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「もし一度も無いんだったらこれ以上喋るな。邪魔もするな。さっさと巨人の数でも数えに行け!」


またと金髪の男が笑い、マシンガンのように話し続けていた男も言い終わってスッキリしたのか有意義な顔をしている。

一瞬訪れた静寂。誰も、何も返さなかった。それに気分を良くしたのか「まいったなビビらせすぎちまった…なぁおい?歩けるか?」と完全にこちらを馬鹿にして見下してくる黒髪の男。皆から聞いていた憲兵団の印象、まさにそのものの見本がそこにいるようで、加えて調査兵団の事を良く思っていないようなので、そこまで言われてしまうといい気分には浸れそうにない。


「中央第一憲兵団…?」


だが、ハンジの第一声は違った。なぜ王都の憲兵がこんな最南端のトロスト区にとモブリットも彼らの存在自体を訝しむ方に重きを置いている。


「妙に年くってると思ったら…この辺の憲兵じゃなかったのか…」

「…そんなに不思議か?治安が悪化して兵士が足りてないこの状況が?端側のこの街には特に必要なんだよ。お前らのような出涸らしと違って使える兵士は今忙しい」

「…だからそんなに怪我、しているんですか?」

「「!?!」」


ハンジとモブリットがサッと己を振り返る。二人にだけ向けられていた男達の目も動くのを感じたが、ルピは敢えて視線を二人の手元に向けたままにした。


「…なんだこのガキ」

「あぁ、すみません!うちの子が失礼を!」


そう言ってハンジはルピの存在をパッとその背中で隠した。「自分が使えない兵士をやっているせいかな…偉いとこの兵士さんにビビっちゃいました、握手させてください!」と声色を変え、言って即黒髪の男の両手を強引に握るハンジ。振り払われるだろうと思われたがそれはハンジに握られたまま、彼女の顔の前まで持っていかれる。…どうやら男は満更でもないようだ。


「そうか…強盗に遭ったのか…ニック…怖かったろう可哀そうに…」

「フンッ…」

「…でも彼は盗まれるものなんて持ってたかな…」

「被害者の地位を考えればこんなことになるのもおかしくはない。ウォール教の神具に使われているような鉄は高価なものだと知られている」

「え!?ニックは…ウォール教の関係者だったのですか?」


ハンジの言葉に、男の顔色がスッと変わる。


「…何を言っている。ニック司祭をこの宿舎に入れたのはお前ら調査兵団だろ?」

「はい…彼をここに招いたのは私です。彼とは個人的な友人でした。今回の騒動で住む場所を失ってしまっていたのです」


ハンジの嘘語りが始まった。


「兵舎の私的な利用はよくないことですが、次に住む当てが見つかるまでこの部屋を使えるように私が手配しました」


兵舎とは、文字のとおり兵士が利用する舎―いわば兵士達の家のようなもの。私的な利用―家族を呼ぶ、だとか、一般人を招く、だとか、そういったことはタブーとされている。
だが、例外もある。部屋の使用許可申請を出せば、特別な理由がある限りは一般人でも兵舎に入ることが可能。

調査兵の前では司祭だが、他の者がいる前ではニックと友達のように接することを徹底していたハンジ。
今まで―そう、あの壁が剥がれ落ちるまで、何年も隠されてきた壁の"秘密"。その真髄とまではいかないものの、"ヒストリア"というワードを調査兵団に教示してしまった彼を同じウォール教の者が―否、政府が黙って見過ごすわけが無いと、彼の身元を完全に隠して匿っていたのだ。

自分の知る限りでは彼は"椅子職人"であった筈で、少なくとも部屋の使用許可の申請書類にそう記したのだと。巨人襲来という絶望の中、手荷物一つない状態で逃げ延び、少なくともウォール教に関するような衣服も神具も持ち合わせていなかった。彼からウォール教に関する話などは聞いたことがない。何より巨人に追われたショックからか部屋から出る事さえできない状態だった為、この地の者がニックを詳しく知る事なんて出来ない筈だと言うハンジ。

