君よいつまでも無知であれ




「辛い事もあるだろう。悲しい事もあるだろう。それでも私達はこの人類の為に巨人という未知の――」

「前置きが長ぇぞハンジ。早くしろ」

「えー、では、かな〜り遅くなりましたが第103期の調査兵団入団とルピの復帰を祝いまして〜…」


ルピが兵団から遠のいてすぐに第103期訓令兵がその所属兵科を決める時期が訪れていたが、ご存知の通り諸事情により彼らが調査兵団に入団してもその歓迎会は開かれる事無く、新兵達はすぐに兵団としての任についていた。


「「乾杯〜〜!!!」」


そうしてようやく全てが落ち着いた頃にそれは新兵歓迎会とルピの復帰祝賀会という二つの名目で催される事となった。
それを言い出したのはハンジ。全てのリスタートを切る為の会らしいが、…ただ単に飲み会をしたかっただけだろうとリヴァイは思っている。


「久しぶりだねぇ〜楽しいねぇ〜〜!」

「おい、変な絡み方をするな貴様」


ルピはというと、ここにはいない。彼女を己の隣に縛り"古い人間達"の政治的な話を聞いているよりは若い者達で楽しくワイワイやる方が良いだろうと思って"野放し"にしてある。
しかし酒は飲むなこの部屋から断りも無く出て行くなとは命令済みで、一定の監視も忘れない。…いや、自然と目が向いてしまっていた。そうする理由は定かではないが、飼い犬の粗相は飼い主の責任であるからだと思い込む事で言い訳にしている。

視線の先にいるルピはいつになく笑顔が溢れていて、至極楽しそうだった。隣にはペトラもオルオもいて、数人の新兵に囲まれなにやら談笑している。何を話しているかまでは聞こえないが、リヴァイはそれほど気にしないようにしていた。

…そう、リヴァイがルピのリードを簡単に外したのは、ルピを任せておける部下がいるからである。彼らがいれば問題ないだなんて、いつになく緩和になったのはこの宴の席が己にとっても久しぶりの娯楽であったからだろうか。


「兵長、今日はペースが一段と早いですね!」

「ルピが隣にいなくてやさぐれてるんだよ、慰めてやってゲルガー」

「…あ?テメェ今なんつったクソメガネ、」

「でもたまには自由に散歩させておかないとね!ストレスで病気になる例もあるらしいし、」

「お前それは俺がストレスだって言いてぇのか?」

「でもねーリヴァイ、リードは外しても首輪は外しちゃダメだと思うよ〜、うんうん」

「……、仕方がねぇから聞いてやる。どういう意味だ」

「首輪をしていたら飼い犬だって分かるけど、してなかったら野良だと思う。当然の心理でしょ」

「何が言いてぇ」

「あぁ見えてルピ、結構モテると思うよ〜?ほら、顔は可愛いしちっちゃいし、温厚で言葉遣いも丁寧だし。ゲルガーもそう思わない?」

「もちろん思ってましたよ。最初っから!」

「おいゲルガー」

「新兵はまだ"何も知らない"からね。優しくて強くて頼れて可愛い先輩なんてもう憧れの的そのものじゃんか!」

「そうですよ兵長!現に見て下さいよあの新兵達の顔を!!」


リヴァイはグラスに口を付けたまま、ゲルガーに促されもう一度その光景へと目を向けていた。

最初はあまり気にも留めていなかったが、確かに新兵達はそのッ気があるように見えた。
事の根本を知らない彼らにとって今のルピは本当にただの先輩で、その容姿だけが彼女そのものとして映っている。…情景さえ変えてしまえば街中で可愛い子を見つけてナンパしているまさにチンピラのように見えて最早仕方が無い。

彼女をそういう風に見る対象が現れるなど、今まで考えた事があっただろうか。常にそれは己の隣にいて、そう、今までならば誰もがそれを己の"所有物"だと勘違いを起こしていたからその一線が引かれていたようなもので。


「……」

「ルピだってもう立派な女性だからねぇ」

「確かにそうっすね。どんどん良い女になってると思いますよ俺」

「おいゲルガーさっきから聞いてりゃテメェ」

「っ、やだなぁ!!冗談ですよ冗談!!」


高笑いするゲルガーも「本気になってやんの」と囃し立てるハンジもかなり出来あがってしまっている。リヴァイが疲労染みた溜息を一つ吐いてグラスの中の酒を飲み干し、空になったそれを眺めていた、


「――兵長!!」

「!」


その時。かかった声はペトラの声。振り返ればオルオもいる。…が、しかし肝心のそれの姿はどこにもない。


「ルピはどうした」

「兵長、すいません!間違ってアイツ酒飲んじまいまして…!!」

「……で?」

「二口飲んだだけでルピ、相当酔っちゃったんです。で、」

「ルピはお酒弱いんだね〜そんなとこも可愛――っぶ!!!」

「喋るなうるせぇクソメガネ。…それで今はどこにいる」

「「気付いたらいないんです!!」」


至極青ざめた顔をしている二人。それは相当酔っているからではなく、リヴァイに変わってルピのお守りをしている自覚が二人にあったからこその失態だと捉えているからだろう。


