「――え?…知っていた?!壁の中に巨人がいることを、この人は知っていたんですか?!」
ストヘス区を出発して数分後。ハンジは目の前に座る新兵達にニック司祭を連れる"本当の理由"を明かした。
845年、850年に起きた二度の壁の破壊。その惨劇をシーナ内にいる政府はもちろんウォール教も、住人ですら知らない。…そう、知らないから彼は口を閉ざし続ける事が出来た。けれど今はあの時とは状況が違う。"百聞は一見にしかず"という言葉通り、現状を見ても尚原則に従って口を閉ざし続けるのか自分の目で見て自分に問う為、我々に同行することを決めたらしい。
あの時のハンジの脅しが少し効いているのかは定かではないが、…しかし、そんな言い訳が通用しない人物が一人。
「いやいやいやいや、それはおかしいでしょう!?何か知っている事があったら教えてくださいよ!」
エレンはグッと身を乗り出し、ニック司祭に詰め寄った。
今回ばかりは、彼が声を荒げるのも無理はない。壁が破壊され、故郷も母親も失った。人々が食われる惨劇を、絶望を、錯乱を、子供ながらに目の当たりにした。それを何食わぬ顔で今まで平気に平和に暮らしてきた男たちに"騙されて"、あぁそうですかはい分かりました何て言える筈などなくて。…何か知っていれば、変わっていたのかもしれない。この壁の秘密を何か、少しでも知っていたら、なんて。
「人類の滅亡を防ぐ以上に重要な事なんてないでしょう!?」
…けれども、今回のこの騒動は何もエレンだけにそう思わせた訳ではない。彼はその感情をぶちまけるのが得意だから声を荒げたが、アルミンだって、ミカサだって、…いや、顔にこそ出さないがリヴァイだってその一人だ。
「…質問の仕方はいろいろある」
スーツの下、見えないように構えられた銃。その口先が向くのは、隣のウォール教。
「俺は今怪我で役立たずかもしれんが、こいつ一人を見張ることくらいできる。…くれぐれもうっかり身体に穴が開いちまうことがないようにしたいな。お互いに」
「……脅しは効かないよリヴァイ…もう試した。私には司祭が全うな判断力を持った人間に見えるんだ。…もしかしたらだけど、彼が口を閉ざすには、人類滅亡より重要な理由があるのかもしれない」
リヴァイの言動で緊張感に包まれる空気。ハンジの言葉で彼らの中に沸く別々の感情。…それから誰もその口を開こうとはしなかった。
「……」
人類滅亡より重要な理由。壁に―巨人によってこの世界が守られてきた理由。果たしてそれは人類が納得せざるを得ないものなのだろうかと、…この時になって初めてルピはこの世界の理に"興味"を抱き始めていた。
Beherrscher
「――お前…ただの石ころで遊ぶ暗い趣味なんてあったか」
馬が駆ける音、松明がチリチリと焼ける音だけが広がっていた空間に、一番に口を開いたのはリヴァイ。いくら問い詰めても口を割らないのならニック司祭の話はもう十分。これ以上この場を窮屈にしても意味は無いと彼は判断したのだろうと思う。
180度以上変わった話題が投げ込まれた為に皆考え事をしていた脳を切り替え、視線をハンジの手元へ移す。いつからかは分からないが、それはずっとハンジの手に握られていた。石ころというよりは尖った何かの欠片に見えるが、
「これはただの石じゃない。女型の巨人が残した、硬い皮膚の破片だ」
「「!」」
「っ…消えてない…!?」
巨人の皮膚や筋肉は項を削がれれば蒸発し、残るのは骨格のみである事は誰もが周知の事実。それは知性のある巨人も同じで、自らが巨人から抜け出れば蒸発が始まる事はエレンで立証済みだ。
ハンジがそれを見つけたのは、女型の巨人の骨格を調べた時だった。他の皮膚や筋肉が蒸発する中で残っていたその破片。ハンジはそれが何か直ぐに気付いた。…これは、女型が硬化して創った皮膚の破片だと。
「もしかしたらと思ってね…壁の破片と見比べてみたら、その模様の配列や構造までよく似ていたんだ。つまりあの壁は、大型巨人が支柱になっていて…その表層は硬化した皮膚で形成されていると考えていい」
「…本当にアルミンの言っていたとおり、」
「じゃ、じゃあ――」
「待った!言わせてくれアルミン!このままじゃ破壊されたウォール・ローゼを塞ぐのは困難だろう。穴を塞ぐのに適した岩でも無い限りはね。…でも、もし、巨人化したエレンが硬化する巨人の能力で壁を塞げるのなら、あるいは――」
「賭ける価値は大いにあると思います。それにそのやり方が可能なら、ウォール・マリアの奪還も明るいですよね」
従来のやり方であれば目的地に大量の資材を運ぶ必要があり、壁外に補給地点を設けながら進むしかなかった。しかし、資材が要らないのであれば荷馬車も必要ない。荷馬車が要らないのであれば、護送する必要もない。
加えてそれを夜間に決行するのはどうかとアルミンは提案した。巨人は夜には動かなくなる。そうなれば人手も要らない。荷物も人手も最小限で済むのであれば、最南端のシガンシナ区まで最速で向かえるかもしれない、と。
「……状況は絶望のどん底なのに、それでも希望はあるもんなんだね」
「えぇ。…但し全ては、エレンが穴を塞げるかどうかにかかっているんですが…」
「こんなこと聞かれても困ると思うんだけど、それって出来そう?」
ハンジの問いに、エレンは言葉に詰まり俯いてしまった。またと彼に多大な責任を背負わせる事となってしまうが、今頼れる最短の道がそこにしかない事も十分理解している。
鎧の巨人は名前からして元々堅そうだが、アニがあの硬化の能力をどのように習得したのかなんて分からない。彼女は今や水晶体の中…恐らく意識があってもそう易々と教えてはくれないだろうが、
「…出来そうかどうかじゃねえだろ、やれ。こんな状況だ…兵団もそれに死力を尽くす以外にやる事はねえ筈だ。必ず成功させろ」
相変わらずキツイ言い方だなんて、けれどもそうして背中を押すのが彼の役目かもしれない、だなんて。
そうして決心がついたのかエレンは「必ず成功させる」と力強く頷き、首にかけていた鍵を取り出しそれを目の前に掲げた。
「…地下室。俺んちの地下室だ。親父の言葉が本当なら、そこに全ての答えが有る筈だ」
ユラユラと揺れる、一つの黄銅色の鍵。その鍵で開けれる空間には一体何があるのだろう。何故もっと早く、エレンの父親は彼にそれを渡さなかったのだろう。
ルピはチラリとニック司祭に目を向けた。エレンの父親がどんな人かは知らないけれど。今目の前で鍵を凝視している男の持っている秘密とその鍵の先にある答えは同じなのだろうか、なんて。
「…見えてきたよ、」
…ストヘス区を出て数十分後。調査兵団一行は、エルミハ区へと到着した。