…なのに何故、彼のことを知っているのか。
そう言われたように聞こえたのか、男は「貴様…」と小さく声を漏らす。


「でも、私はニックの全てを知っているわけではなかったということなのでしょう」


男の拳を握る手にグッと力が入れられるのがわかった。おい離せ、と男は睨みを利かせる。


「あぁすみません、つい強く握ってしまいました!お怪我に触りませんでしたか」


パっと手を放し、では捜査の方をよろしくお願いします。と、当初ここを訪れた時とは打って変わって兵士らしく振舞う。


「…そして強盗を捕らえた際はその卑劣な悪党共にこうお伝えください。このやり方にはそれなりの正義と大義があったのかもしれない…命令でやったことだから自分が罪を追う事はない…そういうものだから仕方ないとお考えかもしれませんが」

「……」

「そんな事は私にとってどうでもいいことだ!!悪党どもは必ず私の友人が受けた以上の苦痛をその身で生きながら体験することになるでしょう!!ああ!!可哀そうに!!強盗にはそうお伝えください!!」


失礼します!と吐き捨てるように言い、スタスタと歩いていく。相当怒っているようだ、と思いながらルピはチラリと二人の顔を見納め、ハンジの後を追った。


===


角を曲がって、少し進んだ先。歩みを緩くしたハンジに追いついたところで、己に気づいたハンジはしかし振り向かずに一言「ルピありがとう」と言う。何故ありがとうなのか良く分からないがとりあえず「はい」と返す。


「分隊長…奴らは本当に?」


ハンジに顔を向けるモブリットの横顔にある驚きを禁じ得ない表情。きっと―いや確実にハンジの嘘語りからモブリットも気づいている。


「あぁ…中央第一憲兵団、ジェル・サネス。奴の拳の皮が捲れていた。…ニックは中央第一憲兵団に拷問を受け、殺されたんだ…!!」

「…どうします分隊長」

「私はエルヴィンに知らせに行く。モブリットは他の兵に伝達を頼む」


二人から滲み出る焦りという空気。ニックが殺されたことによって壁の"秘密"を少しでも知ってしまうということがどういうことなのか思い知らされてしまった。…憲兵―いや政府は、どうやら本気のようだと。

だが、ルピは良く分からないでいた。ニックが二人に殺された事実は理解したものの、ハンジから出た拷問という言葉にピンと来るものがない。
二人はライフルを担いでいたが、それでニックを殺したのではない。打撲痕が付くほど、皮が捲れ赤くなるほど、ニックを殴って殺したということになる。自分が思うに、出血が多ければ多いほど死ぬまでの時間が短いのならば、殴って殺すのには相当な時間を要するのではないか。
ともすれば、ニックの感じた痛みは計り知れない。ただ単に殺すだけならばライフルの方が楽、殴る側も相当な痛みがあった筈。そう迄してニックを殴るその感情―その精神の糧は何だったのだろう。痛み叫ぶ彼を見て、沸く感情はどんなだったのだろう。そこに本当に殺意はあったのだろうか。…分からない。

巨人に対してはそんな事考えたことも無かった。人類の敵は巨人。皆が殺意を抱くのは巨人だけ…とまでは思ってはいないものの、人が人に殺意を抱くという感情、殺意が無くとも人に痛みを与えるという感情をルピは今まで身近に感じたことがないのだ。

だが、黒髪の男―サネスは何十年もこういった現場で仕事をこなしてきた、と言っていた。自分が知らないだけで、壁内で人が人を殺す事件は常に起こっているという現実。
これから自分達が戦うのは、壁内。人と人の争いが起こる。…ともすれば、もしかしたら自分も、


「……」


ルピはぐっど息を飲んだ。

アニ、ライナーやベルトルト、そしてユミル。確かにそれらとの間には巨人vs人間としての殺意があった。
しかし、人の姿の彼らと対峙した時、無意識に甦るヒューマニティーとジニアリティー。

…もし、もしもだ。先程の状況下、サネスを殺せとハンジに命令されていたら、自分はすんなりと殺していただろうか、なんて。


「……」


…そんなことを考えながら、ただただ先を行く二人の背を追いかけていた。



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