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まるでスローモーションのようだった。
ベルトルトは咄嗟に振り返り手を伸ばすも、それは届かず空を切る。


「エレン!!」


両手を縛られたままエレンは地上へと真っ逆さまに向かっていたが、ミカサがそれを全身で受け止め、巨人の群れの中から離脱した。
――今、この瞬間。調査兵団はエレンの奪還に成功したのだ。


「総員撤退!!!!!」


エルヴィンの声が平地に轟き、ようやく下された撤退命令に我先にと云わんばかりに駆け抜けていく馬の音が響き始める。ミカサとエレンが共に馬に乗り駆けていくのを確認し、ルピも前を向いて走り出した。
後は安全な"壁"の中へ帰還するのみ。…だが、そう簡単に彼は我々を逃がしてはくれなかった。


_ドゥォォォン!!!


「「!!!!」」


地響きと共に眼前に広がった、土煙。一瞬何が起こったのか誰も把握出来なかったが、土煙の晴れた先に転がっていた物を見て思わず皆手綱を緩める。


「ライナーの野郎…!!巨人を投げて寄越しやがった…!!」


自身に纏わり着く巨人を次から次へと放り投げながら、ゆっくりと近づいて来る鎧の巨人。どこかれ構わず投げ寄越してくるところを見るに、目的のエレンが死んでもこの際構わないと思っているのだろうか。見境無く焦っているだけなのか、単に怒りを込めているだけか、表情の変わらないそれからは読み取れない。


「うわぁぁ――!!」


投げ転がって来た巨人がそれで死んでくれるのならばそれ以上の喜ばしいことはない。けれどもそれは謂わば、手を貸してやったようなもの。突然飛ばされ何が起こったのか分かっていないそれらはただムクリと起き上がって目の前にある餌を貪る行為を再開するのみ。…最悪の、展開。既に目の前に構図を成すは、地獄絵図。


「――エレンッ!!ミカサ!!」


どこからか聞こえたアルミンの悲痛な声にピクリとルピは反応した。彼等が危険に晒されたのではとその方を振り返るも、その姿は確認できない。耳をヒクヒクと動かしてもう一度声を拾おうと試みる中、


「ルピ、私を置いて行きなさい。なんとしてもエレンを救出するんだ」


エルヴィンが背中から降り、"主人"を迎えにきた馬へと乗り移る。数人の調査兵がこちらへ駆けて寄って来るのを確認したルピは、声のした方へ取り急ぎ駆け出した。


「……っ、」


エレンは今どこに――。血の匂いで鼻が利かない。響き渡る金切り声、叫び声がBGMと化し、今までに見たどんな光景よりも悲惨な現場が目の前に広がっていく。
どこへ目を向けても巨人、巨人、巨人。邪魔なそれらを削ぎ救える命を救いながら、その姿を探した。けれどもそれは見つからない。どこにいる、どこに、どこに――


「うぁああああああ――!!」

「!!」


巨人を倒す為空へ舞い上がった際、一つ上がった大声の方へ咄嗟に目を向けた。
少し離れた場所、金髪の大きな巨人の前で地面にひれ伏すエレンの姿と、その近くで呆然と巨人を見上げるミカサの姿。…その巨人の手中に、ハンネスの姿――。


「っ、…!!」


そして直後、ハンネスの身体が真っ二つに千切られた。…彼等はまた、絶望を目の当たりにしてしまった。5年前の惨劇を、再びその身体に染み込ませてしまった。ミカサは負傷したのかショックが大きいのかその場から動こうとしない。
ハンネスをたいらげた巨人の手がエレンの方へと伸び、泣き喚いていた彼は立ち上がってそれと対峙する。

無茶だ。彼の手から流れ出る血がそれを物語っている。巨人化に失敗したのだ、彼を守るものは今や何もない。
巨人を倒して即ルピはルヴへと変わって走った。間に合え、どうか間に合って、


――ペチンっ、


…それは、この場に響いていた音の中で何とも滑稽で小さな音だった。
伸びてきた巨人の掌に食らわした、エレンの渾身の一撃。巨人にとってそれは痛くも痒くも無い、無謀な捨て身のパンチ一つ。

――なのに、


「…っ、!?」


突如、兵士に群がっていた巨人達が一斉に一定方向―エレンのいる方へと駆け出し始める。ルピは懸命に動かしていた足を緩めていた。それらはルピもミカサもエレンをも通り越し、彼に立ちはだかっていた金髪の巨人へと飛び掛かっていくのである。


「…なんで、あの巨人が襲われているの…?」


それは女型の時や、今し方の鎧の巨人の時と同じようで、そうではない。その時より奇怪で、残虐。…それはまるで、巨人達が怒りを持ってそうしているようにルピには映っていた。


「――エレン、ミカサ、大丈夫ですか」


ルピはその後、ミカサをおぶって走ってくるエレンと合流した。とりあえず馬のところまで乗せていくと提案し進もうとした、…その時。


ズシン、ズシン…


その音はもう幾度となく聞いた、鎧の巨人―ライナーの、足音。ラスボス登場さながらの展開に、しかし彼と戦っている暇も余裕も体力も人量も皆無。巨人は全て金髪の巨人一体へと集中している。今の内に彼から逃げなければ、全滅してしまう。


「っ、ライナー…!!」

「っ来るんじゃねぇ!!てめぇら!!くそ!!殺してやる!!」


背中の上でエレンが"叫ぶ"。いつもの彼の罵声、いつもの彼らしい言葉。それで何かが生まれることも、変わることも今まで無かった。ただ口から発せられた、一種の攻撃にも似た悪足掻きの筈だった。


「…え?」


だから、それはまた誰しもにとって信じ難い光景として記憶される。まるでその声を合図にするかのように、金髪の巨人に群がっていたそれらが一斉に鎧の方へ向かったのだ。


「――この機を逃すな!!撤退せよ!!!」


その場景へ目を奪われ、自然と手綱を止めそうになる兵士達。何が起こっているのか誰も理解できないまま、けれどもこの戦局の行く末を最後まで見届ける義理などなかった。
エルヴィンの声の元、ルピはそれらを振り返ることなく、彼等を背に乗せ懸命に走った。



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