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「――ッ」


思考が上手く廻らない。ライナーの言った言葉の意味、意図が、分からない。
…自分はこっち側―ライナー側の人間。"こっち側"とは一体何のことだろう。巨人化出来る者という意味か、壁の破壊を目論む者という意味か、それとも、


「…本当に、何も知らないんですね」

「っ、」


ライナーは言葉を返さないルピの表情を見てそう言ったのだろう。それに本当に何も返す言葉がなくて、ルピは己の拳に力を込める。今ほどに自分の無知を悔やんだ事はない。彼等がルヴを知っているのなら、自分も彼等の素性を知っていた可能性だってあるかもしれない。
何か分かっていれば―思い出していれば戦局は変わったのだろうか。…分からない。考えたって、頭の奥を辿ろうとしたって、そこへ続く道が見つからない。

ねぇ、どうして私は何も知らないの。ねぇ、どうして私に何も教えてくれなかったの。
ねぇ、どうして

どうして何も言わずに、姿を消してしまったの。

ファルク、ルティル――


「…………」


ルヴの事を知っているのなら、"二人"についても何かしらの情報を持っているのではないかとふと思ったが、ルピは聞きたい気持ちをグッと堪え沈黙を保つことにした。…これ以上、彼等に等価交換の術を与えてはいけない。不利になるのは、結局追い込まれてしまうのは無知な自分だ。
今はエレンを彼等の手から取り返すことだけを考えろ。

だから、今はこの感情を、――押し殺せ。


「おいおい…一体何の話をしているんだ?」


緊迫した空気に嫌気が差したのか、ユミルがそう言って二人の間を割った。彼女の表情を見れば話の内容が掴めていない事など明々白々。ユミルは彼等とも、エレンとも異なる種類の巨人のようだとルピは悟る。


「お前には関係の無い話だ」

「…あぁ、そうかい。で?"ルヴ"って何だ?ルピさんあんたも…巨人になれるのか?」

「この人は巨人にはなれない。ルヴは…そのうち分かる。これ以上詮索するな」


「分かったよ」そう言ってユミルは蒸気の上がる自身の両腕へと視線を落とす。数分経った今でも生え方のスピードは上がっていない。全てが元通りになるには多大な時間を要しそうだった。


「…ユミル、その"傷"が治るのにどのくらいの時間がかかりますか」

「…さぁね、こんなに酷い遣られ方をしたのは初めてだから私にも分かんないよ」


お手上げだ、と言うように、上がらない両腕をひょいっと上げる仕草をするユミル。本人が分からない以上、ここから二人を連れて逃げるという選択は今のところ放棄した方がよさそうだ。戦局は己のせいで不利を辿る一方だが、諦めてはいけない。どこかに道は必ずある、そう、信じなければ。


ズシン…


「!」


自分が高いところにいる所為かあまり巨人の足音を気に止めていなかったが、結構な数の巨人が目下にいることに今更気付く。起き上がればここまで届きそうな背丈の巨人が寝転がっていたり、小さいのが周りをうろついていたりと、すでに包囲網は出来上がっているご様子。これだけ話し声がすればそうなるか、と思う傍ら、これだけの数の目を盗むにはやはり夜まで待つしかないかと意思を固める。今このブレードを、ガスを使うのは勿体無い。目下の敵よりも目前の敵の方が厄介なのだから。




「――よぉ、起きたか、エレン」


そうして、幾分か後。ようやく目を覚ましたエレンは、周りの状況、環境、そして己の現況を把握するのに多少混乱を要していた。


「お前ら…っ、ルピさん…!?な、何だ…?腕が…!?」

「見ろよ…私もこの通りだ。お互い今日は辛い日だな」

「…ユミル…なんで…オレの腕がねぇんだ…?」

「そりゃすまん、俺がやったんだ。なんせ急いでいたからな…慌ててうなじに噛みついたら…お前の両腕を蔑ろにしちまったんだ」


ライナーのその言葉で、目覚める前までそれと戦っていた事を思い出したのだろう。ルピもエレンも…いや、あの場にいた誰しもが鎧の巨人に勝てるのだと、そう思い込んでいた。
けれども突如プツンと途切れた記憶の先、そこにあったのは己の敗北。それを知り、そうか、オレは負けたのかと、噛み締めるように呟いた直後で、エレンは蒸気の上がる腕へと牙を向けた。


「エレン!やめろ!!」


咄嗟に叫んだのは今までも声を発さなかったベルトルトだったが、エレンが齧り付いても巨人化は起こらなかった。それでもエレンは口を離さない。治りかけていた傷口からまた、血が滴り落ちていく。


「まあ待てよエレン。よく周りを見てみろ。ここはウォール・マリア内にある巨大樹の森だ。壁からだいぶ離れたところにあるらしい。当然巨人さん方の敷地内なわけだ」


ユミルが落ち着けと言うように、エレンへ言葉を投げる。そこでエレンはようやく口を腕から放した。

未だ動かない、下に寝転がっているその巨体は恐らく奇行種だろう。くつろいでいるように見えて実際視線だけは先程からずっとこちらを捉えて離さない…今や末恐ろしい存在となっている。細かいものも大分数を増していて、十分脅威に成り得るだろう。気付けばまた大きいものもいるが、こちらを見ているだけで近づいてこようとはしなかった。臆病者で有り難いと、今なら素直にそう思える。


「…そんでヤツらだ。せこいヤツらめ、二人だけ立体起動装置を着けてやがる。ライナーのはお前が着けていたやつだよ」

「……」

「闇雲に今ここで巨人化しちまうのは得策とは思えない。あいつらも同じことが出来る上に木の高い所に逃げる事もできる。そうじゃなくても周りは巨人だらけなんだ…この巨人の領域内を生き抜くのは"巨人の力"を持っていても困難だ。わかるだろ?暴れている余裕は無いんだって」

「……いや、そもそも今お前らは巨人になれん。そんな都合のいい代物じゃねぇのさ。体力は限られている。今はお前らの身体を修復するので手いっぱいのようだ」

「馬鹿か。誰がてめぇの言葉なんか信用するか」


間髪入れずにエレンはライナーに吐き捨てた。…あぁほら、始まってしまった。エレンの感情爆発の時間が。
ルピが一つ溜息を吐くと、刹那、彼の眼差しが己を捉える。…嫌な予感がした。その目の奥にある今だ冷め切らない闘志が、この後彼が口にしそうなセリフを先行して訴えてきたから。


「ルピさん!今なら俺達の力だけでコイツ等に勝てます!!俺も巨人化して戦いますから!だ――」

「エレン」


ルピは少し低めのキツイ声で、彼の名を呼んだ。そんな声色で誰かの名を呼ぶのは初めてで、彼女のそんな声を聞いた事など無かったエレンも、他の三人も一瞬にして息を呑む。


「ちょっと黙っていてください」


ピシャリと、締め付けられた空気。エレンはこの時初めて、彼女に"恐怖"を感じた。



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