き出す。
調査兵団一行がストヘス区を出たのは、巨人が出現して約16時間後の事だった。



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