「一緒にいた新兵の一人もいなくて、」

「っえ!?もしかしてその新兵ルピを食う――ふべっ!!」

「っ兵長――!?」


ハンジがリヴァイの最後の一撃を食らい、オルオがその名を呼んだ時には既にリヴァイの姿はそこから消えていた。
残された四人を包む一瞬の静けさ。


「……巨人に殺されずにリヴァイに殺されて死ぬなんて、可哀想な新兵…」


それを破ったハンジのその冗談に、そこにいた誰も笑わなかった。



 ===



バァンッ__!!


「「!」」


ドアとは取っ手を捻って開けるものだが、この時のリヴァイはその開け方を忘れていたらしく思い切り足でそれをけ破っていた。
何故それらがそこにいたか分かったかと聞かれてもきっと答えられないだろう。それのように耳や鼻が優れているからでは無い。それはただの、勘だった。


「…リヴァイ、さん」


その音に驚いた新兵は加えてそこにリヴァイが立っていた事にも驚いて声を失くしている。背は幾分リヴァイより高く、どちらかと言えば好青年の部類に入りそうな奴だった。

それの手前、ソファにルピは座っていた。己の名を呼ぶその声色はいつもと少し違って、その様子もいつもと違うことも明確。
己の機嫌を伺うようなその赤らんだ顔。アルコールにまみれた香気。…その光景を見れば、己の中に渦巻く何かは先ほどよりも強くなっていて。


「…へ、兵士長…っ、これは、その……!!」


一体これはその何だと言いたいのかは分からないが、ソイツにどうにかする気はあったにしろ無かったにしろ今リヴァイの怒りの矛先はそれには向いてはいない。


「…お前、名は」

「っ!は、はい!リゲルと申します…!!」

「リゲル。もういい。戻れ」

「っ、は、はい…!!」


リゲルという男がドタバタとその部屋を出ていくのを背後に聞きながら、リヴァイはズカズカとルピの方へ近づいていて、そして、


「……あの、リヴァイさ」

「黙れ」

「…っ!?」


リヴァイはルピを思い切りソファの上に押し倒し、その上に跨った。


「…ルピ、お前酒を飲んだらしいな」

「っ、すいません、気付かなくて、」

「……断りも無しに部屋から出るなと言った筈だが?」

「リゲルさんが、外で酔いを醒ました方が、いいと言うので」


断ったんですけど、と言うルピは至極困った顔をしていた。分からないでもない。コイツは何に対しても断るのが下手だと思う。人の善意を踏みにじれない性格であることも、押しには多少弱い事も知っている。
…しかし、今回ばかりはその優柔さに腹が立っていたのは間違いなかった。それに自分も冷静では無い。血液中にアルコールが回っているせいだ。


「…ルピよ。お前はこの状況がどういう意味を表すのか理解できるのか」

「…?」


見下ろすルピの表情は先ほどから変わらない。…そう、彼女は知らない。ソファの上に倒れた女とその上に跨る男がこの後なすであろう情事。アルコールが入っているならば余計熱を増すそれに、自分が知る限りでは彼女は触れた事が無い筈だ。


『もしかしてその新兵ルピを食う――』


ハンジの言葉が嫌に脳裏に過る。自身に向けられるそれと同じで、彼女にも向くそれがあったって何らおかしくないことにどうして今まで気付かなかったのだろう。
もしもペトラ達にその自覚が無かったなら。もしもこの部屋に辿り着くのが遅くなっていたら。…だから余計、苛つくのだろうか。警戒心のない、彼女が。無知な、彼女が。

ルピはリヴァイの目から視線を逸らそうとしなかった。そうしてその口から次の言葉が発せられるのを待ち続けている。
交わる視線。絡まる視線。己の中の何かが、警鐘を鳴らす。


「……」


…無知ならば、"躾ける"べきか。言葉による教育ではなく、


――その身体に教訓を叩きこむべきか


「――チッ、」

「、リヴぁ、っ!」


その胸倉を掴んでグッとその身体を持ち上げ、その顔に己のそれをも近づける。互いの息がかかりそうな程にそうすれば、少なからず間近のその瞳の奥が揺んだ気がして、


「…他の奴の命なんぞ、聞かなくていい」

「!」

「お前は俺にだけ従順であればいいんだ」


捨てるようにその手を離せば、ルピは重力に任せてそのままソファへ倒れていく。


「…水を持ってくる。そこで大人しく寝ていろ」


先ほどとは異なる胸中を連れて。リヴァイは何事も無かったかのように、ズカズカとその部屋を出ていった。





君よいつまでも無知であれ
(目で見えなくても明確なものを、わざわざ形にする必要など無かったのに)



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